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そこにあったもの

宿泊業をはじめて今年で8年目になる。
とりあえず3年やって合わなかったらやめようと思っていたけど、なんだか楽しくてここまで続けられている。本当にあっという間だ。


いまは上川町の層雲峡ホステルというゲストハウスを主軸でやっているけど、その前に関わっていた旭川の小さな宿がある。
その宿がなかったら僕は宿泊業をはじめていないと思う。





『ゲストハウスのヘルパー募集』


誰かがシェアした投稿をみて、地元旭川にも面白そうな場所をつくっている人がいるんだと何回もその文章を読んだ。
疲れたくないけどなんか暇という日常だったし、何か手伝いながら楽しいことに混ざれないかなとすぐに面接に。

宿に行くと、電気は薄暗くて、部屋には高さが合っていないベッド、入ったらどこかにワープしそうなシャワー、リビングに小便器が2つ現代アートのようにくっついていた。

一応、宿。そんな施設だった。
当時の宿泊料は2000円とかだったと思う。

オーナーは当時医大生。学生だから普段の掃除だったりチェックインもサポートしてほしいとのことでスタッフを募集していた。
話していても、「良い~!」とか「すごい~」とかふにゃふにゃ人のことを肯定してくれるシャキッとしてるよりは柔らかい人だ。

「ものづくりがしたかったし、ひとが集まってそれぞれのやりたいことをする場をつくりたくて宿をはじめちゃった」と。

なんで宿なんだ?カフェでも良いんじゃ?学生卒業したらどうするの?疑問はたくさん。
そして宿ってこんな設備で大丈夫?と思ったし、部屋の隅にたまった埃を見て自分にもなんかできそうだと思った。



ヘルパーとなってからは、ちゃんと旅人が泊まりに来ていたこともあり、行けるときは掃除をしたり、他のスタッフにご飯をつくったり、何より来てくれたゲストと話をしに行くように。

オーナーが柔らかく、「良いねぇ~、それ宿でやってよ~」と色んな人と話すもんだから次第に関わるヘルパーやスタッフも増え、小さなイベントがたくさん行われるようになっていた。
すごく小さい宿だったけど、あそこにいけばなんかできるかも、なんかやってるかもという空間になっていた。本当にすごい。

トークイベントたくさんやっていた
英会話教室(窓を黒板にして)
駐車場でやった私的なおまつり(BIG FISHみたいなことやりたかった)
ボランティアというたまになんかする人と、ヘルパースタッフはめっちゃ増えた

とにもかくにも、色んな人と話した。
めっちゃためになる話をする日もあったし、よくわからないなあって日もあった。そこに行けばなんかあった日になった。

市のまちづくりコンペに宿チームで出させてもらった時のオーナーの発表は今でも覚えている。

まちづくりというと"住んでいる人を幸せにしたり楽しませるためにどうするのか"と考えると思う。
でも個人的なやりたいことをやっていると、それにつられて周りが二次的に活性化していくこともあるんじゃないか。
地域活性化なんて考えずに僕がやりたくて宿をつくったけど、いまはスタッフが色々やってくれて宿のまわりも元気になっている。むしろそっちの方が自然かもしれない。


しばらくして、スタッフの卒業とオーナーが東京で医者になることが重なり、宿の運営が細くなっていた時。
僕が公務員を辞めて宿をやりたいと言うと、オーナーは「良いねぇ~、うちの宿でやってよ~できるよ~」と毎度の感じ。

なんかわかんないけどやってみようかな
無責任ともとれるエールに元気が出た。

次の年、するすると公務員をやめて僕はその宿のマネージャーになった。



そして忘れもしない、改装を経て自分がマネージャーになってリニューアルオープンした日。

満床の予約に対して泊まってくれた人は半分だった。


予約があるのに来ない人がいたり、宿の中を見てここには泊まれないと言われたり。

初めてのチェックイン受付。自信と不安を持ってゲストを待っていただけに、悔しさと恥ずかしさで満杯になる。
泣きそうになったけど、もちろん泊まってくれる人たちがいるので、初日なのにいつも通りな感じで対応した。


あまり寝れずに迎えた翌朝、早起きしているゲストと宿に入る日の光を見て、夜とは違う顔の建物にぞくぞくした。
決めたのだからやってみるぞ…!

そこからは毎日24時間営業。掃除、チェックイン、ゲストとのお話。
本気で向き合っていたし、その日のゲストたちの最大公約数の幸せの場をつくることがなによりのやりがいになっていた。

定員がたったの8人という規模だったこともあり、ゲストと一緒にご飯に行ったり、はじめましてのゲストと悩みを吐露し合ったり、宿というよりはホームステイに近かったかもしれない。

そして1年の運営を経て、次のマネージャーへと引継いで卒業。
層雲峡ホステルを開業した。



現在その宿は閉館、もっと言うと更地になっている。(コロナで前向きに閉館した)

小さな建物がなくなっただけ。

でも僕が見ると、関わった人々、勉強になったあれこれ、楽しさと悔しさ、自分がそこにいたことを想い、眉の下がったため息がでる。


いま上川町でもう一件宿をつくっているところで、今後その物件とどう向き合っていくか、何年やるか、その後はどうするか。

そんなことばかり考えて、守りに入ったりちょっと苦しくなったりしていたけれど、物やサービスは諸行無常でいつかはなくなるもの。

その場の思い出を人に残していくだけとスッと割り切れてきた。

誰かにとって大事な『そこにあったもの』にすること。


そのつくっている宿『ANSHINDO』は6月22日にオープン予定。
現在進行形で工事が進んでいます。もう少し、頑張るぞー!


宿レトロハウス銀座旭川、けんしんさん、ありがとう~!

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