長野県佐久穂町に教育移住者が増え続けるワケ。子どもたちの未来は、大人たち、町の未来へとつながる【後編】
町の中心地、東町商店街から車で10分ほどの場所に、 大日向小学校・中学校(以下、大日向小中学校)はある。小学校182名、中学校49名、総生徒数231名。丘の上にある校舎は、見渡す限り森林に囲まれ、山間部の自然をいやおうなしに感じる。
大日向小学校は、2011年に閉校した「町立佐久東小学校」の校舎をリノベーションして開校、中学校は保育園跡地に新築した。それほど老朽化が進んでいない校舎が残っていたことも、この地が選ばれる追い風になったという。再び子どもたちの声が聞こえるようになったことで、佐久穂町に暮らす昔からの住民は大いに沸いたそうだ。旧住民にとっても、ここは特別な場所なのだ。
同校は、8つの基本原則を掲げている。
①インクルーシブな考え方を育てる
②学校のあり方を、人間的な民主的なモノとする
③対話
④教育の人類学化
⑤ホンモノ性
⑥自由
⑦批判的思考を育てる
⑧創造性
都市部では体験できない環境こそイエナプラン教育には不可欠であり、人や自然とオーガニックに触れ合うことで、「自分で考え、自分で動く」子どもを育てる。
「今もまだ悩みながら教えています。教育に正解はないですから」
そう話すのは、大日向中学校教諭・進路指導主任の福田健さん。2019年の開校時から教鞭を執る、同校の歩みを間近で見てきた人物でもある。
「福田先生は……」と話を続けようとすると、「久々に福田先生なんて言われて面映ゆいです」と頭をかく。「いつも子どもたちからは、“健さん”と呼ばれているんですよね」。
大日向小中学校は、いわゆる一般的な学校教育を受けてきた者からすれば、目を丸くすることだらけだ。時間割には、「サークル対話」「ブロックアワー」「ワールドオリエンテーション」という具合に、見たことも聞いたこともないコマが設けられている。
学年も、小学校は下学年(1・2年生)、中学年(3・4年生)、高学年(5・6年生)の2学年1クラス制。中学校では、3学年2クラスの異学年混在の学級構成を採用している。「〇年△組」といった教室はなく、宿題も存在しないという。
しかし、そんな馴染みのない教育を提案する学校が、今では一学年の定数30名を大きく上回る募集を集めるほど人気を博している。
「『サークル対話』は、僕たち大人も混ざって、週末にあったことやクラスの中の出来事など、お互いに顔が見えるようにサークル(輪)になって話す、いわばホームルーム的な時間。『ブロックアワー』は、子ども一人ひとりが自ら課題を決め、計画を立てて自分たちの学習速度で進める時間です。『ワールドオリエンテーション』は、リアルな題材をもとに、子どもたちが協働で探求する総合的な学びです。1つのテーマを2~3か月かけて掘り下げることもあり、『ブロックアワー』で得た知識やスキルの生きた活用法を学んでいきます」(健さん)
国語、数学、英語というように複数教科の課題があるが、どの順番で取り組むかは子ども次第だ。その際、「インストラクション」と呼ばれる15~20分ほどの小さな授業を設けることで、生徒たちに好奇の芽を促すようにしている。それをもとに、「ブロックアワー」を自己決定していく。
「子どもたちは、1週間でどこまで達成できたかを報告し、現在地を僕らと共有します。思うような成果が上がらなければ話し合い、どうすれば達成できるかを一緒に考える。イエナプランでは、同じ空間に異なる課題に取り組む子どもたちがいる。そのため、数学を勉強している子が、英語を勉強している子どもの手助けをするといったことが日常茶飯事なんですね」(健さん)
福田先生……いや、健さんは、長野県の公立小学校・中学校の教諭として勤務していた。子どもたちの自発性を伸ばすような教育を実現できないか模索していたと話す。
「グループ学習をしても、子どもたちの間で温度差があることにモヤモヤしていました。一度、外に出て研究したいと思い、上越教育大学の大学院へ2年間学びに行きました」(健さん)
その際、上越教育大学大学院教授・西川純氏が提案する『学び合い』に共感した。『学び合い』では、教師が提示した課題に対して、子どもたちが自由にグループを作ったり相談しあったりしながら学ぶ。
2年間の大学院研究を終えると、再び公立の学校の教壇に立った。学んできたことを実践した。同僚である先生たちとも共有し、手ごたえを感じていた。
「上手くできていたと思うし、楽しかったです。ですが、担任が変われば、違う先生が受け持つことになる。今できていることが、継続的にできるとは限らないですよね。『学び合い』は、学校全体の方針ではないわけですから」(健さん)
しばらくすると、自宅と目と鼻の先に、大日向小学校なる日本初のイエナプラン教育を実践する学校が開校することを知った。「運命だと思いました。これは呼ばれているなって」。そう言って、にこりと微笑む。
「大日向は、学校の方針が僕が目指すものだった。何より、日本の教育が変わるきっかけとなる場所に自分もいたいという思いがあったんですよね。でも、実際に教員となって教えてみると、なかなか自信を得られなかった。頭では分かっているつもりでも、『これは本当にイエナプラン教育と呼べるものを実践しているのか?』って不安を覚えてしまって」(健さん)
