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こころの良し悪し
こころは”もの”である。
自分のカラダの何処かにあるこころは、自分のためにある。
そんなこころが何処にあって、どんなカタチをしているかを知らない。
ただ、そんなこころでも扱うことは出来る。
それは良くも悪くも使うこと。
人はいつも”幸せになりたい”と思っている。
それは当たり前なことだが、その当たり前なことを強く思う反面悪くもなる。
それは、幸せになれないと感情を湧かしてしまうことで、思いと逆のことをしてしまうことにある。
それは相手に対しても、自分に対してもその湧いた感情で傷つけてしまう。
どんな人でも”幸せになりたい”と思っている。
その思いが幸せになるところか、自身や人を追い詰めてしまうことがある。
”もの”は良くも悪くも扱える。
物である金槌(かなづち)は家を建てれる便利な道具になる。
ただ、扱い方を間違えると人を殺める道具にもしてしまう。
それは、扱う人しだいで決まる。
こころは”もの”である。
自分がどう扱うかで良くも悪くも扱えてしまう。
その原因は自身の心にあり決まる。
自身が幸せにこころを扱えなければ感情を湧かし、こころを悪く使ってしまう。
だから。その前に自分のこころを感じ、そのこころが幸せかを知る必要がある。
幸せでなければこころを立ち止めることをして、幸せならそのままでいればいい。
自分に起きている出来事がどんなに辛いことだとしても、もっと辛いのは自分の心が不幸せなこと以上ない。
もし、自分のこころが”今より幸せに”なれれば、出来事の辛さは薄れ出すんじゃないでしょうか。
出来事に固着するから辛さをどうして良いか分からなくなる。
ならば。こころだけでも幸せにする方が簡単ということ。
それは、こころが自分の”もの”だから扱えるようになるはず。
こころは自分のためにあるパートナーだから裏切りもないんだよね。
(心のカタチより)