見出し画像

SNSの落とし穴

フィードバックがもらえるのはありがたい。

noteでいえばスキとかFacebookでいうといいね!とか。

最初はやったー!的な感じがあるけど、次第に続けていくと目的が変わってくることがある。

気に入られようとして良い風に書いたり、良い風な写真を添付してみたり。


記事や写真は瞬間の切り抜きでしかないから、それで100%の判断は危険だし、瞬間だけが全てではない。

例えば、成し遂げたい目標があるならば、目標を達成した後に待つ世界はどんなものか想像した方がよいと思う。

目標を達成するだけだと、その先がないから虚無感を感じることがある。

なんちゃらロスみたいな感じ。


そこで、話は戻っていって、フィードバックはありがたいけれども、単なる「スキ」とか「いいね」を獲得するために、良い風なことは書かずに、自分の人生の目的に沿ったカタチで書かないといけないなってこと。

そうしないと、人が喜ぶ記事を書くところに寄りすぎて

人のために

人のために

人のために

記事を書いていくことになる。


で結局人のために生きて、自分のため???

みたいになる。


そこで、まずは自分を満たすことを知っておくと良い。

ちなみに私は子どもと戯れると満たされる。

あとは草いじりとか音楽とか。

そして、それで相手が喜べば良いのかな、と。

草いじりが嫌な人のために草いじりが嫌いな私が

「喜ばせよう!」

としてやると、誰かが「嫌」を引き受けることになるけど、私が「スキ」なら役に立ち、かつ、私自身が満たされるので、OK。

評価は気にしないぜっ!

という訳ではないけど、あまり拘らず、かつ、適切なフィードバックは活かしつつ研鑽する。

これが一番大切だと感じる。

色々なものに惑わされず、「自分」にフォーカスを当て続け、時には「今の自分」が受け入れ難いものでも、敢えて受け取ってみたり、、、。

必要以上に他人の評価を気にしてませんか?

ってことで!

虐待に関する電話はおよそ4分に1件。来年から児童養護施設の対象の児童が在宅支援になることもあり、さらに発見することが難しくなります。教育と虐待。線引きは明確ではないでしょうが、可能な限り関わっていきます。