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オノ・ヨーコさんの平和への祈り

テレビで流れていたオノ・ヨーコさんの夫、ジョンレノンの記録。

彼が銃弾に倒れた12月8日は妻であるオノ・ヨーコが銃のない世界への祈りを込めて毎年この写真を
ツイートするそうだ。

マンハッタンを背にする窓際でとったジョンレノンの血の付いた眼鏡。

正直、このテレビを見るまでジョンレノンが射殺されたことを忘れていた。

時々アビーロードでビートルズのジャケットの真似をして写真を撮っている人の映像を見たときに、またお宝探偵団の再放送を見たときに流れてくるビートルズで思い出すくらいだった。

ジョンレノンとは

1960年代に一世を風靡したビートルズというイギリスのロックバンドのリーダーである。

1966年、JALの飛行機で来日した際、搭乗口から降りてきた彼らを見て失神したファンが多かったことに驚いたが、あまり外国のスターが来る時代ではなかったことがうかがえる。

ジョンレノンの歌はきちんと聞いたことはないが、ほとんどの曲がどこかで流れていてどこかで聞いた曲ばかりだ。

最初の結婚はビートルズの全盛期でお子さんもいらしたそうだが子育てにはまったく参加できなかった。それが原因で別れてしまった。

そのため、オノ・ヨーコとの間に子供が生まれたときはなんと一切の音楽活動をやめて子育てと家事をしたそうだ。

毎日何をしているの?
と聞いた友人に

パンをつくったり、子どもの面倒を見るのは
一日がかりの仕事だよ。
主婦に栄誉が与えられないのはなぜだい?

と答えたそうだ。

転機が訪れたのは彼の息子のショーンが4歳になったとき。

友達の家で聞いたビートルズの曲を口ずさんだことから自分が音楽を作っているところを見せたい、そう思って活動を再開した。

再開後初めてのアルバムはオノ・ヨーコとのコラボレーション。
有名なイマジンであった。

悲劇が訪れるのはこの頃。
セカンドアルバムを作成していた頃であった。

ある日、出待ちをしていたファンにサインをし、声をかけて出かけた。
その5時間後、戻ってきたところでなんと朝サインをしたファンの一人に射殺されてしまう。

まだやりたいこともあっただろう。
息子の成長もみたかっただろう。

その番組では日常も語られていた。

朝起きたら、息子が何を食べるか観察するんだ。

ヨーコが仕事に行く日はエスプレッソのコーヒーを入れて持たせていた。

彼女が職場で飲めるようにね。

そんな優しい語り口がジョンレノンの穏やかな日常を思い描かせる。


残された彼の血の付いた眼鏡だけがオノ・ヨーコに残されたジョンレノンの一部であった。

日本は幸いなことに銃のほとんどない世界だけれども、世の中にはまだ沢山の不幸なことが起こっている。

人としてのジョンレノンに触れることができて私は遅まきながらファンになった。

12月8日、私もこの日は銃のない世界が来ることを祈ることに決めた。

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ココ@コーチング薬剤師
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