#05 ただのパン
パンを焼きました。
粉(小麦粉、全粒粉、米粉)、ぬるま湯、天然酵母、砂糖、塩だけの
手作りパンです。
私の主食はもっぱら米ですけれども、
ごはんとパンを
炊きたて/焼きたての匂いで比べたら
どっこいどっこいで好きです
焼きたてのパンの香りは、
なんだか気持ちがほろっとして
布団を干したくなります。
晴れている日中限定ですが。
パンを作るたび、いつも思いつつも
まだ調べていないのですが、
どうやって、
こんなに工程が多くて手間のかかるものが
主食になったのだろう?
と、考えています。
たしかに、
保存や美味しく食べるための工夫をしてきた
という歴史を考えれば、
パンという食べ物が主食として存在することは
必然であるように思えるけれど。
でも、
米の場合は、収穫して、脱穀して、もみすりして
精米して、炊く
それだけ、
といっちゃ、本当は大変な米作りの手間と発展を軽視することになるので不本意ですが
(実家で田んぼ持っていてお米作ってます)、
それでもパンに比べたら、
イーストとか発酵とか温度とかこね方とか
そういう工程や知識は必要なく、比較的単純です。
パンの場合は、
小麦を収穫して、脱穀して、製粉して
それから水や塩、イーストと混ぜて、こねて、発酵させて(しかも2回)、
それからやっと、焼くんですから。
グルテンの作用をどうやって見つけたのかな…
とか
イーストってどうやって見つけたのかな…
とか
謎が多い。
作るパンの種類や粉の量にもよるのでしょうが
私の作ったこの所謂「ただのパン」の場合、
パンをこねはじめると、
ベタベタ手につくし、
なかなかまとまってくれない。
5分くらいこねてようやくまとまってきて、
さらに3、4分こねて
ツルツルというかポヨポヨというか、
そんな感じで表面のぼこぼこがなくなってきます。
たくさんこねたらまとまってくるんじゃないか?
って、一体誰が考えたのだろう。
最初は、こねたりしていなかったのかな?
私だったら、
腕が疲れて途中でこねるのをやめてしまいますね。
ほんと、謎だらけです。
さっさと検索すれば何かしら出てくる時代ですが
正直、調べたくありません。
「謎を謎のままにしておきたい期」
が過ぎ去ったら、
いつか調べようと思います(いつ?)。
なんせ調べていないので
確かなことはわかりませんが、
いつかある人が、本当か冗談か、
「捨てた生地が発酵してかさが増えてた(膨らんでいた)ので、それを焼いたら、偶々うまかったからパンは主食になっていったんだ」
と、主食としてのパンの始まりを
語っていました。
捨てたってどこによ…?
と思いつつ、
その時の私にとって一定の納得感はあったようで、
その説をまだちょっと信じています。
ともかく、
一体誰が、いつ、どんな経緯で
パンづくりの工程を生み出し、
それが主食になっていったのか
そのプロセスに興味があるのです。
それから、パンといえば、
私の好きな、パンの映画があります。
『しあわせのパン』という映画です。
この作品にでてくるパンと
かぼちゃのポタージュが
とっても美味しそうなので
好きです。(単純!)
…正直にいえば、
経済的な視点が含まれていなかったり
隠すべきとされるものは隠されているので
ファンタジー寄りの作品
という印象は受けたのですが、
美味しそうなパンと物語を
たんまり楽しんでいますので
そんなの、いいんです。
いや、むしろ、
現実を間に受けがちな私にとっては
ちょっとくらい非現実的なもののほうが、
必要なのかもしれません。
夢をみるとか
別世界をたのしむ
って、
非現実的で、一時的で、断片的だからこそ
憧れたり、心躍ったりすることもある。
そんな気がします。
こういう作品は、
現実的でリアルな世界を描いた作品とは
別の栄養素として私の中に吸収されているので、
批判ばかりするのではなく、
いろんな作品に触れて
いろんな世界を見てみたいと思います。
現実世界を悲観しがちなとき
嫌なことがあったとき
ここによく、逃げ込みます。
この映画のなかに
"カンパニオ"
って言葉が出てきます。
もともとの語源は、パンを分け合う人たちの事なんですが、さて、なんでしょう?
大泉さん演じる、
カフェ"マーニ"でパンを焼く水縞くんが、
ふみおさんというお爺さんに
カンパニオの意味を問いかけるシーンがあります。
わたしはパンを作るたびに
この言葉を思い出します。
カンパニオ。
答えは、「仲間」。
共にパンを分け合う人たち、仲間。
わたしにも、
パンを分け合いたい人たちがいます。
カンパニオという言葉と同時に
パンを分け合いたい人たちの顔が浮かびます。
それって、つまり仲間がいるっていうことだな。
それって、とてもしあわせなことだな。
と、陳腐な表現だけど、そう思います。
わたしには、この、単純な感情が必要なんです。
だからパンをつくります。これからも。
読んでくれて、ありがとうございます。
いつかどこかで、パンを分け合う日がくるかもしれません。
米を分け合う人たち、でもイイですね。
では、また。
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