大潟村誕生60周年に起きた「令和の米騒動」の原因とは・・・
今年の稲刈りは天候に恵まれ、トラブルもなく順調に進み、稲刈り後の圃場も、コンバインのキャタピラーで壊れることなく、大潟村入植以来、55年間で一番きれいな圃場になりました。
玉ねぎの植付けは、10月10日から始め23日頃に終わり、今は、来年の玉ねぎ栽培のための籾殻暗渠を行っております。
55年前の、入植と同時に始まった減反政策により、大潟村には、干拓以来、50年以上放置され、20m以上の雑木が繁った原生林が200ヘクタールあります。
その原生林を40ヘクタール借りて開墾し、玉ねぎを植えるとの話を聞いた誰もが、「そんなことはできない」と話しておりましたが、7月下旬から10月下旬までの3ヶ月間に、概ねの開墾を終え、8ヘクタールに玉ねぎを植付けすることができました。
残りの開墾地は、来年の作付けに向けて、更なる圃場整備を進めております。
今まで玉ねぎを植えていた、縦1000m・横150mと、縦500m・横150mの玉ねぎ畑は、連作障害対策で水を溜めたため、突然、20ヘクタールの大きな池ができ、あっという間に野鳥の楽園になりました。
10月中旬、最初の白鳥が飛来しましたが、白鳥や雁等の渡り鳥には、とても居心地の良い休憩場所になるのではないでしょうか。
また大潟村では、熊や日本鹿にあったという話を聞きますが、私は熊にも日本鹿にもあったことがないので、いつかあうことができるのではと楽しみに圃場回りをしておりました。
いつものように圃場回りをしていたら、突然、大きな日本鹿が現れ、ゆっくりと草むらに入って行きました。
一度、あってみたいと毎日思っていても、急に目の前に現れると、ビックリして写真を撮ることも、何もできませんでした。
今まで、孔雀、丹頂鶴、キツネ、タヌキにあっており、今回、日本鹿にあったので、次は熊にあうことになるのでしょうか。
大潟村の住宅地周辺にも、熊が出るとのことで、数ヶ所に、熊の檻が設置されております。
熊は数百m離れていても、栗や柿のにおいがわかるとのことですので、大潟村の住宅地の栗や柿の木のにおいを感じるのではないでしょうか。
秋田の山間部ならまだしも、湖に囲まれた大潟村で熊の心配をするのですから、自然環境の変化を実感しております。
今年、大潟村は開村60周年になり、11月8日に記念式典が開催されます。
大潟村の干拓計画が持ち上がったのは、戦後間もなくで、食料増産が最大の目的でした。
当時は、日本人が食べる米を増産するため、全国の農村では米の増産運動が進んでおりましたが、大潟村の入植、営農開始と同時に米余りによる減反政策が始まり、それから50年の歳月が過ぎました。
50年以上続いた減反政策は、米の生産量を減らしただけでなく、農家の営農意欲も減退させることになりました。
そして、大潟村開村60周年の今年、突然、米不足が始まりましたが、突然発生した米不足の原因は何かと、多くの方が頭を悩ませております。
そんな中でも、農業の現場で感じているのは、50年以上続いた減反政策で、米作り農家の営農意欲が減退したことが、本当の理由ではないかと言われております。
そのことは、十数年後には、基幹的農業従事者が、現在の130万人から30万人に減少するとの国の統計に表されていることからもわかります。
どんな時代になっても、お客様にお米をお届けできるよう一体となって対応していきたいと考えております。
令和6年11月
大潟村あきたこまち生産者協会
涌井 徹