035.基本のきができなければ、次のステージなんてない
最近友人にnoteで高校時代の私のことを書かれた記事があり、昔を思い返す。
高校時代の事は覚えていない。
ただひたすらにやり過ごしたことだけ覚えている。
苦痛だった。何が苦痛だったかなんて覚えていない。ただひたすらに、苦痛だったのだ。
いじめられていたわけでもない。人にも恵まれていたと思う。
愉快な仲間たちに出会えて、今でもその愉快な仲間たちとは続いているので後付すると良かったことだと思う。大人になって起こったいろんなターニングポイントも彼女たちが居なかったら乗り越えられなかったこともいっぱいだ。
でも、それはそれ。なのだ。
メンバー良かれど、思春期真っ只中のガラスのハートちゃん(自分でいうな)は自分でも扱いこなせないのだ。
まったくもって意味不明である。なにが苦痛だったのか。
とーにーかーく。全部が嫌だった。。
。。。。。
あ。。
今書きながら気づいてしまった。。
思い出してしまった。。
これだから書くことってやめられないよなと思う。
掘り下げてこなかったことを、見て見ぬふりをしてきたことを、このタイミングで噛み砕いて理解して手放すのか。そうかそうか。そういうタイミングか。ぶつぶつ
わたしは、自分が嫌いだったんだ。
だから何もかも灰色に見えたんだ。
誰に何を言われても、心に響かなかったし、心が溶けなかった。笑っていても、心が無表情だった。
心ここにあらずで、わたしは一体どこに居るのだろうっていつも思っていた。
自分のことを嫌いになってしまうと、全部が駄目になるんだなと、今書きながら思っている。恐ろしいことだとも思う。1つの思考でこうも人間変わってしまうのだから。
中学時代が面白すぎた代償なのだろうか。
ぽっかり穴が空いてしまって、その穴を埋められずにいたのだと思う。
吉本ばななさんが高校時代は先生につむじしか見えなかったと言われるくらいよく寝ていたと書いていた。苦痛でしょうがなかったと。苦痛だったからずっと寝ていたと。
その本を読みながら(わかるわかる)と共感しながら読んでいたのは最近のことだ。
自分のことをダメだダメだと傷つけながら生きていたら、そうなるよな。
人を愛する前にまずは自分を大事にしなければ人を大事になんてできないよな。
基本のきができなければ、次のステージなんてないんだと思った。
自分で経験して、傷ついたら戻っておいでなんて子どもたちに言ってやれる度量が私にはあるだろうか。(できれば泣かないでほしいのに、傷つかないでほしいのに、そんなのムリだから気張って構えるしかないなんてなんて無常なのだろう)
だけど、助言はできるよな。
「どんなことがあっても、ダメだダメだと自分を傷つけないでね。そうすることで、自分を嫌いになってしまうから。自分を嫌いになると、全部が苦しくなるから。自分のことは自分にしか大切にできないんだよ。心の中に小さいあなたが居ることを忘れないで。」