[下調べ]哲学 2 アレテー
ソクラテス、プラトン、アリストテレスの思想がどんなものか知りたくてWikipediaで調べてみました。何となくイメージが湧けるようになった気だけはしています。
何て言うか…みんなそれぞれに真剣に全人生を掛けて己の思考を磨いていて、とても綺麗な宝石のように輝いているなと思いました。ウットリして眺めていたら、あれ、自分はじゃあどう考えているのだろう?と自分の中には考えが無い事に気づきました。宝石は好きだし、いつまででも眺めてウットリしていたいけど、肝心の自分は空っぽのような気がして??変な感覚になりました。まるで、ナウシカが目的地にたどり着く前のトラップ的な場所に迷い込んだような……いつまででも居たいけど、自分の目的地だったのだろうか?という感じです。
でも、やっぱりあまりにも綺麗だから、時々眺めたいなと思いました。
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西洋哲学史と倫理学のキホン
アレテー
徳( 英: virtue)は、人間の持つ気質や能力に、社会性や道徳性が発揮されたものである。
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徳(英: virtue)は、人間の持つ気質や能力に、社会性や道徳性が発揮されたものである。
徳は卓越性、有能性で、それを所持する人がそのことによって特記されるものである。人間に備わって初めて、徳は善き特質となる。人間にとって徳とは均整のとれた精神の在り方を指すものである。これは天分、社会的経験や道徳的訓練によって獲得し、善き人間の特質となる。徳を備えた人間は他の人間からの信頼や尊敬を獲得しながら、人間関係の構築や組織の運営を進めることができる。徳は人間性を構成する多様な精神要素から成り立っており、気品、意志、温情、理性、忠誠、勇気、名誉、誠実、自信、謙虚、健康、楽天主義などが個々の徳目と位置付けることができる。
中華文明における徳
徳(德、拼音: dé )は中国の哲学特に儒教において重要な概念である。徳を意味する文字に関して言えば、白川静によると、甲骨文字では大きな目の上に装飾を被った形であり、それは司祭王の目による呪力で土地を抑えることを意味していたが、やがては、統治者としての資質や自然万物を育成する力を表すに至ったとされる。
儒教の徳
儒教的徳は人間の道徳的卓越性を表し、具体的には仁・義・礼・智・信の五徳や孝・悌・忠の実践として表される。そして、徳は人間の道徳性から発展して統治原理とされ、治世者の優れた徳による教化によって秩序の安定がもたらされると考えられた。前漢において儒教は「儒教」とは呼ばれず、もっぱら法家思想の法治や刑に対抗する意味で「徳教」と呼んでいた。儒教思想において重要な規範的価値は、生まれによってではなくその人の徳の現れた実際の量の結果によって社会的地位が決せらるべきであるということである。
道家の徳
道家の徳は、根本的実在である「道」の万物自然を生成化育する働きを表す。『老子』はその名を『道徳経』とも言われる。
陰陽家の徳
陰陽家は王朝の交替を土徳・木徳・金徳・火徳・水徳の五行の循環によると考えた。これを五徳終始説という。
法家の徳
法家の徳は、「刑」と対照させられる恩賞の意味であり、恩賞必罰の「徳刑」として統治のための道具と考えられた。
仏教における徳
仏教の徳には、性質としての徳である、行として徳である、報果としての徳であるなどがある。そのいずれもが「徳」または「功徳」と、一義に漢訳された(報果の場合は「福田」というように別の漢訳もなされることはあった)。なお、善の行為には宗教的なものと世俗的なものがあり、世俗的なものは真実の功徳ではない不実功徳とされる。
西洋哲学史における徳
西洋的徳の目録は少なくとも、知恵、勇気、節制、正義というプラトーンの『国家』(435,また443)のそれにまで遡られる。より包括的な目録はアリストテレースの『ニコマコス倫理学』に見出される。徳の概念は古代の哲学において共通の話題であったし、それらはキケローによって採用されたのでキリスト教哲学者に広く受け容れられ、カトリック神学の要諦となった。なお、この場合の徳とは、virtueの訳語として当てられている。
謙遜
古代ギリシア、ローマでは謙遜という徳は知られていなかった。「新約聖書」の「エペソ書」や聖典外典の「十二使徒の教え」、いわゆるディダケーなどに出てくる、タペイノプロシューネーなる言葉が最初である。直義は乞食の心構え。キリスト教の成立までは徳として謙遜が挙げられることはなかった。
四元徳(cardinal virtues)
西洋古典世界の基本的な (cardinal) 徳( virtūtēs cardinālēs )は、「思慮、叡智・正義・忍耐、勇気・節制」である。これは、ギリシア的な教養に由来するもので、プラトーンの著作『ゴルギアース』や主著『国家』でこれらの徳が議論された。
徳の調和
古典期の哲学者、特にアリストテレースは、人はこれらの徳を完全に追求するために全てを習得せねばならないと唱えた。例えば、正しくあるために人は賢くあらねばならない。徳の調和という論点は論争を呼ぶ。人間は賢くあることなしに勇敢でありうるし、正しくあることなしによく節制されうる、などと議論できよう。また、人間の最上の状態は「中庸」において発揮されるとし、「中庸の徳」を説いた。
思慮と徳
ストア派のセネカは、完全な思慮は完全な徳と区別できない、と言った。彼の論点は、もし人が最も遠い視野に立って全ての結果を考慮すれば、結局、完全に思慮深い人は完全に高徳な人間と同じように行為するだろう、ということだ。多くの哲学者は「各々の徳はいかに思慮深くあるのか」を決めることに「各々の徳はいかに調和するのか」を決めるのと同様の価値を見出していた。
キリスト教の徳
キリスト教において神学的徳は、コリント書13:13に由来する信仰、希望、愛 (charity) である。これらは、神と人間への愛を完全にするという特殊な慣習的意味を持っている。これら徳の調和とこれらへの思慮の相伴が主張され、キリスト教神学の特色をなす。
徳と悪徳
徳の反対は悪徳である。悪徳をなす1つの方法は、徳を腐敗させることである。こうして、四元徳は愚昧、無節操、臆病、貪欲となるだろう。キリスト教神学的悪徳は、不敬、絶望、憎悪となる。
しかしながら、アリストテレースは徳がいくつか反対物を持ちうることを指摘していた。徳は2つの極端の中間として考えられうる(→中庸)。例えば、臆病と蛮勇の両方は勇気の反対であり、それらは思慮に反して過度の慎重と過小な慎重の両方なのである。より「近代の」徳である寛容は一方における心の狭さと他方における愚鈍さとの2つの極端の中間と考えられる。従って悪徳は、徳の反対として同定できるが、各々の徳は全て他とは異なる多くの反対物を持つことがありうるという落とし穴を伴うことになる。
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アルケーとは、「はじめ・始源・原初・根源・原理・根拠」等のことであり、哲学用語としては「万物の始源」また「(宇宙の)根源的原理」を指す。
概説
主にミレトス学派の自然哲学で議論された。古代ギリシアのアナクシマンドロスがはじめてアルケーの語を用いたとされる。
アリストテレスはその著書『形而上学』A において、哲学の祖はミレトスのタレースであり、彼は万物の根源(アルケー)を水であるとしたと記している。
また、ヘラクレイトスは火を、ピタゴラスは数をアルケーとし、エンペドクレースは土・水・火・空気の四大からなるリゾーマタ、デモクリトスはアトモス(不可分体)が根源であるとした。アナクシマンドロスは、無限定者(無限定)(アペイロン)がアルケーであると考えた、とアリストテレスの書は伝えている。
キリスト教でのアルケー
『新約聖書』の『ヨハネによる福音書』 は、元はコイネーギリシア語で書かれており、その冒頭に「エン・アルケー・エーン・ホ・ロゴス」と記されている。
(文というのは単独で存在するのではなく、前後の文との関係で意味が決まったり、前後に補足的な情報があるので)上記の文を含めて3文を示すと次のようになっている。「アルケーとして(=「はじめに」あるいは「根源的原理として」)ロゴスがいた。ロゴスは神とともにおり、ロゴスは神であった。このお方(=ロゴス)は神とともにいた。すべてのものは彼(=ロゴス)を通して存在するようになり、彼(=ロゴス)なしで存在するようになったものは無い。」
これは、アルケーとして(=最初から、根源的原理として)ロゴスが存在しており、ロゴスはヤハウェとともに存在していたのであり、ロゴスは神的存在であった、ヤーウェはロゴスを通して世界の全てのものを存在させた、ということを言っている。(そして『ヨハネによる福音書』の第一章のこれに続くくだりでは、冒頭で「ロゴス」という語で呼ばれている神的存在が、後に、肉体を持つようになり(=受肉して)イエス・キリストとなって世に現れたのを人々は眼にしたのだ、といった内容のことが説明される。(~1:17))
