犬が苦手だったはずなのに、柴犬と暮らすことに その①
昨日、生後2ヶ月くらいになる柴の子犬(オス)を譲り受けた。
以前から犬を飼いたいという小学生の次女の要望があったこと、子犬の貰い手を探している飼い主がいるという話を知人づてに聞いたタイミングが重なり、家族会議の末、四人家族の我が家で迎え入れる運びとなった。
もともと私は動物全般が得意でない。特に、犬に対しては幼少期のトラウマがあり、どちらかと言えば恐怖の対象でもある。
私が幼少期を過ごした昭和50~60年代は、町中を歩いていると野良犬に遭遇すつ確立がわりと高く、群れを成した野良犬に吠えられたり、自転車に乗っているときに追いかけられたりと、そんな出来事が度々あった。
そのようなトラウマがあったため、40代半ばにさしかかった今でも道端ですれ違う犬などに対しては、距離を取りつつ極力近づかないようにしているような状態である。
ただ、全ての犬が苦手というわけでもなく、人に慣れた犬であればなんとか触ることが出来るし、それなりに可愛いなと思えることもある。
けれど、それはあくまでもその場限りの関係で、自分自身の生活とは全く縁がないことと考えて今日まで生きてきた。
更に言えば、私は猫派でもある。
そんな私が、なぜ犬を飼うことになったのか。
だいたい以下のような理由になる。
①子供の情操教育に良いとされており、子供自身も強く望んでいるにも関わらず、自分の判断基準で無下に却下することへの罪悪感。
②闘病中の義父が犬好きであり、少しでも多くの思い出を残したいという妻の願い
③これを機に、かつてのトラウマと向き合う
大体このような理由が挙げられるけど、あらためてみると個人的な欲求による動機付けというより、周囲からの要望に合わせた結果であると言える。
③については、このような機会がなければ自発的に行動に移すことは一生なかったことだろう。
また、中学生の長女も私と似た性質を持っていて、トラウマこそないものの積極的に動物とは関わりたくないというタイプだ。
それに加え新しい環境への適応にも時間がかかるタイプなので、今年は受験生になるということもあり当初の家族会議では、「いまはやめて欲しい」ということだったので、その意見を尊重して一旦は飼わないという結論に至った。
しかしその後、このようなお膳立てされたチャンスを逃すということは、、これから先にチャンスが訪れたとしても飼うことはないだろうし、強制的な環境変化に適応する能力はこの先絶対に役に立つ、という妻の意見で再び議論が加熱し、中々結論が出ない状況を見てか、「まあ、どうにかなるだろうし、飼おうか」と長女の心境も変化した。
とにかく、飼うと決まったからには腹を括るしかない。飼い主の方と連絡を取り、そのまま当日迎えにいくことになった。
事の発端人である当の次女は友人との約束があるため同行できず、私と妻と長女の三人で迎えに行くことになった。
先に間に合わせのケージ類などを買い込み、いざ飼い主の方のお宅へ。年配男性の方が対応してくれる。
詳しくはわからないが、ブリーダーという感じではなく、自然交配でときどき生まれる子犬を、近隣の希望者に無償で譲渡しているような活動をしているらしい。(詳しくは訊ねなかった)
今回我が家で迎えることになった子犬は4匹の兄弟のうち、最後に残った一匹とのことで、最初に対面した時は全く吠えたりせず、とても大人しい性格という印象で、犬に対する苦手意識のある私としてありがたかった(のちに全くそんなことなかったと発覚)
飼育上のいくつかのポイントを教わり、さあ帰ろうかとなったとき、なんとその男性がいきなり泣き出してしまった。
子犬とはいままでずっと一緒に寝食を共にしていたため淋しくなるのだという。
別れが辛かったからだと思うが、最後は半ば追い立てられるような形でそのお宅を後にすることになり、「本当にこれで良かったのだろうか」という罪悪感に近い、なんとも言えない感情を抱きながら3人で帰路についた。
つづく。