成熟過程と促進的環境(完訳版)/D.W.ウィニコット著
ウィニコットの名著の完訳が届きました。
5-6年ぶりに目を通しましたが、(特に「1人でいること」の論稿)まず、大矢先生の訳がすごく読みやすい訳であるということと、臨床経験に伴って、自分の中でも響き方が変わってきている、ということ。
ウィニコットのいう、1人でいる能力、とは
「そこに誰かがいてもひとりでいられるということ」と。
例えばひきこもり、という状態像のひとたちと合っていると、このひとりでいる、とかくつろいでいる、ということがとても困難なのだ、と思うことが多い。
誰かといると、あるいは周りになにか刺激があると、こころの中は「誰かや何かでいっぱいになってしまう」。
まるで自分と外の境界を保護する膜がないように、他者が自己の中に通過してしまい、相手たちのことで心的にいっぱいいっぱいになって、疲弊してしまう。
そこには「私(「I」)」という体験自体が不可能になっているような印象を受ける。
適応のために本当の自己は解離される。プライベートな自己は秘匿される。
リラックスしたり、くつろいで自由に感覚を味わったり、ものを想うということがとても大切。
そうした1人でいることすら経験できないときに、誰かといる、ということは非常に侵襲的で、存在自体を脅かされる体験なのだろう。
そのことを支援にあたる家族や専門家にこそ伝えたい。
解釈やことばを届ける前に、私がある(being)ということ自体を援助することの重要性が必然的に導かれる。
周囲や家族との面談の中でも、安心感、安全感をつくることがまず最優先される理由もここにある。
治療者が発達促進的な環境をマネージメントすることの意義は不登校ひきこもり数の激増している今日の日本でなおのこと意味が重いと思われる。
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