ギリシア語聖書の代表的なラテン語訳である『ウルガータ聖書』の『ヨハネによる福音書』 では、冒頭部分を、「In principio erat verbum 」と訳している。「principium」はラテン語では「はじめ」という意味以外に「原理」という意味があり、アルケーについての問いは、「世界の根源的原理」としての神(=ロゴス、イエス)についての問いとして、中世のスコラ哲学に引き継がれた。
なお、アルケーという言葉のギリシア語での対語は、「テロス」 であり、テロスは「終わり・目標・完成」というような意味を持つ。ギリシア語聖書の末尾に配置されている『アポカリュプス』(『黙示(録)』や『啓示(の書)』などと訳されている書。秘密を開示する書。)において、イエズスは「わたしはアルパであり、オメガである」と述べたと(1:8、21:6、22:13の3か所で)記されているが、アルパ(Α)とオメガ(Ω)はギリシア語アルファベットでの最初と最後の字母である。
したがって、イエズスは「わたしはアルケーでありテロスである」と述べたとも解釈され、彼はギリシア語で語ったのではなくアラム語かヘブライ語で言葉を述べたはずで、ヘブライ文字だと最初と最後の字母はアレプとタウとなり、これがギリシア語のアルケーとテロスの頭文字に対応する。
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最高善
最高善(英: supreme good, highest good)とは、アリストテレスを嚆矢とする、ギリシア哲学の倫理哲学における究極目的としての最高の「善」のこと。
歴史
アリストテレスは、ソクラテスが漠然と「徳」(アレテー)と表現し、師であるプラトンがイデア論を背景として「善のイデア」と表現した、(人間・万物の)究極目的を、「最高善」(ト・アリストン)と表現した。
その内容は、『ニコマコス倫理学』の冒頭で明確に述べられている。人間の諸々の活動は常に何らかの「善」(アガトン(タガトン))を希求し、目的としている。そうした諸々の活動・希求・目的の連鎖・包含関係の最上位に来るのが「最高善」(ト・アリストン)である。また、個人的な「最高善」よりも、集団的な、国(ポリス)の「最高善」に到達し保全する方が、より大きく、より究極的であるという。そして、そんな国(ポリス)における諸々の活動を決定・方向付ける、包括的な活動こそが「政治」(ヘー・ポリティケー)であり、そうであるがゆえに、この「政治」的活動は、「人間というものの(最高)善」(ト・アントローピノン・アガトン)を目的とし、それを体現するものでなくてはならない。
(ただし、アリストテレスは、ソクラテス・プラトン等の議論がそうであったように、政治・社会実践に関わる「善」という概念が、多面的で多くの差異・揺曳(ようえい)を孕んだものであり、数学や論証のごとく、一義的に定めるのが困難なものであること、そうした対象・問題の性質ゆえに(弁証法的に)「おおよそ」の帰結で以て満足しなければならないものであることも、あらかじめ断っている。)
アリストテレスは、「最高善」とは自足的・充足的なものであり、「幸福」(エウダイモニア)であることを端的に述べる。そして更にそれを、「究極的な卓越性(アレテー)に即しての魂の活動」と言い換える。こうして様々な卓越性(アレテー)の内容を参照・検討していくのが、『ニコマコス倫理学』本編の内容である。
様々な卓越性(アレテー)の参照を終え、アリストテレスは知性(ヌース)による「観照的(テオーレーテイケー)な活動」こそが、「究極的な卓越性(アレテー)に即しての魂の活動」であり、最も自足的な「幸福」であると結論付けるが、それは人間の水準を超えた「神的な生活」(不動の動者のごときもの)であるとして、人間に属するものとしては斥ける。続いて、あくまで人間の性質に基づく第二義的な卓越性(アレテー)として、
知慮(プロネーシス)
倫理的性状(エートス)
情念(パトス)
の相互条件付けから成る、複合的・合成的な卓越性(アレテー)を挙げ、これこそが人間がその活動において即して目的とし、実践・体現する「人間というものの(最高)善」(ト・アントローピノン・アガトン)であることが、述べられる。
こうして「最高善」の概念とその実践は、続く著作『政治学』にも引き継がれ、その冒頭で、「人類の最高の共同体である国家の目的は最高善」である旨が、再度言及・確認される。
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イデア論
イデア論(英: theory of Forms, theory of Ideas)は、プラトンが説いたイデア(英: idea)に関する学説のこと。 本当にこの世に実在するのはイデアであって、我々が肉体的に感覚している対象や世界とはあくまでイデアの《似像》にすぎない、とする。
イデア論の概要
「イデア」という語は、古代ギリシャ語の動詞「idein」(見る)に由来する。プラトンの哲学では、《idea》(イデア)と《eidos》(エイドス)とを対比している。eidosというのもやはりideinに由来する言葉である。 ただし、ideaやeidosが哲学用語・専門用語として意味が固定したのは、弟子のアリストテレスが用いて以降であり、プラトン自身がそうした専門用語として用いていたわけではなかったという。 プラトンの説には変遷が見られる。ここでは初期、中期、後期に分けて記載されている。
初期
プラトンの初期の哲学は、ソクラテスが実践したphilosophy(愛智)を描くものであるが、その根本の動機というのは《良く生きる》ことであるということ、また愛智の目的(徳の「何であるか」の探求と学習)を明らかにしつつ、また「無知の知」を自覚させ、人間のpsyche(プシュケー、命、魂)を愛智の道の出発点に立たせようとす。
ソクラテスが倫理的な徳目について、それが《何であるか》を問い求めたわけであるが、それに示唆を得て、ソクラテスの問いに答えるような《まさに~であるもの》あるいは《~そのもの》の存在(=イデア)を想定し、このイデアのみが知のめざすべき時空を超えた・非物体的な・永遠の実在・真実在であり、このイデア抜きにしては確実な知というのはありえない、とした。
中期
中期の哲学は、パイドン《想起》(アナムネーシス)という考え方の導入によって始まる。これは、学習というのは実は《想起》である、という説明である。つまり我々のプシュケー(魂)というのは不滅であって輪廻転生を繰り返しており、もともとは霊界にいてそこでイデアを見ていたのであって、こちらの世界へと来る時にそれを忘れてしまったが、こちらの世界で肉体を使い不完全な像を見ることによりイデアを思い出しているのだ、それが学習ということだ、という考え方である。 (この《想起》という考え方によって、プラトンは「徳とは《何であるか》という問いに答えられないし、不知な対象は探求は不可能だ」とする「探求のパラドックス」は間違っているとする。)
そしてプラトンはphilosophy(愛知)というのは、まさに《死の練習》なのであって、真の愛知者というのは、できるかぎり自分のプシュケーをその身体から分離解放し、プシュケーが純粋にそれ自体においてあるように努める者だ、とする。そして愛知者のプシュケーが知る対象として提示されるのが《イデア》である。
プシュケーの徳に関して、《美そのもの》(美のイデア)《正そのもの》(正のイデア)《善そのもの》(=善のイデア)などが提示されることで、愛知の道の全体像が提示される。(《善そのもの》は、「知と真実の原因」とされ、太陽にも喩えられている)。
愛知者のプシュケーが、問答法によって《善そのもの》へ向かい、それを観ずることによって、自らのうちに《知と真実》をうむこと、そして《善そのもの》を頂点としたイデアを模範とすることで、自己自身である自分のプシュケーをそのイデアの似姿として形づくること、それがプラトンの思い描いたことである。
イデアの種類には、様々な一般的な性質に対応する「大そのもの」「小そのもの」などが提示された。「単相」「純粋」といった存在論からのものや、「知られるもの」といった認識論からのものも示された。
「美そのもの」と「美しいものども」との関係は、《分有》あるいは《与り》の関係であると言われ(「イデア原因説」と呼ばれる)。 また前者が《範》であり、後者が《似像》として理解されるときは《類似》の関係だと言われる(「パラデイグマ」「範形イデア論」などと呼ばれる)。
後期
後期では、イデアの措定の困難を弁証的に越え、『第三人間論』などではイデア論批判なども行う。それとともに想起説などが取り下げられ、イデアやエイドスは、中期のそれとは異なったものになり、分割と総合の手続きにより新たに定義される問答法で扱われる《形相》あるいは《類》として理解されるようになる。
