290.知らないじゃ済まされない
京城クリーチャーは今9話目なのだけど。
パク・ソジュン演じるチャンテサンが言っていたセリフが今朝は頭から離れない。
「簡単に死ぬのは悔しい。どうやっても長く生きて、(日本軍に)されたことをやつらに深く刻みこんでやるんだ」
みたいなことを言っていて。
このドラマが伝えたい核心ってじつはここなのではないかなと思う。
全部が本当ではないにしても、度重なる酷い拷問や暴力、暴言。
拷問は目も当てられないほどの映像だった。(爪の皮をひん剥いたり、電流流されたり、焼印されたり、逆さまにして水をかけたり、その間に当たり前に暴力だ)
次々と苦しむ捕虜に違う種類の拷問を間髪入れずする。
何度も言うけれど、これを実際に見たわけでもないから全部を信じるわけではないし、あくまでも映像として見るつもりだけれど。
あの時代はというか、つい数十年前まではネットがなかった時代なので、何が起ころうが、何をしようが、密告がなければ本当になんでもありだったのだろうな。そういういうことはものすごく感じながら観ていた。
今はなんでもかんでもネットで簡単にいろんなことがわかってしまう世の中になったので、こんなことはなかなかできなくなっているだろうけれど。
なので全部を信じるわけではないけれど(ドラマとしては観るけれど)、そういう似たようなことがあったということはちゃんと知っておかなければいけないことだと思うのです。
何度も言うけれど全部が全部がそうじゃないとしても、拷問だって、捕まり方だって、酷い。
あんな扱いを受けたら、世代を越えて平和な世の中になっていても許せるだろうか。
「うちのおじいちゃんが、おばあちゃんが、父が、母がああいうことをされてひどい目に合った」なんて関係の深い人が体験していたら、もう終わったことでしょ?と言えるだろうか。
ニュースで別件だけど韓国のアジュモニがなりふり構わず大泣きしながら訴えてるシーンが印象的だった。
何も知らなかったわたしは
「血の気が多いなあ」という印象しかなかった。
これもニュースの伝え方だよなって、今なら思うかな。映像の作り方に悪意があると思う。(尺の問題もあるだろうけれど)
そこだけ切ったらそういう印象しか与えられない。
もっともっと、深い何かがあって、しらないことがいっぱいあって、それを伝えたくても伝わらなくて。大騒ぎするから冷ややかにしか見られなくて。
今回はたまたまドラマが韓国と日本のことを描かれているからそこにフォーカスしているけれど、
こういうことは世界各国であることだと思う。
何より自分の国のやってきたことを知ってしまい、なんとも言えない複雑な感情でここ最近は暮らしている。
戦争して原爆落とされて負けて、玉砕前提の突撃があったり、そういうことしか知らない。
ちゃんと色々と知ることは大事なことだと人生折り返し地点でようやく気付いた。
知らないことが多すぎた。もっと知識が必要だ。
世界が平和になるように、仲良く暮らせるように祈るのは変わらないにしても、知らないも罪だと思った。
余談ですが。
オアシスのBe Here Nowにはこういう思いが込められているそうです。↓
今その瞬間を生きなさい。か。
なんかまとまらなかったかな。
今日はそんな感じです。