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変換器なこころ

ひとは心に感情と気持ちを持っている

その感情は誰もが知る喜怒哀楽となる感情だ
ただ、気持ちは何かと問えば感情と同一に考える人が多々いる

ぽち☆が話す心のカタチでは気持ちは感情を湧かす”もの”としてある
それは、唯一心の中心にある自分自身となる”もの”であり
その”もの”があるから喜怒哀楽とさまざまな感情を湧かすことが出来る

例えば、ひとには「幸せになりたい」思いがあり、
不幸になりたい人はひとりもいない

それは何故かというと幸せは自分のためになると心の中心に育まれ記憶し産まれてきたことにある

だから、その幸せを感じれなくなると怒りもし哀しみもする

そんな心の使い方は分かっているようで意外と解ってない
それは
心が自分のどこにあり
心がどんなカタチをしているか知らないから解るはずもない

心は、心という漢字と辞書に書かれる意味ぐらいしか先生に教わってない
だがそれは、その先生もそれしかならってないからそれ以上は教えれないのです

世の中には心理学などがあるが
そのどれもが心のあるところや心のカタチを知ることには至ってないのです
たぶん

そんな心のあるところは
心のカタチが解れば自然と自身のどこに心があるかが判りもする

しかし、心のあるところや心のカタチが解っても
その心の使い方を知らなければ宝の持ち腐れとなる

人には知恵がある
人には経験がある
人には「幸せになりたい」思いがある

その源は気持ちを持つ心であるからこそ
自分のためとなる幸せに触れることで活きるチカラとなる

そんなチカラの大敵は
自身が湧かす感情にあるのです

変換器


変換器は何かを何かに変えるものをいう
それは物だけではなく
自分たちにも必ず一つずつある

それが心です

心は
プラス思考とマイナス思考を持っている
それが何かの理由によりマイナス思考が強まると
心の変換器は自身にとってマイナスな変換をはじめる

自身が考えること思うことはもちろん
人からの言葉さえもマイナスに変換し自身の心に感情を湧かし

迷宮へと引きずり込む

ただし、そんな厄介な感情だが
その感情を湧かすのは紛れもなく自分自身の心である
だからその迷宮から抜けるのも自分自身となる

感じる言葉

感じる言葉というとドラマや本、今ではSNSなどに綴られる言葉で起きる
世にいう感動や共感は人を感じさせるためにある

その綴られた言葉は、それを観るひと、読むひとの心に共感や感動を促すのだが、誰もが同じように感じる訳でもない

人には人生があり多種多様な経験がある
それは誰一人同じ事はなく
誰でもが共感や感動する事もない

ただ、その言葉を綴るひとはひとりでも多くの人が感じるよう言葉を選び綴ることとなる

ひとには感じさせるチカラがあり
それは、相手の事を知れば知るほど感じさせるチカラは強くなり
迷宮に迷い込んだマイナス思考な心の中の気持ちにも届かすことができるのです

感じるとは


感じるとは
自身の人生や多種多様な経験の何に共感や感動を感じさせるのか

それは紛れもなく
人の心の中心にある”もの”が感じている

その正体は心のカタチでいう気持ちであり
その気持ちが記憶する『幸せ』である

人は不幸に思うことはあっても
その不幸に共感したり感動することはないのです

だから、感じるとは幸せのためにあるのです

ただし、その感じさせるには限界があります
それは、瞬間、感じさせることは出来ても
持続して感じさせ続けることは出来ないのです

だから、感動も共感も時とともに薄れ忘れてしまうことなのです
またその思いを思い出すことは出来ますが
それは記憶した経験という名の思い出です
何かのキッカケを基に思い出す記憶なのです

だが、その「感じさせるチカラ」は
心の迷宮に迷い込んだ心に唯一届くこころの言葉であり
それは相手が大切なほど出来る術であり、それで十分なのです

人のこころを支えるとは

先の話からも心の迷宮に迷いこんだ人にできることは限られるのです
だから、人のこころを支えるとは
相手を力で支えることになく
言葉で支えるのでもありません

言葉などで人を感じさせることは出来ても支えつづけることはできません

ぽち☆も心友(しんゆう)に言葉をかける事をしてますが
支えつづけることが出来ないともぽち☆は知っております

ですが、決して相手のこころを支えてない訳ではありません
それは、人のこころを支えるのは力でも言葉でもないと知るからです

人のこころは平等となることで支え合えるのです
誰かが誰かにするのではなく
お互いに平等になるからこそ支え合うのです

力でもない
言葉でもない
何を支えるのか
それは、心の中にある「幸せ」を感じ合うことで支え合います

人のこころを支えるとは
幸せを感じ合うことにあり
その幸せとは互いに「心地よさ」を感じ合うことにあるのです

平等

最近、とある人に平等を感じることが多々あります
それは私の中で心友とよび
ぽち☆のこころを支えてくれる存在と感じるからにあります

そのひとはぽち☆の話を気持ちで感じることを知りだし
変換器なこころを使い熟しだしているとも感じてます

ぽち☆はそれを「こころの治癒力」ともいい
それは誰かにあれこれ言われて身につけたのではなく
まぎれもなく
自身の気持ちを感じることを自分の”もの”にしてこそ
出来るこころのチカラです

そのチカラは平等であるからこそ
今も支え続けていると感じるのです

その人へ贈りたい言葉はいつも”感謝してます”です

変換器なこころ

変換器なこころは、自分自身が持つ心です
その心には感情と幸せを感じる気持ちがあり
その心をどう使うかは自分次第なのです

プラス思考に使うのも
マイナス思考に使うのも
事は自分次第だったのです

心が迷宮に迷い込んでしまった人は
自身の心を上手く使い熟せないだけだったのです
それは、
心を知っているようで実はよく知らずにいたことにあり
その使い熟せない理由が「幸せ」を感じれなくさせてしまった事にあります

その感じれなくさせてしまったのは
やはり自分自身の心なのです
それがすべての原因となり
その原因に気づかなければ幸せは感じれないのです

要は感情を湧かし
その感情が更に感情を湧かし
幾重にも感情に包ませた心を形成し薔薇の花のようなカタチになります
人の心には絶えず少なからず感情があり
幸せを感じさせなくさせることは容易くあるのです

そこに自身に起きた出来事などで
更に感情を幾重にも重ねだします
それでは自分の気持ちも見えなければ
不幸に思うことはあっても幸せを幸せを感じる術を見失うのです

要は感情に心を使われてしまったということです

しかし、自分たちは誰もが”幸せになりたい”と知り
それが心の中に幸せを感じる器官があると
忘れさせない証となります

その幸せを感じる器官となる気持ちは
どんなに迷宮に迷い込んだとしても
決して忘れることはあり得ないのです

人は心のカタチを知り
人はその心がどこにあるかを知れば知るほど
自分自身で自身にある感情と気持ちで形成する心を
扱いだせるのです

それが、こころの治癒となり
自分自身でこころを元に戻すチカラを持ったのですね

追伸
ぽち☆が出来る事はこころを平等に感じ合う
唯一届く言葉を投げかけ
自身の治癒力を自分の”もの”に気づかすだけです
その理由は大切な人とお互いに心地よいを感じるために他ないのです

それともう一つ
自身の身体で不幸になって良いところはありますか?
どこもありませんね。
幸せになりたいと思うところはすべて心と云っていいのではないでしょうか。

(心のカタチより)

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