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ゆっくり、本を受け取る器を育て中

つごう、二年かけても読了できていない本がある。
現代小説だ。
まだ、小説をほとんど読む習慣がなかったのに、その場の流れで買った三冊のうちの一冊。

なんどもトライし続けていたが、いっこうに読み進めることができなくて、長くねかしていた。

それでも、今年は小説強化年として、自分でも驚くほど小説を読めるかも!と色めき立ったので、この二年ねかした小説も、読みたいし読めるかもと期待をしつつ、今日久しぶりにその本を開いた。

ちょうど、恋がはじまるかもって雰囲気が漂い始めて、がぜん読めそうな気がしてきた(笑)。

淡々と過ぎていく日常の描写が続き動きを感じられないと、途中で読むのをあきらめてしまう。私がこれまで小説を読めなかった理由は、ほぼ、これだ。

でも日常では、そんなにドラマティックなことは、しょっちゅう起こらないし、むしろその方が安心なのだ。

毎日、ごちそう続きだと胃ももたれる。

地味な日々がささえてくれるから
特別な日が生きる。

ハレとケ。
そういうことを教えてくれるのも小説のよいところだ。

最近は、小さなことを、どれだけ深く味わえるか。
それも大事なんだと思うようになった。

さて、二年越しのこの本、読めたらうれしいな。

ちなみに三冊のうちのあとの一冊は時代物の小説。
二年前は、1ページ目でもう読めないと思って本を閉じてしまった。
あきらめが早い。
でも、これは少し前に読むことができた。
そして、予想を超えておもしろく、一週間ほどで読了できた。
時代は違えど人情の機微は同じで、おもしろいのだ。

自分の器が、その本に合う大きさになっていたら
味がわかって読了できることもあるし
本が、器を大きくしてくれることもある。

本との関係は、おもしろい。
あきらめずに関わると理解できる日がやってくる。

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