後世の人々
プラトンの弟子のアリストテレスは、《形相》や《類》の分割や交わりが引き起こす「1対多問題」や、定義の「一性」問題について考察しつつ、自己の哲学を確立していった。
およそ500年後のプロティノスは、万物は一者(善のイデア)から流出したとした(→ネオプラトニズム)。
イデアが実在すると考える考えは後にidealism(観念論)と呼ばれるようになった。そして「実在論」(realism) の系譜に属する、とされるようになった。
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経験論
経験論、あるいは、経験主義(英: empiricism)とは、人間の全ての知識は我々の経験に由来する、とする哲学上または心理学上の立場である(例:ジョン・ロックの「タブラ・ラサ」=人間は生まれたときは白紙である)。中でも感覚・知覚的経験を強調する立場は特に感覚論と呼ぶ。
この語彙・概念自体は、元々は17世紀から18世紀にかけて生じた近代哲学の認識論において、英国を中心とする経験主義的傾向が強い議論(イギリス経験論)と、欧州大陸を中心とする理性主義(合理主義)的性格が強い議論(大陸合理論)を区別するために生み出されたものだが、現在では遡って古代ギリシア以来の西洋哲学の傾向・系譜を大別する際にも用いられる。
経験論は哲学的唯物論や実証主義と緊密に結びついており、知識の源泉を理性に求めて依拠する理性主義(合理主義)や、認識は直観的に得られるとする直観主義、神秘主義、あるいは超経験的なものについて語ろうとする形而上学と対立する。
経験論における「経験」という語は、私的乃至個人的な経験や体験というよりもむしろ、客観的で公的な実験、観察といった風なニュアンスである。したがって、個人的な経験や体験に基づいて物事を判断するという態度が経験論的と言われることがあるが、それは誤解である。
歴史
古代
古代ギリシア哲学においては、イオニア学派に始まる自然哲学をはじめとして、ソフィスト達、デモクリトスら原子論者、そしてキュレネ派、キュニコス派、エピクロス派などが、知覚経験を重視した経験論に分類される。
これに真っ向から対立したのがピタゴラス学派やエレア派、またその影響を受けたプラトンであった。彼の主張したイデアは、仮象の現象界を超越したものであり、単に経験を積み重ねるだけでは認識し得ず、物の本質は、物のイデアを「心の眼」で直視し、「想起」することによって初めて認識することができるものであった。
プラトンの弟子アリストテレスは、その学問体系において、両者を調停させ、統合した。
中世
13世紀のオックスフォード学派は、スコラ学を批判し、経験を重視し、数学や自然哲学の発展に寄与した。先駆的な研究はロバート・グロステストの「光の形而上学」であるが、その弟子のロジャー・ベーコンは、「無知の四原因」を挙げて数学の意義を強調し、実験を用いることの重要性を説いた。14世紀のオッカムは、内的な反省的直観のみならず、具体的個別的な感性的経験をも認識の起源として重視して普遍は単に思考上の単なる記号にすぎないとして、スコラ学内の普遍論争において唯名論を主張し、近世の経験論を準備した。
近世
フランシス・ベーコンは、ロジャー・ベーコンの「無知の四原因」を発展させ、四つのイドラを示し、イドラを取り除くことが正しい知識に必要だと考え、従来のスコラ哲学で重視されてきた演繹と対比して、感覚的観察を無条件で信頼せず、実験という方法を駆使して少しずつ肯定的な法則命題へと上っていく帰納法を明示した。帰納法は、自然科学の発展を促したが、のちにデイヴィッド・ヒュームの懐疑主義を生むことになった。
近代経験論の成立
ロックは、人間は観念を生まれつき持っているという生得説を批判して観念は経験を通して得られると主張し、いわば人間は生まれた時は「タブラ・ラサ」(白紙)であり、経験によって知識が書き込まれる、と主張した。アイルランドのジョージ・バークリーやスコットランドのヒューム、そしてフランスではエティエンヌ・ボノ・ドゥ・コンディヤックが観念、知識は経験によって得られるという考えをロックから受け継いだ。
功利主義
ジェレミー・ベンサムは、経験を重視し、快楽と苦痛に支配される人間という冷厳な事実を直視し、倫理学において、功利性の原理を基礎に「最大多数の最大幸福」、ある行為が道徳的に善いか悪いかの判断基準はその行為が人々の幸福を全体として増大させるか否かにあると主張した。
現代
ヘーゲル学派の台頭
ベーコンやロックによって打ち立てられた経験論の考えはバークリーを経てヒュームに流れ込み、ヒュームは経験論的な発想を極限まで推し進めてその帰結として懐疑論に陥り、そしてカントの批判哲学によって大陸合理論と総合された。経験論は、ドイツ観念論の成立によって衰退し、ヘーゲル学派の台頭を招き、イギリスではケンブリッチヘーゲル学派を形成した。
現代経験論
近代以降においては、現象主義、実証主義、論理実証主義(論理経験主義とも)などが経験論の一種として生まれ、特に論理実証主義は経験に基かず、経験的に検証や確証ができない形而上学的な概念や理論を痛烈に批判した。経験論は、我々の理論や命題、そしてそれらの真偽や確実性の判断などは直観や信仰よりむしろ世界についての我々の観察を基礎に置くべきだ、とする近代の科学的方法の核心であると一般にみなされている。その方法とは、実験による調査研究、帰納的推論、演繹的論証である。
現代の科学哲学における経験論の重要な批判者はカール・ポパーである。ポパーは理論はしばしば誤ることがある経験的・帰納的な仕方(cf.帰納、自然の斉一性)で検証されるべきではなく、むしろ反証のテストを経てその信頼性が高められるべきとして反証主義を唱えた。
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アリストテレス
古代ギリシアの哲学者(前384年 - 前322年3月7日)は、古代ギリシアの哲学者である。
影響を受けた人物:
パルメニデス、ソクラテス、プラトン、ヘラクレイトス、デモクリトス
影響を与えた人物:
事実上彼以後の多くの哲学者、アウィケンナ、アウェロエス、マイモニデス、アルベルトゥス・マグヌス、トマス・アクィナス、ドゥンス・スコトゥス、プトレマイオス、メランヒトン、コペルニクス、ガリレオ、および多くのイスラーム哲学、ユダヤ哲学、キリスト教哲学、科学、その他…
プラトンの弟子であり、ソクラテス、プラトンとともに、しばしば西洋最大の哲学者の一人とされる。知的探求つまり科学的な探求全般を指した当時の哲学を、倫理学、自然科学を始めとした学問として分類し、それらの体系を築いた業績から「万学の祖」とも呼ばれる。特に動物に関する体系的な研究は古代世界では東西に類を見ない。様々な著書を残し、イスラーム哲学や中世スコラ学、さらには近代哲学・論理学に多大な影響を与えた。また、マケドニア王アレクサンドロス3世(通称アレクサンドロス大王)の家庭教師であったことでも知られる。
アリストテレスは、人間の本性が「知を愛する」ことにあると考えた。ギリシャ語ではこれをフィロソフィアと呼ぶ。フィロは「愛する」、ソフィアは「知」を意味する。この言葉がヨーロッパの各国の言語で「哲学」を意味する言葉の語源となった。著作集は日本語版で17巻に及ぶが、内訳は形而上学、倫理学、論理学といった哲学関係のほか、政治学、宇宙論、天体学、自然学(物理学)、気象学、博物誌学的なものから分析的なもの、その他、生物学、詩学、演劇学、および現在でいう心理学なども含まれており多岐にわたる。アリストテレスはこれらをすべてフィロソフィアと呼んでいた。アリストテレスのいう「哲学」とは知的欲求を満たす知的行為そのものと、その行為の結果全体であり、現在の学問のほとんどが彼の「哲学」の範疇に含まれている。
名前の由来はギリシア語の「Ἀριστος」(最高の)と「τελος 」(目的)から 。
生涯
思想
アリストテレスの著作は元々550巻ほどあったともされるが、そのうち現存しているのは約3分の1である。ほとんどが講義のためのノート、あるいは自分用に認めた研究ノートであり、公開を想定していなかったため簡潔な文体で書かれている。この著作はリュケイオンに残されていたものの、アレクサンドリア図書館が建設され資料を収集しはじめると、その資料は小アジアに隠され、そのまま忘れ去られた。この資料はおよそ2世紀後の紀元前1世紀に再発見され、リュケイオンに戻された。この資料はペリパトス学派の11代目学頭であるロドス島のアンドロニコスによって紀元前30年頃に整理・編集された。それが現在、『アリストテレス全集』と呼称されている文献である。したがって、われわれに残されている記述はアリストテレスが意図したものと異なっている可能性が高い。
