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表現したいとは人間の本能だと思う。 「自分らしさ」と「表現」 

「表現」あるいは「表現する」とは、心理的、感情的、精神的などの内面的なものを、外面的、感性的形象として客観化すること。また、その客観的形象としての、表情・身振り・言語・記号・造形物など。
あるいは、自分の感情や思想・意思など内面的なものを外に出すこと。

ネットで調べると大体こんなふうにかかれている。
では、わたしが思いつく表現方法は、文章、絵、ダンス、歌、ファッション、写真、動画、話すこと、楽器を演奏すること、、、、
思い浮かぶのはこのくらい。あっ、一番簡単なのは顔(表情)。
ここ数年、わたしは「表現」したくてたまらない。
長年、自分の内にため込んできたもの量がついに限界に達したのか、もしくは自由に表現してもいい環境や状況にやっと慣れたのか。そして世の中的にも表現することのハードルがずいぶん低くなったこともあると思う(手段もふえて、だれもが当たり前のようにやっているなぁとおもう)
しかし、もともとの性格もあると思うけれど、育った環境やここまで生きてきたあいだの経験が、わたしに、表現することを難しくさせたように思う。

ところで先日、とあるドラッグストアのレジに並んでいたらこんなポスターを発見した。「身だしなみ×自分らしさ」というキャッチコピーのもとにアクセサリー、ネイル、髪型などと書いてあって、「従業員の身だしなみの緩和にご理解よろしくお願いします」と書いてあった。
だいぶ前から、だいたいどこのお店のアルバイトの子でもピアスしていたり髪色も色々だし、飲食店でさえもネイルアートしている(これについては最初見た時、昭和生まれのわたしは驚いてしまった)ことには気が付いていた。わざわざこんなポスターまで貼ることに違和を感じたけれど、「良い世の中になったわね」とおもった。
だって、わたしのバイト時代は(というか店によるけれど、その後も何年も)髪色規定があったし、ネイルもピアスもダメ、などという身だしなみの厳しいルールブックがあったから。ファッションを自己表現としたいものにとっては、働きたいならネイルも髪の毛も諦めるか、他を探すしかなかった。
話は変わるけど、遡って、中学時代が一番自由(表現の自由)を奪われたと思う。制服は良いとしても(女はスカートと決められていたので、キャラに合っていない子がいて可哀想だったけど)、髪型規定(色だけじゃなくて髪型までも)やスカートの長さチェックもされたり、運動系か吹奏楽か美術という数少ない選択肢の中の部活には絶対に入らなくちゃダメと決められていたし(だから実質帰宅部の美術部のさらに幽霊部員だったけど)、とにかくわたしは中学時代がいちばん息苦しさを感じていた。ちなみに、それだけじゃなくて人間関係ではじめて苦労した時期だったから中学時代はとってもつらかった(それなりには友達がいたのと、行かなくちゃ行けないと思っていたから頑張って行っていたけど)今みたいにネットも充実してなかったし、家と学校と近所くらいのとっても狭い世界でしか生きていなかった。高校になってだいぶ緩和されたけど。

大学に入ったときは、やっと自由になれたと思った。都内のまったく土地勘のない場所で初めて一人暮らしをして、誰も知らない人たちのなかで、はじまった生活。そのとき、自分のなかでものすごいエネルギーが湧き上がっていたことを今でもはっきり覚えている。
好きな服を着て、好きな髪型にして、どこにでも行けるし、何を食べても食べなくてもいいし、家中のものはぜんぶ自分で選べるし、学校に行きさえすればほんとうに自由だと思った。
それまでははっきり自覚していなかったのだけど、わたしは服が好きみたいで、タガが外れたかのように渋谷・原宿・代官山、それから高円寺下北沢(当時は古着が流行っていた)などのショップ巡りばかりしていた。
映画も好きなことに気が付いて、蔦屋で借りたり、ミニシアター系の映画館にもよく通った。「映画好き」と自称していて、同じく映画が好きと言う人と話すのもとても楽しかった。
お酒はものすごく弱いのに、勢いで飲んではよく、はしゃいでいた(今のわたしからしたら、想像がつかないかもしれない)
いま思えば、大学生の頃が唯一、自分を表現出来ていたかもしれない。もともとの性質上、悩むことも多くて苦しい日々もあったけれど。
子供の時よりはファッションという表現手段を知ったし、感情や思いを発散できる場所もあったし、表現できるといった意味ではこの時が最だったかもしれない。
そして社会人になって、また表現を見失ってしまったのだ。これはわたしが就職先を間違えたことがいけない。何がやりたいのか、どうなりたいのか、または何が得意なのかなど、自分のことをよく知らないで、というかぜんぜん考えないで、そういう時期だからと就活してたまたま採用してくれた会社に入った。生活できるお金をもらえれば、プライベートを楽しめば良いんだってずっと思っていた。でも別に夢中になれることやこれと言って趣味も見つけられず、洋服も好きなものは結局会社に着ていけないから買えなくなったし、働くことが中心の生活だった。そもそも社会不適合者かもしれないし、それから職を転々とし続けた。幸い、面接は得意な方だったので(大手の立派な会社には通用しませんが)若かったこともあって転職は全く問題なかったのだけど。
夫と出会って、相変わらず仕事は転々としていたけれど、ふたりで色んなところに出かけたり色んな経験をして、プライベートは充実して楽しくなった。
それでも、(性格上か)常に心にモヤモヤがあって、何かを求め続けて、そして今に至っている。

恥ずかしながら30代半ばくらいになってからやっと小説以外の本をたくさん読むようになって、色々と勉強するようになった。
自分に向き合って、自分を知る大切さも知った。対処の仕方も学んだ。だから今はもう、苦しくなることはほとんどないのだけど(とは言っても対策をとっていなければすぐに元の自分が現れてしまうので注意)、こんどは自分の中にグルグル渦巻いているものをどうにか外に出したくてたまらないのだ。
きっとそれが表現するということなのだと思う。 

24歳の時に夫と出会ってから、夫の意見と自分の意見の境が曖昧になっていた時期もあったし(夫は強くて、わたしには芯がなかったから)、ずっと自分を変えようとばかりしてきた。服だって夫の意見を聞かないと買えなくなってしまっているのはどうにかしたい!
「自分らしさ」という言葉にわたしは異常に憧れている。
ファッションなどの見た目からスタイルがある人や、好きなものや好きな事がはっきりしていてそれがよくわかる人をとくに羨ましくおもう。
わたしはまだ自分に合った表現手段を見つけられていない。今は文章かなと思っていて、ゆっくりだけれど続けることができている。でも、ブレーキがかかってしまっていて書けないことが多い(ここ最近は下書きがいっぱい)
そこを乗り越えることができたら、わたしはもう少し自由になれると信じている。











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