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「読む」ことを学ぶ~「『コーラン』を読む」評

この本の内容を紹介する前に、コーランってどんな本なのかを簡単に書いておく。

正式名称は、クルアーン

イスラム教の信徒が、声に出して読むべき
聖典(その宗教の教えなどを記した書物)
を意味する。

以下の冒頭箇所を、400ページに渡って丹念に読み解いていくのが、この本の主な内容だ。

一.讃(たた)えあれ、アッラー、万世(よろずよ)の主、
二.慈悲ふかく慈愛あまねき御神(おんかみ)
三.裁きの日の主宰者
四.汝をこそ我らはあがめまつる、汝にこそ救いを求めまつる
五.願わくば我らを導いて正しき道を辿(たど)らしめ給(たま)え
六.汝の御怒りを蒙(こうむ)る人々や、踏み迷う人々の道ではなく、
七.汝の嘉(よみ)し給(たま)う人々の道を歩ましめ給え

コーラン(上)井筒俊彦訳 岩波文庫 11頁より引用

実は、この冒頭部分に『コーラン』自体のエッセンス(本質)が含まれている。

つまり、一番重要な部分である。

著者はたった7行しかない冒頭部分を丹念に読み解こうとする。

この冒頭部分は一体何を意味しているのか?

この丹念に読み込む著者の姿勢から、「読む」ことを学んだ。


「読む」って何だ?

そもそも「読む」とはなんだろうか?

本を開いて読み、そこに書かれている内容を理解する行為である。

本を読んでいるものの、その本質まで考えたことはなかった。

冒頭で、著者はこう言う。

『コーラン』に限らず、一般に、古典を読むという場合、読むとは、そもそもどんなことをすることなのでしょうか。(中略)そこには、複雑で困難で、そしてかなりの危険をも伴いかねない、ある高度の知的作業が含まれております。つまり、一つの与えられた言語テクストにたいして、解釈学的操作が加えなければならない。

『コーラン』を読む 3頁より引用

解釈学的操作

最初読んだとき、意味が分からなかった。

この本を選んだことを後悔した。

こんな小難しい本をなぜ選んだのだ……。
もう少し分かりやすく言ってくれ……。

ところが……。

徐々に読み進めていくと、この意味を分かりやすく説明する箇所を見つける事ができた。

諦めなくてよかった……。

私の読み方は、だいたいにおいて現象記述的に読む、とでも申しましょうか。『コーラン』に限らず、すべて時間空間的に距りのある古典を読む場合、少くとも第一次的操作(先ほどの解釈学的操作の事)としては、現象記述的な態度で読まなければならない、と私は思っております。(中略)簡単に申しますと、『コーラン』に、なになになにと書いてあれば、それがそう書かれていることは事実なのであって、そのまま受けとめるしかないと、こういうわけです。

『コーランを読む』42~43頁より引用

著者が読むときに、まず行っていること。

それは、その本に書かれている事実をそのまま受け止めることだ。

この前提を踏まえて、「読む」ことの本質を説明する箇所がある。

たった一つの「審(さば)き」というコトバでも、そのまわりに群り渦巻く概念やイマージュ(想像という意味で、イメージの事。)まで考えると、なかなか一筋縄でいくようなものではない。しかし、いくら大変でも、それを捉えなければ、「審き」一つにしても理解したことにはならないのです。もともと、言語テクストとしての『コーラン』を読むということは、こういう意味での「意味」を読みとるということなのですから。こういう風に読みとっていかなければ、決して『コーラン』を読んだことにはならない。また、こういう風に読んではじめて、我々は一つのまったく新しい世界に入っていくことができるのであり、それが解釈学的というものだと私は思います。

『コーランを読む』250~251頁より引用

この文章はどういう意味なんだろう?
その意味の根源にあるものはなんだろう?

このように読み解いてはじめて、「読む」ことになるのか。

そう考えると、まだ自分は本を読めていない。読み方が甘いのだ。

それでも希望はまだある、と信じている。

最近、字面を追う読書スタイルから、この文章を何を言っているのかと考える読書スタイルへと変わりつつあるからだ。

本書で、「読む」ことを学んだ。

今の読書スタイル(ゆっくり読むスタイル)から一歩先に進んだ読書スタイルへ、その道のりは果てしなく長い……。

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最近、フォローをさせて頂いたnoterさんも、この本を取り上げています。


私の読書スタイルを知りたい方はこちら。

【あとがき】
たった400頁の本ですが、読み終わるのに1ヶ月以上かかりました。特に、冒頭で引用した最初の箇所を理解するのに、2週間はかかりました。見知らない言語学の用語が出てきて、この本を選んだことに後悔しました。しかし、ある日を境にこの本の著者が言いたいことが理解できるようになり、読書の醍醐味を味わえるまでに……。

小難しい本を理解できたときの爽快感とはまさしくこの事だったのか、と30歳でようやく分かりました。

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