キケロらの証言によれば、師プラトン同様、アリストテレスもいくつか対話篇を書いたようであるが、まとまった形で伝存しているものはない。
アリストテレスは、「論理学」があらゆる学問成果を手に入れるための「道具」(オルガノン)であることを前提とした上で、学問体系を「理論」(テオリア)、「実践」(プラクシス)、「制作」(ポイエーシス)に三分し、理論学を「自然学」、「形而上学」、実践学を「政治学」、「倫理学」、制作学を「詩学」に分類した。
アリストテレスの哲学には現在では多くの誤りがあるが、その誤謬の多さにもかかわらずその知的巨人さゆえに、あるいはキリスト教との結びつきにおいて宗教的権威付けが得られたため、彼の知的体系全体が中世を通じ疑われることなく崇拝の対象となった。これがのちにガリレオ・ガリレイの悲劇を生む要因ともなる。中世の知的世界はアリストテレスがあまりにも大きな権威を得たがゆえに誤れる権威主義的な知の体系化が行われた。しかし、その後これが崩壊することで近代科学の基礎確立という形で人間の歴史は大きく進歩した。アリストテレスの総体的な哲学の領域を構成していた個別の学問がその外に飛び出し、独立した学問として自律し成立することで、巨視的にはこれが中世以降の近世を経て現代に至るまで続いてきた学問の歴史となる。アリストテレスの誤りの原因は、もっぱら思弁に基づき頭で作り上げた理論の部分で、事実に立脚しておらずそれが原因で近代科学によって崩れたが、その後「事実を見出してゆくこと(Fact finding)」が原理となったとする立花隆の見解がある。
論理学
アリストテレスの師プラトンは、対話によって真実を追究していく問答法を哲学の唯一の方法論としたが、アリストテレスは経験的事象を元に演繹的に真実を導き出す分析論を重視した。このような手法は論理学として三段論法などの形で体系化された。
アリストテレスの死去した後、かれの論理学の成果は『オルガノン』 (Organon) 6巻として集大成され、これを元に中世の学徒が論理学の研究を行った。
自然学(第二哲学)
アリストテレスによる自然学に関する論述は、物理学、天文学、気象学、動物学、植物学等多岐に亘る。
プラトンは「イデア」こそが真の実在であるとした(実在形相説)が、アリストテレスは、可感的かつ形相が質料と不可分に結合した「個物」こそが基本的実在(第一実体)であり、それらに適応される「類の概念」を第二実体とした(個物形相説)。さまざまな物体の特性を決定づけているのは、「温」と「冷」、「乾」と「湿」の対立する性質の組み合わせであり、これらの基礎には火・空気・水・土の四大元素が想定されている。これはエンペドクレスの4元素論を基礎としているが、より現実事象、感覚知見に根ざしたものとなっている。
アリストテレスの宇宙論は、同心円による諸球状の階層的重なりの無限大的な天球構造をしたものとして論じている。世界の中心に地球があり、その外側に月、水星、金星、太陽、その他の惑星らの運行域にそれぞれ割り当てられた各層天球があるとした構成を呈示する。これらの天球層は、前述の4元素とは異なる完全元素である第5元素「アイテール」(エーテル)に帰属する元素から成るとする。そして「その天球アイテール」中に存在するがゆえに、太陽を含めたそれらの諸天体(諸惑星)は、それぞれの天球内上を永遠に円運動しているとした。加えてそれらの天外層の上には、さらに無数の星々、いわゆる諸々の恒星が張り付いている別の天球があり、他の諸天球に被いかぶさるかたちで周回転運動をしている。さらにまた、その最上位なる天外層上には「不動の動者」である世界全体に関わる「第一動者」が存在し、すべての運動の究極の原因(者)がまさにそれであるとする。(これは総じて、アリストテレスの天界宇宙論ともなるが、あとに続く『形而上学』(自然学の後の書)においては、その「第一動者」を 彼は、「神」とも呼んでいる。)
アリストテレスの自然学研究の中で最も顕著な成果を上げているのは生物学、特に動物学の研究である。生物学では、自然発生説をとっている。その研究の特徴は系統的かつ網羅的な経験事実の収集である。数百種に亘る生物を詳細に観察し、かなり多くの種の解剖にも着手している。特に、海洋に生息する生物の記述は詳細なものである。また、鶏の受精卵に穴を空け、発生の過程を詳しく観察している。 一切の生物はプシューケー(和訳では霊魂とする)を有しており、これを以て無生物と区別されるとした。この場合のプシューケーは生物の形相であり(『ペリ・プシューケース』第2巻第1章)、栄養摂取能力、感覚能力、運動能力、思考能力によって規定される(『ペリ・プシューケース』第2巻第2章)。また、感覚と運動能力をもつ生物を動物、もたない生物を植物に二分する生物の分類法を提示している(ただし、『動物誌』第6巻第1章では、植物と動物の中間にいるような生物の存在を示唆している)。
さらに、人間は理性(作用する理性〔ヌース・ポイエーティコン〕、受動理性〔ヌース・パテーティコン〕)によって現象を認識するので、他の動物とは区別される、としている。
形而上学(第一哲学)
原因について
アリストテレスは、かれの師プラトンのイデア論を継承しながらも、イデアが個物から遊離して実在するとした考えを批判し、師のイデアと区別して、エイドス(形相)とヒュレー(質料)の概念を提唱した。
アリストテレスは、世界に生起する現象の原因には「質料因」と「形相因」があるとし、後者をさらに「動力因(作用因)」、「形相因」、「目的因」の3つに分けて、都合4つの原因(アイティア aitia)があるとした(四原因説)(『形而上学』A巻『自然学』第2巻第3章等)。
事物が何でできているかが「質料因」、そのものの実体であり本質であるのが「形相因」、運動や変化を引き起こす始源(アルケー・キネーセオース)は「動力因」(ト・ディア・ティ)、そして、それが目指している終局(ト・テロス)が「目的因」(ト・フー・ヘネカ)である。存在者を動態的に見たとき、潜在的には可能であるものが、素材としての可能態(デュナミス)であり、それと、すでに生成したもので思考が具体化した現実態(エネルゲイア)とを区別した。
万物が可能態から現実態への生成のうちにあり、質料をもたない純粋形相として最高の現実性を備えたものは、「神」(不動の動者)と呼ばれる。イブン・スィーナーら中世のイスラム哲学者・神学者や、トマス・アクィナス等の中世のキリスト教神学者は、この「神」概念に影響を受け、彼らの宗教(キリスト教・イスラム教)の神(ヤハウェ・アッラーフ)と同一視した。
範疇論
アリストテレスは、述語(AはBであるというときのBにあたる)の種類を、範疇として下記のように区分する。すなわち「実体」「性質」「量」「関係」「能動」「受動」「場所」「時間」「姿勢」「所有」(『カテゴリー論』第4章)。ここでいう「実体」は普遍者であって、種や類をあらわし、述語としても用いられる(第二実体)。これに対して、述語としては用いられない基体としての第一実体があり、形相と質料の両者からなる個物がこれに対応する。
倫理学
アリストテレスによると、人間の営為にはすべて目的があり、それらの目的の最上位には、それ自身が目的である「最高善」があるとした。人間にとって最高善とは、幸福、それも卓越性(アレテー)における活動のもたらす満足のことである。幸福とは、たんに快楽を得ることだけではなく、政治を実践し、または、人間の霊魂が、固有の形相である理性を発展させることが人間の幸福であると説いた(幸福主義)。
また、理性的に生きるためには、中庸を守ることが重要であるとも説いた。中庸に当たるのは、
○恐怖と平然に関しては勇敢 ○快楽と苦痛に関しては節制
○財貨に関しては寛厚と豪華(豪気)○名誉に関しては矜持
○怒りに関しては温和 ○交際に関しては親愛と真実と機知
である。ただし、羞恥は情念であっても徳ではなく、羞恥は仮言的にだけよきものであり、徳においては醜い行為そのものが許されないとした。また、各々にふさわしい分け前を配分する配分的正義(幾何学的比例)と、損なわれた均衡を回復するための裁判官的な矯正的正義(算術的比例)、これに加えて〈等価〉交換的正義とを区別した。
アリストテレスの倫理学は、ダンテ・アリギエーリにも大きな影響を与えた。ダンテは『帝政論』において『ニコマコス倫理学』を継承しており、『神曲』地獄篇における地獄の階層構造も、この『倫理学』の分類に拠っている。 なお、かれの著作である『ニコマコス倫理学』の「ニコマコス」とは、アリストテレスの父の名前であり、子の名前でもあるニコマスから命名された。
政治学
アリストテレスは『政治学』を著したが、政治学を倫理学の延長線上に考えた。「人間は政治的生物である」とかれは定義する。自足して、共同の必要のないものは神であり、共同できないものは野獣である。両者とは異なって、人間はあくまでも社会的存在である。国家のあり方は王制、貴族制、ポリティア、その逸脱としての僭主制、寡頭制、民主制に区分される。王制は、父と息子、貴族制は夫と妻、ポリティアは兄と弟の関係にその原型をもつと言われる(ニコマコス倫理学)。
