noteを書きはじめるためのパターン
noteを書き始めてから79日。
なんでこんなにはっきりわかるかと言うと、このアカウントで書き始めてから1日1投稿しているからです。noteは継続して投稿していると「○○日目です。すごい!」みたいな応援ポップアップが出てくるので、日数がわかる。
ある程度こうして書き続けてみてわかったのですが、noteを書きはじめるためのパターンがあるということ。何種類かある。あくまで、自分の場合、ですが。
今日はこのパターンの中身を紹介したいと思います。
「書けないなぁ」とお悩みの方にとってなにか部分的にでも参考になれば幸いです。
なぜ「書きはじめ」なのか
僕の場合は、書きはじめてしまえば、ほぼほぼ書き切れます。たとえ書き始めた記事が下書きの時点で「なんか違う」と思ってボツっても、書いているときの「ノリ」みたいなものが手に残っていて、それを利用することで新しい投稿が書けます。
逆に、書きはじめるところ(0文字目)で詰まると、急ブレーキがかかったような状態になり、思考停止します。
だから「書きはじめ」にはかなり注意を払う。永遠のテーマくらいに思ってる。
自分の場合は「あれ、どうやって書きはじめるんだっけ?」という感じで、「書きはじめる」パターンがすぽーーーんと頭から抜けてしまって → 脱力ということが時々あります。
なので、この投稿は、今時点の「書ける」パターンを残しておきたいという意図もあります。
まずは「書けるパターン」を2つ紹介します。その後、「書けない」パターンも2つ紹介します。
書けるパターン1: 誰か特定の人に向けて書く
自分の場合はこれが一番書けます。「誰か」とは、主に、
・仕事仲間/クライアント/友人
そして、
・自分自身
ですね。
この人たちに向けて書く。書く必要のあることを書く。
なにを書くかは、その人と自分の間の関係性の中に必然的にあるもの。
で、それだけでは読み物にならないので、背景的なことを書き加えたりします。
その上で、余計な情報を削ったり、プライベートな事柄をぼかしたり…などしていると、あら不思議、ひとつ投稿が出来上がってしまいます。
ホント、このパターンは無理なく書ける。
思うに、書く必要のあることを的確に書く、というトレーニングは、日常的にやっている人が今は多いはずです。僕自身もそうです。
どこでトレーニングしているかというと、メールやチャット、もしくは、SNS内での告知や伝達においてです。
僕の場合はダントツでチャットですね。
特にIT関係の仕事の方はそうだと思いますが、チャットで的確に情報を伝えられるかどうかって、完全に死活問題なんですよ。
ここでつまずくと1日が悲惨なことになる。だから、チャットでの発言・文章作成にはかなり気を使っているはず。時間、労力の両面で相応のリソースを割いているはず。
もう修行の域ですよ。
このスキルをnote投稿に活かさない手はない、と思うわけです。
チャットに書くような具体的な内容の文章がいくつかあって、それらをパーツ的に見る。一部をぼかしたり端折ったりしながらつなげていく。
これはそれほど難しいことじゃありません。
この「書けるパターン」のコアの部分にこの考え方があります。
最初はコラージュ的でもよいから、白い部分が埋まってくれれば、そこから調整するのはそれほど難しくない、という感覚。
この感覚に共感してくれる人はこの「書けるパターン」にも同意してくれる可能性が高いと思います。
逆に、ぼやっとしているイメージから文章を起こしていくのは個人的に苦手です。すごく時間がかかる。もしくは、文字に起こすことが不可能かのどちらかですね。あくまで個人的に、ですが。
※ 抽象的なイメージから文章にブレイクダウンするほうが得意な方もたくさんいらっしゃいます。僕はその逆というだけです。具象的なことから帰納的にメッセージの骨組みを組み立てていって、どっかで「エイヤ!」とひとつの投稿の体にまとめるほうが楽ですね。
書けるパターン2: 自動的に書ける
自動的に書ける…、うん、そうとしか表現できないパターンが存在します。なんのハウツーにもならんですが、事実として報告します。
僕の場合これが結構多いのですよ。まさしくこの投稿もそのひとつです。
内容がどうこうじゃないんですよね。なにを伝えているかというコンテンツの部分の問題ではなくて、「書く」という行為の話なので。
例えば、コンビニへお昼を買いに行こうと思って部屋を出る、コンビニに着く、お弁当を買って帰る…、この間、人は「歩く」という行為をずっと持続していますが、一歩一歩を考えて歩いている人はまずいないと思います。
自動的に歩きますよね。単なる運動です。
書くことも慣れてしまえばただの運動です。僕はそう思います。
たかが運動、されど運動。「書く」という運動なくして「投稿記事」というアウトプットはないわけですから非常に重要なファクターではあります。
しかし、そこまで重苦しく考えて書くということは必要だろうか?というのが僕の問題提起です。
この単なる運動のように自動的に書くという行為ベースのフレームワークと、前述の「書けるパターン1: 誰か特定の人に向けて書く」がコンテンツをアウトプットする思考として組み合わさった時が一番書けます。最強タッグです。
***
さて、では逆に「書けないパターン」を考察してみましょう。
書けないパターン1: 書こうと考えている
「なにを馬鹿なことを言ってるんだ」と思う方がいらっしゃるかもしれませんが事実なので仕方がないです。
「書こう」という意思や思いやモチベが、そのままそっくり「書ける」につながればなんの苦労もございません!
この意思とアウトプットの間に甚だしいギャップがあるから、書きあぐねている人がたくさんいらっしゃるんだと思います。
※ 少し前まで自分のそのうちの一人だったのでとても良く分かるのです。
なぜ、書こうと思っても書けないのでしょうか?