ここ日本では前例がないのだから答えもない。ましてや教育に、全員が全員、「正解」と口を揃える、都合の良い解釈はないだろう。だからこそ、「一人ひとりが自分らしさを育む」ためにイエナプラン教育は始まったのだから。
「やりながら『こういうことでいいんだ』と、僕たちも理解していくしかない。僕は中学生を担当しているのですが、1年生用の『インストラクション』を始めようとしたら、2年生と3年生が『気になるから』と参加したんですね。自分が必要だと思うから復習する。こういった行動を見ると、ここでしかできないことだと感じるし、イエナプラン教育を実践できているのだとうれしくなります」(健さん)
子どもたちと伴走する教育、子どもたちを尊重する親
大日向小学校で子どもたちがどう成長するかを、親も優しく見守っている。前出の内村智子さんは、「自分の考え方にも変化が生じている」と語る。
「寒い日にジャケットを持たずに外へ出ると、『上着を持っていったら』と伝えていました。子どもが、『大丈夫』と言っても、『寒くなるから!』と無理やり渡していたんですね。ですが、今は子どもが大丈夫と言っているなら、その意思を尊重しようと渡さなくなりました(笑)。子どもが選んだ選択を見守り、応援できる親でありたいって」(内村さん)
大日向小中学校では、新しくクラブを作る場合、自分を含めて5人を集めなければならないそうだ。どうして、それを、何のために、やりたいのか――自分たちで考えなければいけない。
「大日向での生活は、毎日が小さな選択の連続だと思うんです。大人になったら、もっと大きな選択に迫られる。生きる上で大切なことを、小さいときから育んでいるんじゃないかなと思います」(内村さん)
この話を隣で聞いていた、同じく息子さんを大日向小学校へ通わせているカフェ「potta(ポッタ)」のオーナー(お父さん)が、「そう思いたい!」と笑いながらうなづく。
「子どもって、どうしても足が遅い子、早い子というように差異がありますよね。ときには、それがいじめにつながったりもする。だけど、息子が『大日向はそういうことが少ないから、僕はここに来てよかった』と話してくれたときは、親としてすごく安心しました」(pottaのオーナー)
一方で、「僕たちにとっても初めてのことだから、実際に子どもがどう成長していくか不安でもある」と披歴する。
「きっと高校生になる頃には、自分が向いていること、やりたいことも見つかっている……と思うんだけど(笑)、学力に応じて受ける受験ではなく、やりたいことをするための受験であってほしい。学校の先生と親との三者面談の中で、『学力がこれくらいだからここを受けた方がいい』みたいな受動的な人生の決め方を、親の押し付けかもしれないけど、子どもにはしてほしくないんですよね。自分で決められる人生にしてほしい。でも、高校生活は大日向とはまったく違う学校環境になる可能性もあるだろうから、そこに対応できるのか……いろいろと不安は尽きないですよね」(pottaのオーナー)
今回の取材でそうした声があったことを、率直に健さんに伝えてみた。「僕も不安ですよ」。正直な気持ちが返ってきた。
「イエナプラン教育は、すべての子どもにフィットするとは思っていません。向き、不向きはあると思う。ですが、イエナプラン教育は決して自主学習ではない。きちんと僕たちが伴走するプログラムになっている。使う教材も全員一緒ではなく、その生徒に合ったものを使用するようにしています。子どもたちが迷ったり、立ち止まったりしたときに、僕たち教員は何をするべきなのか。きちんと向き合うためのイエナプラン教育なんですね」(健さん)
ここで育った子どもたちが、どんな大人になってほしいか。健さんに訊いた。
「曖昧な言葉になりますが、自信を持って『わたしは幸せ』って言える子になってほしい。夢を叶えてほしいとか、好きなことにチャレンジしてほしいとか、僕らの願いはたくさんあるけど、 フィットしない子も出てくると思うんです。実際、ここにいる生徒たちは、めちゃくちゃ個性が尖がっていて、面白い子たちばかりです。みんながみんな同じじゃない。だけど、心が豊かな子どもに育ってほしいです」(健さん)
子どもの自主性を育てながら、のびのびと親と子が共生する。いつしかその時間は種となり、町に新しい躍動を萌芽させるかもしれない。
引っ越しと移住の差異は何なのか。個人的に、ずっと考えていた。この町を訪れて、そのボーダーが明確になった気がする。引っ越しは地続きで生活がつながっているのに対して、移住は真っ新なキャンパスに新しい生活を描いていくことではないかと思う。1を10にするのも大変だが、0から1を作る――。そんな気持ちが移住には求められるように思う。
佐久穂町の教育移住には、時間の経過とともに人が環っていく舞台装置がある。役場が新住民と旧住民をつなぎ、移住者が新しいお店を作るなど展開させ、大日向小中学校では子どもたちが大人顔負けの選択をしている。みんなが育っていく土壌がある。
大日向小学校のパンフレットにはこうある。
「子どもたちの未来は、大人たちの未来でもある」
正解はない。だが近い将来、この町はきっと面白い答え合わせをしてくれる。そんな気がしてならないのだ。
(了)
取材・文:我妻弘崇 撮影:山口絵里子
編集:小坂朗(アジョンス・ドゥ・原生林) 企画制作:國學院大學