アリストテレス自身は、ひと目で見渡せる小規模のポリスを理想としたが、アレクサンドロス大王の登場と退場の舞台となったこの時代、情勢は世界国家の形成へ向かっており、古代ギリシアの伝統的都市国家体制は過去のものとなりつつあった。
文学
アリストテレスによれば、芸術創作活動の基本的原理は模倣(ミメーシス)である。文学は言語を使用しての模倣であり、理想像の模倣が悲劇の成立には必要不可欠である。作品受容の目的は心情の浄化としてのカタルシスであり、悲劇の効果は急転(ペリペテイア)と、人物再認(アナグノーリシス)との巧拙によるという。古典的作劇術の三一致の法則は、かれの『詩学』にその根拠を求めている。
著作
ウィキクォートにアリストテレスに関する引用句集があります。
アリストテレスは、紀元前4世紀に、アテナイに創建された学園「リュケイオン」での教育用のテキストと、専門家向けの論文の二種類の著作を著したとされているが、前者はいずれも散逸したため、今日伝承されているアリストテレスの著作はいずれも後者の専門家向けに著述した論文である。
現在の『アリストテレス全集』は、ロドス島出身の学者であり逍遥学派(ペリパトス派)の第11代学頭でもあったアンドロニコスが紀元前1世紀にローマで編纂した遺稿が原型となっている。ただし、プラトンの場合と同じく、この中にも(逍遙学派(ペリパトス派)の後輩達の作や、後世の創作といった)アリストテレスの手によらない偽書がいくつか混ざっている。
ルネサンス期に至り、15-16世紀頃から印刷術・印刷業が確立・発達するに伴い、アリストテレスの著作も様々な印刷工房から出版され、一般に普及するようになった。
現在は、1831年に出版された、ドイツの文献学者イマヌエル・ベッカー校訂、プロイセン王立アカデミー刊行による『アリストテレス全集』、通称「ベッカー版」が、標準的な底本となっている。これは各ページが左右二段組み(二分割)になっているギリシャ語原文の書籍である。現在でも、アリストテレス著作の訳文には、「984a1」といった数字とアルファベットが付記されることが多いが、これは「ベッカー版」のページ数・左右欄区別(左欄はa、右欄はb)・行数を表している。
なお、現在『アリストテレス全集』に含まれている作品の内、『アテナイ人の国制』だけは、1890年にエジプトで発見され、大英博物館に引き取られたパピルス写本から復元されたものであり、「ベッカー版」には含まれておらず、その後に追加されたものである。
テキストの伝来について
3世紀のディオゲネス・ラエルティオスの『哲学者列伝』ではアリストテレスの著作143書名を挙げ、その中に『正義について』『詩人について』『哲学について』『政治家について』『グリュロス(弁論術について)』『ネリントス』『ソフィスト』『メネクセノス』『エロースについて』『饗宴』など、おそらくプラトンの対話編に倣って書かれた公開的著作が存在していた。それらは現在では殆ど失われ、部分的に他の著作者の引用などで断片が知られるのみである。
また『哲学者列伝』では現代まで伝わっている『形而上学』や『トピカ』などの主著を欠いているが、5・6世紀頃とされる伝ヘシュキオスの『オノマトロゴイ』ではそれらを含めた拡充された著作リストを挙げている。この事実はディオゲネスに知られた著作群の系統と、他の伝来系統が存在していることを示唆しており、『オノマトロゴイ』の時代にはそれらが一つとして統合されていたことが考えられる。
ストラボンの『ゲオグラピカ』の伝えるところによれば、アリストテレスは自分の集めた文庫(ビブリオテーケー)をテオプラストスに譲り、テオプラストスはコリスコスの子のネレウスに譲った。ネレウスは小アジアのスケプシス(現トルコ領クルシュンル・テペ)に持ち帰り、彼は後継者たちに譲ったが、後継者たちは学問に通じておらず文庫を封印したままにして手を着けることがなかった。ペルガモンのアッタロス朝の王たちが自分たちの文庫のために書籍を収集していることを知り、奪われることを恐れた人たちはそれを地下倉に隠し、その破損が進んでしまった。その後に、前1世紀のアテナイの富豪・書籍の収集家であったアペリコンにそれらを売却した。アペリコンはそれを何とか修復して公にしたが、十分な出来とは言えずペリパトス派の哲学者たちはまともに勉強もできない状況であった。アペリコンの死後、ローマのスッラがアテナイを占領し、アペリコンの文庫をローマへと持ち帰り、それを専門家のテュラニオンに委ねた。
プルタルコスの『対比列伝・スッラ伝』ではその続きの顛末が記されている。文庫にはアリストテレスとテオプラトスの書物の大部分が含まれていたが、テュラニオンがその大部分を整理した。そしてロドスのアンドロニコスがそれを転写することを許され、公にし今に行われている著作目録の形にでまとめ上げた。ここにおいてようやくペリパトス派の哲学者たちもアリストテレスやテオプラストスの著作を精確に知ることが出来るようになり、それ以前の同派の哲学者たちはその機会がなかった。
アンドロニコスは転写した資料を内容に応じて分類し、独自に配列してこれを公刊した。この形式が中世においてアリストテレス全集の方式においても受け継がれている。ピロポノスは『自然学註解』において、シドンのポエトスは自然学から学問を始めるべきだと主張したが、彼の師であるアンドロニコスは論理学をもって始めるべきだとしたと伝えている。現在のアリストテレス全集の形式において、論理学諸書(オルガノン)が劈頭に置かれるのはアンドロニコスに由来するということを考えることができる。
論理学 『オルガノン』『範疇論』(『カテゴリー論』とも)『命題論』『分析論前書』『分析論後書』『トピカ』『詭弁論駁論』
自然学 『自然学』『天体論』『生成消滅論』『気象論』
生物・動物学 『霊魂論』『自然学小論集』『感覚と感覚されるものについて』『記憶と想起について』『睡眠と覚醒について』『夢について』『夢占いについて』『長命と短命について』『青年と老年について、生と死について、呼吸について』(古希: Περὶ νεότητος καὶ γήρως, καὶ ζωῆς καὶ θανάτου, καὶ ἀναπνοῆς)『青年と老年について、生と死について、呼吸について』『動物誌』『動物部分論』『動物運動論』『動物進行論』『動物発生論』
形而上学 『形而上学』
倫理学 『ニコマコス倫理学』『大道徳学』『エウデモス倫理学』政治学 『政治学』『アテナイ人の国制』
レトリックと詩学 『弁論術』『詩学』
偽書 ほとんどはペリパトス派(逍遙学派)の後輩たちの手による著作である。『宇宙論』『気息について』『小品集』『色について』『聞こえるものについて』『人相学』『植物について』『異聞集』『機械学』『不可分の線について』『風の方位と名称について』『メリッソス、クセノパネス、ゴルギアスについて』『問題集』『徳と悪徳について』『経済学』『家政学(家政術・家政論)』『オイコノミカ』とも)『アレクサンドロスに贈る弁論術』
後世への影響
後世「万学の祖」と称されるように、アリストテレスのもたらした知識体系は網羅的であり、当時としては完成度が高く、偉大なものであった。しかし、アリストテレスの学説の多くはローマ帝国崩壊後の混乱によって、西ヨーロッパではいったんほとんどが忘れ去られた。ただし、6世紀にボエティウスが『範疇論』と『命題論』をラテン語訳しており、これによってわずかにアリストテレスの学説が伝えられ、中世のアリストテレス研究の端緒となった。一方、西ヨーロッパで衰退したアリストテレスの学説は、東方のビザンツ帝国においてはよく維持され、529年にユスティニアヌス1世によってリュケイオンが閉鎖された後は、サーサーン朝ペルシアに移住したネストリウス派のキリスト教徒によって知識は保持され続けた。彼らはペルシア南西部のジュンディーシャープールに移住し、国王ホスロー1世の庇護のもとでこの時期にアリストテレスの著作のギリシア語からシリア語への翻訳が行われている。こうした文献は、830年にアッバース朝の第7代カリフ・マームーンが、バグダードに設立した知恵の館に収集され、シリア語やギリシア語からアラビア語への翻訳が行われた。この大翻訳事業によって訳されたアリストテレスの著作はイスラム文明に巨大な影響を与え、イスラム科学の隆盛の礎を築いた。なかでも、イブン・スィーナーはアリストテレスの影響を大きく受けており、アリストテレス哲学とイスラム科学との橋渡しの役割を果たした。
こうして保持され進化したアリストテレス哲学は、1150年から1210年にかけてアラビア語からラテン語にいくつかのアリストテレスの著作が翻訳されたことにより、ヨーロッパに再導入された。アリストテレスの学説はスコラ学に大きな影響を与え、13世紀のトマス・アクィナスによる神学への導入を経て、中世ヨーロッパの学者たちから支持されることになる。しかし、アリストテレスの諸説の妥当な部分だけでなく、混入した誤謬までもが無批判に支持されることになった。