これはあくまで憶測&仮設ですが、書こうと考えるから(考えすぎるから)書けないのではないでしょうか?
そう、つまり、「書こうと思って考えまくってるんだけど、書けないんだよねぇ」という人は、内面にものすごいコンテンツを持っている可能性が非常に高いです。
コンテンツを突き詰めすぎてるがゆえに、情報量が多すぎて、どこから書くのが適切か(自分では)わからず、結果として筆が進まない…。このような方はすごく多いのではないかと思うんです。
「書こう」「書こう」とすることがどんどん書くことのハードルを上げていって書けなくなる、というパターンですね。
そしてですね、このような方に何人かお会いする機会を最近得ることが多く、たくさん対話を重ねる中で思ったことがあります。
「書くこと以外で、人並み以上のアウトプット方法を持っている」
という共通点があるということです。
ある方は「話すこと」 ーーー 本当にお話がお上手で、内容もあり、こちらが聞き入ってしまう。でも、書けない…。
ある方は「接客すること」 ーーー お客様が欲していることを苦もなく自然とキャッチして、すっと行動することができる。いっしょにいて本当に居心地が良い。素晴らしいベネフィットを提供できている。でも書けない…。
最後にもう一例、「デザインすること」 ーーー 空間やヴィンジョンなど、視覚的・体感的に人の心を動かす、もしくは、行動を促す、ということについては申し分のないプロフェッショナルである。しかし、書けない…。
このような共通点に気付くと同時に、彼らの持つコンテンツのクォリティの高さには本当に驚かされます。
彼らの話を聞いている僕の側も「是非、文章としてアウトプットしたいなぁ」と思いますが、それ以上に本人たちが「言語化」を切に望んでいるのが分かるのです。ビシバシ伝わってきます。
僕が彼らとの出会いを世の中へのアウトプットにつなげたいなと思ってやっているのが「言語化コンサル」です。そして、言語化の第一歩としてやっているインタビュー形式のセッションが「言語化セッション」です。
言語化セッションを重ねてきて思うのは、「書ける化」の扉が開くパターンがほんとに人それぞれ全然違うということですね。
これはもう対面で会って話してみないとわからない、というのが今のところ言えることになってしまいます。普遍的な法則みたいなものが全然見えないですね。まぁ、そこが面白くて続けてるんですけど。
「書ける化」促進
「書ける化」を促すために、ひとつ参考を。
以下に挙げるポイントを、ご自身でチェックしてみることから始めてみてはいかがでしょうか?
言語化セッションなどせずともご自身でできることなので、是非、自問自答してみてください。
1. 苦もなく情報や印象をインプットできる方法はなにか?
(視覚なのか、聴覚経由なのか、それとも他の感覚器官か…など)
2. 苦もなくアウトプットできる方法はなにか?
(話すことか、作ることか、それとも身体を動かすことか…など)
3. 周りから自然と感謝されることはあるか?
(2のアウトプットと、どうつながっているか)
これは実は、インプット(1) → アウトプット(2) → アウトカム(3)という構成に着目したチェック項目です。
このチェック項目が埋められるかをまずチェックしてみることをおすすめします。
その上で、今あなたが「書きたい」と考えていることが、この構造にしっかり当てはまっていれば、それはいつか良質な記事投稿につながる可能性が高いです。
書けないパターン2: 時間がない、場所がない
これが意外と厄介なので、最後に挙げておきます。
前述の言語化コンサルにおいても僕が常々メッセージとして投げるのが「いかに書くことを習慣化するか」ということです。
書く時間、書く場所を確保し、書くことを習慣化しないと、書くという行為が運動として定着しないんですね。
仮に初投稿という壁を言語化セッションを通してクリアしたとしても、書くことを習慣として定着させなければ、待っているのは挫折です。
これが絵に描いたようにはっきり見えているので、口を酸っぱくして「習慣化! 習慣化!」と言っています。
逆に、習慣化さえしてしまえば、少しぐらい思うように書けないことがあっても、それほど気にならないものです。
それは習慣化によって、書くという運動が「ライフワーク」のように大きな枠組みとして捉えることができるから。なのでちょっとしたスランプに差し掛かっても、その運動の中で発生する波やリズムの「弱」に当たるフェーズだと解釈できるのです。
つまり俯瞰できるんですね。
「今は弱フェーズだ」と認識できるということは、また調子が戻ってくれば書けるという希望も自然と持てることを意味します。楽観できます。
だからもう理屈抜きで「習慣化」。
「書く」ということを習慣化したところでなんの害も無いですよね?(ですよね?(笑))
一生のことを考えたら、「書く」ということを習慣にするメリットは計り知れないくらいたくさんあると思います。
そこまでのスケールで考えなくても、言語化する習慣を持つだけで、ある程度頭の中の概念(アイデア)が整理されますので、少なからず仕事のパフォーマンスが即刻UPするはずです。
ですから最初は少しの時間、僅かなスペースでよいので、書く環境を確保してみてください。
書くための環境構築そのものに毎度時間がかかるようだと、やはり書くことが億劫になってしまいます。
ですから、最初は少し投資する覚悟が必要かもしれません。(時間、場所、知識、技術…などなど。)
それでも、書くことを習慣化することで得られるフィードバックを考えたら、多少の投資は安いものです。
※ 書くことで得られるフィードバックやインセンティブは人それぞれ異なると思います。また、それをじっくり考えること自体がある意味投資だと思います。
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今日は「書く」という行動を起こすにはなにができるかを考えてみました。「書く」ということについて「書く」ことで考える、これまさに運動! そう思いながら楽しく書けました。
やっぱり、どうせ書くからには、楽しくね。
SN
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