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081.必然てあるのだよ




今日は頭痛が酷いのと、身体が鉛のように重くて久々に体調が最近で一番酷かった。
夏至前日だからなのか?
なんでもそういうことのせいにしていいのか?笑


グダグダしている場合でもなく、身体にムチを打って通常通り過ごす。
午後になっても頭痛がおさまらず、頭痛にバファリン(言いたいだけ)ではなくて、EVEを飲む。
EVEは10代から飲んでるわたしの味方。
バファリンは強すぎて胃がやられてしまうのだ。(私の場合です)




***



午後に用事があって一瞬義理実家に立ち寄った。
頭が痛くて酷かったので、勝手にクッション持ってきて勝手にその辺に大の字になって寝転ぶ。

普通の嫁はこういう事をするのだろうか。
天井を見上げながらなんだか可笑しくなった。
人んちで大の字になって寝る嫁。ウケる。
(そんなことをしていても誰も気にもとめずそれぞれのことをしているのです。そのそれぞれ事をしている生活音がまた心地いいのです)


義理実家は自分が10代最後の年くらいから今まで色々お世話になっているので、もう20年ちょっとのお付き合いがあります。
その間にはもういろーんなことがありまして、まっすぐ何もなく進んできたわけではないのです。
いろんな紆余曲折があって、今はそれらを乗り越えての、今なのであります。

これはもう自分で言い切るけど、いろいろ揉め事があっても、
人としての人へのリスペクトは絶対になくさないようにしていたことが、今に繋がっていることだと思っています。自分のしてきたことが長い年月を越えて報われたと思っています。ちゃんと相手にも伝わっていて心底良かったと思います。


そして、義理実家では家族や家庭の営みを長い年月をかけて見させてもらえるいい経験を与えてもらったと思っています。
自分の家庭は母子家庭で家庭らしい家庭ではなかったので(それはそれ。ぜんぜん不幸だなんて思っていませんが)、そこも全く関係なかったとは思えないほど、見せられているのだなあと思っていました。
必然なのだなと。

人の普通の生活の営みを義理母には見せてもらい色々と学ぶことがたくさんありました。
こういう時にはこうするんだという基本的なことが恥ずかしながら分からなかったのです。
自分の家庭ではなかなか吸収できなかったことを教えてもらえた気がします。
義理母はこうしてこうするのよと押し付けて教えるタイプではありません。
ただ、聞けば必ず模範解答が返ってくる。それが心強いかったです。(今でも常識的なことでわからないことは義理母に相談することのほうが多いです。実母ごめん。)
余計なことは一切せず、余計なことも一切言わない。
それにどんなに救われたかわかりません。
ぐいぐい来るタイプだったらこんな風な関係にはならなかったかもしれない。


わたしはここの家に完全に導かれたんだなあと今でも確信を持って言えるのです。







頭痛でボーっと寝転びながら、
わたしはここに居ていいのだなあ、
有難いことだなあ、と
ぼんやりとこういう事を考えた午後でした。









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