例えば、現代の物理学、生物学に関る説では、デモクリトスの「原子論」「脳が知的活動の中心」説に対する、アリストテレスの「4元素論」「脳は血液を冷やす機関」説等も信奉され続けることになり、中世に至るまでこの学説に異論を唱える者は出てこなかった。
さらに、ガリレオ・ガリレイは太陽中心説(地動説)を巡って生涯アリストテレス学派と対立し、結果として裁判にまで巻き込まれることになった。当時のアリストテレス学派は、望遠鏡を「アリストテレスを侮辱する悪魔の道具」と見なし、覗くことすら拒んだとも言われる。古代ギリシアにおいて大いに科学を進歩させたアリストテレスの説が、後の時代には逆にそれを遅らせてしまったという皮肉な事態を招いたことになる。
ただ、その後の哲学におけるアリストテレスの影響も忘れてはならない。例えば、エドムント・フッサールの師であった哲学者フランツ・ブレンターノは、志向性という概念は自分が発見したものではなく、アリストテレスやスコラ哲学がすでに知っていたものであることを強調している。
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『ニコマコス倫理学』とは、古代ギリシアの哲学者アリストテレスの倫理学に関する著作群を、息子のニコマコスらが編纂しまとめた書物である。
アリストテレスは、様々な研究領域で業績を残しており、倫理学に関しても多くの草案や講義ノートなどを残した。後にニコマコスがそれらを編纂したものが『ニコマコス倫理学』である。総じて10巻から成り立ち、倫理学の基本的な問題である「正しい生き方」を検討している。倫理学の研究史において、古典的価値が認められ、注釈や研究も加えられている。
構成 概要 全10巻から成る。
まず第1巻にて、人間の性質としての「善(アガトン)」の追求と、その従属関係、そしてその最上位に来る「最高善(ト・アリストン)」について言及される冒頭の「序論」に続き、自足的・充足的な「最高善(ト・アリストン)」と同義であるとみなすことができる「幸福(エウダイモニア)」についての概説が論じられ、それが「究極的な卓越性(徳、アレテー)に即しての魂の活動」であることを確認した上で、その末尾において、「卓越性(徳、アレテー)」に関して、「倫理的卓越性」と「知性的卓越性」の区別が提示される。
それに続いて、各論として、第2巻-第4巻では「倫理的卓越性」第5巻では「正義(ディカイオシュネー)」(※「倫理的卓越性」の一部)第6巻では「知性的卓越性」第7巻では「抑制(エンクラテイア)」と「快楽(ヘードネー)」(※「卓越性・幸福」にまつわる補説1)第8巻-第9巻では「愛(ピリア(フィリア))」(※「卓越性・幸福」にまつわる補説2)について各々述べられ、最後の第10巻にて(直前に挿入された「快楽」についての別稿を経つつ)
「幸福(エウダイモニア)」についての総括、人間的・実践的・国家社会的観点が提示され、『政治学』への接続を匂わせつつ、締め括られる。
詳細
第1巻(序説、幸福)
第1巻 - 全13章
【序説】
第1章 - あらゆる人間活動は何らかの「善(アガトン)」を追求している。諸々の「善(アガトン)」の間には従属関係がある。
第2章 - 「人間的善」「最高善(ト・アリストン)」を目的とする活動は政治的活動である。我々の研究も政治学的な活動だと言える。
第3章 - 素材が許す以上の厳密性を期待すべきではない。聴講者の条件。
【幸福(エウダイモニア)】
第4章 - 「最高善(ト・アリストン)」が「幸福(エウダイモニア)」であることは万人の容認せざるを得ないところだが、「幸福」が何であるかについては異論がある(聴講者の条件としての善き「習慣付け」の重要性)。
第5章 - 「善」とか「幸福」とかは「快楽(ヘードネー)」や「名誉(ティメー)」や「富(プルートス)」には存しない。
第6章 - 「善のイデア」。
第7章 - 「最高善」は究極的な意味における目的であり自足的なものでなくてはならない。「幸福」はこのような性質を持つ。「幸福」とは何か、「人間の機能」から導く「幸福」の規定。
第8章 - この規定は「幸福」に関する従来の諸々の見解に適合する。
第9章 - 「幸福」は「学習」や「習慣付け」によって得られるものか、それとも神与のものか。
第10章 - 人は生存中に「幸福」な人と言われ得るか。
第11章 - 生きている人々の運・不運が死者の「幸福」に影響を持つか。
第12章 - 「幸福」は「賞賛すべきもの」に属するか「尊ぶべきもの」に属するか。
第13章 - 「卓越性(徳、アレテー)」論の序説 --- 人間の「機能」の区分。それに基づく人間の「卓越性(徳、アレテー)」の区別。「知性的卓越性」と「倫理的卓越性」。
第2巻(倫理的な卓越性(徳)についての概説1)
第2巻 - 全9章
【倫理的な卓越性(徳)についての概説】
第1章 - 倫理的な卓越性(徳、アレテー)は本性的に与えられているものではない。それは行為を習慣(エトス)化することによって生まれる。
第2章 - ではいかに行為すべきか、一般に過超と不足とを避けなければならない(中庸(メソテース))。
第3章 - 「快楽(ヘードネー)」や「苦痛(リュペー)」が徳に対して有する重要性。
第4章 - 徳を生じさせるに至る諸々の行為と、徳に即しての行為とは、同じ意味において「善き行為」であるのではない。
第5章 - 徳とは何か。それは「情念(パトス)」でも「能力(デュナミス)」でもなく「状態(ヘクシス)」である。
第6章 - ではいかなる「状態」であるか。それは「中(ト・メソン)」(中庸(メソテース))を選択すべき「状態」に他ならない。
第7章 - 前章の定義の例示。
第8章 - 両極端は「中(ト・メソン)」に対しても、また相互の間においても反対的である。
第9章 - 「中(ト・メソン)」を得るための実際的な助言。
第3巻(倫理的な卓越性(徳)についての概説2・各論1) 編集
第3巻 - 全12章
(つづき)
第1章 - 善い悪いと言われるのは「随意的」な行為である。「随意的」とは、1.強要的でなく、2.個々の場合の情況に関する無識に基づくものではない、ことを意味する。
第2章 - 徳は「善い行為」が更に、3.「選択(プロアイレシス)」に基づくものであることを要求する。「選択(プロアイレシス)」とは「前もって思量した」ことである必要がある。
第3章 - 「思量(ブーレウシス)」とは何か --- かくして「選択」とは「我々の自由と責任に属する事柄」に対する「思量的な欲求」である。
第4章 - 「選択」が目的への諸々の手立てに関わるのに対して、「願望(ブーレーシス)」は目的それ自身に関わる。
第5章 - かくして徳は我々の「自由(エレウテリア)」に属し、悪徳(カキア)もまた我々の責任に属する。
【倫理的な卓越性(徳)についての各論】
【勇敢(アンドレイア)】
第6章 - 「勇敢」は恐怖と平然(特に戦いにおける死)に関わる。
第7章 - それに対する悪徳、「怯懦(臆病、デイリア)」「無謀(トラシュテース)」など。
第8章 - 「勇敢」に似て非なるもの五つ。
第9章 - 「勇敢」の快苦との関係。
【節制(ソープロシュネー)】
第10章 - 「節制」は種として触覚的な肉体的快楽に関わる。
第11章 - 「節制」と「放埒(アコラシア)」「無感覚(アナイステーシア)」。
第12章 - 「放埒」は「怯懦(臆病)」より随意的なものであり、それだけにより多くの非難に値する。「放埒」と子供の「わがまま」の比較。
第4巻(倫理的な卓越性(徳)についての各論2)
第4巻 - 全9章
【財貨(クレーマタ)に関する徳】
第1章 - 「寛厚(エレウテリオテース)」(※「放漫」と「けち」の中庸。)
第2章 - 「豪華(メガロペレペイア)」(※価値あるものへの壮大な出費。「粗大・派手」と「細かさ」の中庸。)
【名誉(ティメー)に関する徳】
第3章 - 「矜持(メガロプシュキア)」(※「倨傲・傲慢」と「卑屈」の中庸。)
第4章 - (名誉心の過剰・欠如に対する)「中庸(メソテース)」
【怒り(オルゲー)に関する徳】
第5章 - 「温和(プラオテース)」(※「癇癪持ち」と「意気地なし」の中庸。)
【人間の接触に関する徳】
第6章 - 「親愛(ピリア(フィリア))的」(※是々非々の付き合い。「機嫌取り・屈従」と「反対屋・敵対」の中庸。)
第7章 - 「真実(アレーテイア)的、正直・率直」(※自己についての「虚飾」と「卑下(過剰謙遜)」の中庸。)
第8章 - 「機知(エウトラペリア)的、時宜わきまえ」(※遊び・冗談・滑稽(緊張緩和行為)に対する適度な構え。「卑陋・道化・悪乗り」と「野暮・堅物」の中庸。)
