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決められることの数は?

何個くらいありますか?

 私たちは自分で決められることはどの程度あるでしょうか。

そして、その決められることをきちんと決めて生きてますか

習慣とは私たちが決められる範囲のことを決めて、歩んでいく旅のようなものだと思います。

もちろん習慣を続けていくと決められる範囲のことが広がっていき、また、その中から決めて歩みを進めていくので、「成長する習慣」と呼ぶことが出来るのです。

自分で決めていない

 私は今まで生きてきた社会人生活の中ではサラリーマン時代が一番長いです。

13年お世話になりましたので、その中で生活をしていました。

しかし、その13年という長い月日をきちんと活用できたか、と言われるとそうではないような気がします。

一番感じるのは私が決めれらることの中から決めたものは前半8年位はありませんでした。

会社が決めたことをきちんとやり、その中で生きてきました

会社が決めていない時間、つまり、自分にとっての休日はやりたいことをやっていたような気がしていましたが短絡的で、何かにつながるといったことは少なかったような気がします。

例えば、昼から飲んでみるとか、とりあえず中央街に行ってみるとか、あまり行動に目的がなく、よく言うストレス発散的な行動をしていました。

なので、冷静に考えると会社で決められたことをやり、その中で私が決めたことは何一つないため、ストレスが溜まる、さらに溜まったストレスを発散させるために、会社が決めていない時間は私のストレス発散の時間に充てるという構図です。

悪循環でした

 この状態で8年位過ごすと、決断力がなくなっていきます。

決断する機会と継続する仕組みがありません。習慣は惰性となり、理想の「いつか自由な時間を獲得してやる」という想いも無理かな、とか思ってくるわけです。

そんな風に過ごした後、ささいなきっかけで自分のことを自分で決めて、行動範囲を広めていくわけですが、まずは決められることを落ち着いて考えてみることが必要だな、と最近も思っています。

決められることはたくさんあった

 8年間は決められることを極端に狭めていたので、ちょっとした時間の無駄になっていましたが、実際は会社に行かなくても良かったわけです。

辞めても死ぬわけではありません。

失業保険とかいろいろな制度を利用しながら生きていくことは可能であったにもかかわらず、辞めるという選択の余地はなかったように感じます。

辞めると収入が無くなり、生活が出来なくなる、みたいに思っていました。半分当たりで半分違います。正確には辞めると、今のライフスタイルを続けることは困難となりますが、別のライフスタイルは手に入るのです。

バランスをすぐに違う形で

 今まで会社が決めたことに対して時間を割いていたのに、その「決めたこと」の主体が自分になるので、決断力は上がります。

私たちも、一つずつ私たち自身で決めて、行動し、決めたことを守るというスタイルが習慣の良いところです。

もちろん決めたことが全て「正解」であれば何の苦労も何の辛い思いもしませんが、決めたこと自体には価値があると思います。

何一つ決められない方からの批判はこの際笑顔で流しつつ、私たちが決められる範囲の物事を1つずつ増やす旅に出掛けましょう

虐待に関する電話はおよそ4分に1件。来年から児童養護施設の対象の児童が在宅支援になることもあり、さらに発見することが難しくなります。教育と虐待。線引きは明確ではないでしょうが、可能な限り関わっていきます。