【徳に似て非なるもの】
第9章 - 「羞恥(アイドース)」
第5巻(正義) 編集
第5巻 - 全11章
【正義(ディカイオシュネー)】
第1章 - 広狭二義における「正義」。
第2章 - 狭義における「正義」。この意味の「正義」は「配分的正義」と「矯正的正義」に分かれる。
第3章 - 「配分的正義」(幾何学的比例に基づく)
第4章 - 「矯正的正義」(算術的比例に基づく)
第5章 - 「応報的」ということ。交易における「正義」。
第6章 - 「正義」と「市民社会」「法律」。
第7章 - 「市民的正義」における「自然法」と「人為法」。
第8章 - 厳密な意味における「不正を働く」ということ。
第9章 - 人は自ら進んで「不正を働く」ことができるか。配分における「不正」の非は誰にあるか。
第10章 - 「正義」に対する「宜」(よろしさ)の補訂的な働き。
第11章 - 人は自己に対して「不正」を働き得るか。
第6巻(知性的な卓越性(徳)についての概説・各論)
第6巻 - 全13章
【知性的な卓越性(徳)】
【概説】
第1章 - その論究の必要。魂の「ことわりを有する部分」の区分 --- 「認識的」部分と「勘考的」部分。
第2章 - 前者の目的は「純粋な真理認識」にあり、後者の目的は「実践的な真理認識」にある。
【各論】
第3章 - 「学(エピステーメー)」
第4章 - 「技術(テクネー)」
第5章 - 「知慮(プロネーシス(フロネシス))」
第6章 - 「直知(ヌース)」
第7章 - 「智慧(ソピア(ソフィア)」(「知慮」との比較)
第8章 - 「知慮」と政治。「知慮」は個別にも関わる。
【実践の領域に属するその他の知性的な卓越性(徳)】
第9章 - 「思量の巧者」
第10章 - 「ものわかり」「わかりの良さ」
第11章 - 「情理」(「ものわかり」や「直知」との共通性)
【知性的な卓越性(徳)に関する諸問題】
第12章 - 問題とその答え。
第13章 - つづき
第7巻(抑制と無抑制、快楽-A稿)
第7巻 - 全14章
【抑制(エンクラテイア)と無抑制(アクラシア)】
第1章 - 「悪徳(カキア)」「無抑制(アクラシア)」「獣的状態(テーリオテース)」とその反対。「抑制」と「無抑制」に関する通説。
第2章 - これらの見解に含まれている困難。こうした難点が解きほぐされなくてはならない。
第3章 - 抑制力の無い人は「知りつつ悪しきことを成す」のだとすればこの場合の「知りつつ」とは何を意味するのか。
第4章 - 「無抑制」はいかなる領域にわたるか。本来的な意味における「無抑制」と類似的な意味における「無抑制」。
第5章 - 「獣的」「病的」な性質の「無抑制」は厳密な意味で「無抑制」とは言えない。
第6章 - 「憤慨(テュモス)」についての「無抑制」は本来的な意味における「無抑制」ほど醜悪ではない。
第7章 - 「我慢強さ」「我慢無さ」と「抑制」「無抑制」の関係、「無抑制」の2種 --- 「せっかち」と「だらしなさ」。
第8章 - 「無抑制」と「悪徳」(放埒)の区別。
第9章 - 「抑制」「無抑制」に似て非なるもの。「抑制」も一つの「中庸」だと言える。
第10章 - 「怜悧(利口)」は「無抑制」と相容れても「知慮」は「無抑制」とは相容れない。
【快楽(ヘードネー)-A稿】
第11章 - 「快楽」の究明の必要。「快楽」は善ではないという三説とその論拠。
第12章 - 前章についての全面的な検討。
第13章 - つづき
第14章 - つづき
第8巻(愛1)
第8巻 - 全14章
【愛(ピリア(フィリア))】
第1章 - 「愛」の不可欠性とうるわしさ、いくらかの疑義。
第2章 - 「愛」の種類は一つではない。その種別は「愛されるもの」の三種 --- 「善きもの」「快適なもの」「有用なもの」 --- によって分かれる。
第3章 - したがって「愛」にも三種あるが、「善」のための「愛」が最も充分な意味における「愛」である。
第4章 - 「善」のための「愛」とそれ以外の「愛」との比較。
第5章 - 「愛」の場合における「状態」「活動」「情念」。
第6章 - 三種の「愛」の間における種々の関係。
第7章 - 優者と劣者の間の「愛」においては愛情の補足によって優劣の差が補われなくてはならない。
第8章 - 「愛」においては「愛される」よりも「愛する」ことが本質的である。
第9章 - 「愛」と「正義」の平行性。あらゆる共同体において各員の間に一定の「愛」が見出される。共同体の最も優位的なものは「国家共同体」である。
第10章 - 国制(ポリテイア)の種類と家庭関係への類比。
第11章 - 前章に応じた諸々の「愛」の形態。「愛」と「正義」は各種の共同関係において及ぶ限度が平行的である。
第12章 - 種々の「血族的な愛」「夫婦間の愛」。
第13章 - 各種の「愛」において生じる苦情への対策として、いかに相互の給付の均等性を保証するか --- 1.同種の動機による均等的な友の間において。
第14章 - 2.優者と劣者との間において。
第9巻(愛2)
第9巻 - 全12章
(つづき)
第1章 - 3.動機を異にする友の間において。
第2章 - 父親には全てを配すべきか。
第3章 - 「愛」の関係の断絶に関する諸問題。
第4章 - 「愛」の諸特性は「自愛」において最も明快に見られる。
第5章 - 「愛」と「好意」
第6章 - 「愛」と「協和」
第7章 - 善行者が被善行者を愛することは後者が前者を愛する以上であるのはなぜか。
第8章 - 「自愛」は不可であるか。
第9章 - 「幸福」な人は友を要するか。
第10章 - 友であるべき人の数には制限があるか。
第11章 - 「順境」と「逆境」のどちらにおいてより多く友を要するか。
第12章 - 「生を共にする」ということの「愛」における重要性。
第10巻(快楽-B稿、結び)
第10巻 - 全9章
【快楽(ヘードネー)-B稿】
第1章 - 「快楽」を論じる必要性。「快楽」の「善悪」に関する正反対の二説。その検討。
第2章 - 「快楽」は「善」であるとするエウドクソスの説。それに対する論駁の検討。
第3章 - 「快楽」は「善」ではないとする説。その検討。
第4章 - 「快楽」とは何か。
第5章 - 「快楽」には色々の「快楽」がある、活動にも色々あるごとく。では何が「人間の快楽」であるか。それは何が「人間の活動」であるかから明らかになるだろう。
【結び】
第6章 - 究極目的(テロス)とされた「幸福(エウダイモニア)」とは何か。それは何らかの即自的に望ましい活動でなくてはならない。だが「快楽(ヘードネー)」は「幸福」を構成はしない。「幸福」とは「卓越性(アレテー)」に即しての活動である。
第7章 - 究極的な「幸福」は「観照(テオーリア)的」な活動に存する。だがこうした純粋な生活は超人間的である。
第8章 - 人間的な「幸福」は「倫理的な実践」を含む合成的な「善き活動」に存する。
第9章 - 「倫理的卓越性」における善き「習慣付け(エトス)」の重要性。善き「習慣付け」のためには「法律(ノモス)」による知慮的にして権力ある「国家社会的な指導」が必要。「立法者的能力」の必要性。「立法(ノモテシア)」の問題は未開拓の分野である。我々は特に「国制(ポリテイア)」に関して論ずるだろう。 (『政治学』へと続く)
概要
書き出しで「いかなる技術や研究、実践や選択も、何らかの『善』を希求している」と取り上げ、「国(ポリス)においていかなる学問が行われるべきか、各人はいかなる学問をいかなる程度まで学ぶべきであるかを規律するのは『政治』であり、最も尊敬される能力、たとえば統帥・家政・弁論などもやはりその下に従属しているのをわれわれは見るのである。」と述べられている。「『人間というものの善』こそが政治の究極目的でなくてはならぬ」(第1巻第2章)とするが、「政治学の探求とは、知識ではなく実践が目的であり、年少者を含め情念(パトス)のままに追求するひとびとにとっては、無抑制的なひとに同じく知識は無益におわる」とも述べている(第1巻第3章)。
アリストテレスの見解によれば、人間にとって善い生活とは、「理性的で徳を伴った活動」である。徳とは、人間の性格における特性であり、さまざまな種類があるものの、幼少期から無意識に獲得される倫理的な徳と理性によって形成される知性的な徳とに二分される。そして、倫理的に追求するべき徳には、中庸という共通の構造があると述べられている。中庸とは、二つの悪徳の間に存在する構成する徳目である。たとえば、臆病と軽率という悪徳の中庸は、勇気である。また、野暮と道化という悪徳の中庸は、機知である。つまり、アリストテレスによれば、善い行為とは極端な行為ではなく節度ある行為であり、個々の状況に応じて適切な判断を下すことが善い生活をもたらすのである。アリストテレスは、幾何学における原理の追求という考え方を倫理学に持ち込むことを疑い、倫理学(形而上学)を実践的な学問だとして、独自の基準を認めていた(第2巻など)。
巻末(第10巻第9章)では、「よきひとたらんがためには、うるわしき育成や習慣づけを与えられること、そしてそれに基づいてよき営みのうちに生きてゆき、みずからすすんでする行為たると、然らざるとを問わず、あしき行為はおよそこれをなさないでゆくようにすることが必要であるとするならば、人々の生活が何らかの知性(ヌース)によって律せられ、強権を有するただしい指令によって律せられるのでなくてはならぬ。」と述べられ、「法律は政治学の作品のごときもの」として立法者的な素養を獲得する術を問題提起しながら締めくくっている。
内容
幸福
生きているということは植物にも共通の機能であると見られる。人間特有の機能として、魂(プシュケー)のことわりを有する部分の働きを考えるに、人間が行う活動の目的には、幸福がある。そして、「善きもの」「善きことがら」を追求するためには、正しい行動が重要である。幸福な生活のためには、一定の水準に達する金銭や容姿や家系も前提となる。しかし、より善く生きることは、より複雑な行為である。人生において生じるさまざまな状況に、自分の活動を適応させることが必要となるのである。それは、人間固有の特徴に基づく基準であり、動物などとは異なる人間的な卓越性を備えている人が善い人間である(第1巻第7、8、9章)。
放埓と怯懦、正義と不正義
怯懦(きょうだ)は、苦痛から生じる。それに対し、放埓(ほうらつ)は、快楽から生じる。したがって、放らつは、より随意的なものであって、より非難されるべきものである。放埓を意味する「アコラシア(=無懲戒)」は、子供のワガママという意味も持つ。また、「不正なひと」は、「過多をむさぼりがちな不均等的なひと」のみでなく、むしろ「かえってより少なきを選ぶもの」をも含むものであるといえる(第3巻第12章)。「けち」や「臆病」も不正義なのである(第4巻第1章など)。
名誉に関する徳、矜持とその中庸
矜持ある人とは、「自分が大きいものに値していると考え、事実それに値しているごときひと」を意味している。みずからの価値に依拠せずしてかく考える人は、「痴呆」である。もとより小さい値のものがその値を自覚するのは、「節度」あるひとである。みずから大きいものに値すると考えるのであれば「倨傲」であり、それ以下の価値しかないように考えるひとは「卑屈」である(第4巻第3章)。
穏和とは、「怒り」に関する中庸である。怒りの不足は「意気地なし」といえ、痴呆とも考えられる。逆に超過は「癇癪の強い」「執念深い」人となり、復讐や懲らしめを行わないではいられない。男らしいと考えることもあるが、気むずかしいほうが始末が悪い(第4巻第5章)。
通約的な正義としての流通貨幣
相互的な需要が存在しなければ、交易は行われない。貨幣は、たとえ今は何も必要なものがなかったとしても、必要が生じたときにはそれが手に入るという将来の交易を保障するには役に立つ。それは、必ずしも常に等しい値を持たない。しかし、他のものと比較すれば、より多く持続する傾きを備えている。あらゆるものに価格を付しておく必要性のゆえである。貨幣は、いわば尺度として、すべてを通約的にすることによって均等化する。交易なくしては共同関係はなく、交易は均等性なしには成立せず、均等性は通約性なしには存在しない。かくも著しい差異のあるいろいろのものが通約的となるということは本当は不可能なのであるが、需要ということへの関係から充分に可能となる。何等か単一的なものの存在することを要するのであって、このものは協定に基づく。貨幣がすべてを通約的たらしめ、あらゆるものが貨幣によって計量される(第5巻第5章)。
法の中庸性
法の存在するのは不正義の存在するひとびとの間においてであり、裁判とは「正」と「不正」との判定を意味する。ひとびとは、自分へは無条件な意味での善を過多に、また無条件的な悪を過少に配するということが現にある。支配者は「正」の守護者なのであり、「正」の守護者ならば「均等」の守護者でもなくてはならぬ。支配者が他人のために苦労するひとである所以である。支配者にはそれゆえ何らかの報酬が与えられるべきであり、それはすなわち、名誉であり優遇である。ただ、こういったものをもってしては充分としないひとが僭主となる(第5巻第6章)。
国制の種類
あらゆる共同体は国という共同体の一部分であり、共同体のそれぞれに応じてそれ相当のフィリア(愛)が存在する(第8巻第9章)。国制には「君主制」・「貴族制」・「ティモクラティア(有資産者制・制限民主制)」の三種があり、最善のものは「君主制」で、最低なものは「ティモクラティア」である。またそれぞれ三種の逸脱形態として、自己の功益を考える「僭主制」・国に属するものを価値に背いて配分する「寡頭制」・国制本来の形態から少し逸脱した「民主制」に移行していく可能性がみられる。父親の支配は「僭主制」のそれで、夫婦間の富と力に即しては「寡頭制」に変じ、主人がいなくみんなが均等である場合には「民主制」が行われる。支配者と被支配者とを通づるいかなる共同的なものも存在しない場合においては、「正」もないが、愛もまたありえない(第8巻第10、11章)。
愛、友人と恋愛
いかなる愛も、共同性において存立する。そして、愛は、「血族的な愛」と「親友仲間の愛」の二つに分類することができる。親は、自分の一部として我が子を愛でる。子の親に対する愛は、「善きもの・優越的なもの」に対する愛という意味を持っている。なお、親は、「存在・養育・教育」の因を成しており、快とか有用とかを多分に有している。また、兄弟の愛においては、親友仲間と同じ諸特性が見出される。夫婦の間に愛の存するのは、本性に則したものと考えられる。家は国に先立つところの、より不可欠的なものであり、生殖はもろもろの動物に通ずる共通的なことがらであっても、人間のもろもろの機能はつとに分化されており男性と女性とではすでにその機能を異にし、生活の要求する万般のことがらを目的とするものだからである(第8巻第12章)。
すべての非類似的な当事者間の愛において、お互いを均等化しその愛を保持するところのものは、「比例的(アナロゴン)」ということに他ならない。同国民の間における代償には、共通の尺度たる貨幣というものが与えられている。しかし、恋愛といったような性質のものになると、そうはいかない。一部の者は、相手の「ひととなり」ではなく、相手を快楽のゆえあるいは有用のゆえに愛しているに過ぎず、自分がまさに「必要とする価値に応じて」関心をもつものである(第9巻第1章)。「有用」とか「快」のゆえに友人たるひとびとのあいだにおいては、お互いがもはやこれらを持たなくなったとき、その愛(フィリア)を解消するにいたるとしても、少しもおかしくはないといえる(第9巻第3章)。
友人は、必要という点からいえば、逆境において有用なひとびとが必要とされる。しかし、うるわしいという点からいえば、順境においてよきひとびとに善を施すことのほうが、より好ましい。本能的に男性的なひとびとは、友人が自分と苦痛を共にしてくれることのないように気をくばるのであって、そうでない人は、嘆きあう仲間を悦ぶ。悪を分与することはできるだけ避くべきである(第9巻第11章)。恋愛しているひとびとにとっては、自分の恋人を見るということが望ましいことであり、親しい相手と「生を共にする」ということが何よりも好ましいのではないか。愛(フィリア)とは自他の共同なのである(第9巻第12章)。
ソクラテスとの対比
アリストテレスは、倫理的性状に関して、好ましくなく避けるべきものとして「悪徳」「無抑制」「獣性」の三者を述べている。そして、それらと対立する言葉として「徳」「抑制」「(神的な、英雄的な)我々を超えた徳」を挙げている。また、「正しい判断を下していながら無抑制に陥る」ことの意味を、ソクラテスのそれと対比させている。ソクラテスによると、「悪いことをするのは、無知による」という考えを採用している。つまり、悪いことをするのは、「認識を有していながら、快楽によって克服されるわけではなく、彼の有していたところのものは、実は単なる臆見でしかなかったのである」と主張するのである。それに対して、アリストテレスは、エウドクソスやプラトンを比較しながら、快楽(ヘドネー、肉体的なものも含み)を単独で「善」とせず、快楽に向かう「運動(キネーシス)」や「状態(ヘクシス)」や「生成(ゲネシス)」を考察する。そして、快楽を維持することが逆に「苦痛」を伴うことにも触れ、幸福な生活に向かう卓越性(アレテー)を伴った倫理的性状(エートス)として、中庸という概念を導いている(第7巻第1・2章、第10巻第2章など)。
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アリストテレスの著作量が膨大です。何というエネルギー…
勝手に宝石を三人に割り当ててみました。
○ソクラテス 水晶
○プラトン 琥珀
○アリストテレス 悩みます…金