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292.したいように生きていることを体現しているひと
楽しむのではなくて、面白がることよ。楽しむというのは客観的でしょう。中にはいって面白がるの。
面白がらなきゃ、やってけないもの、この世の中。
楽しむじゃない、面白がるって本当にいい言葉。
それに尽きる。
ついついシリアスになってしまうのだけど。笑
3分はシリアスをしてみたいの。
それで、3分後にはシリアスを誰かに話せばそれで浄化されて、もういいな!ってなるの。
それですっきりさっぱりの顔になってる。(数日シリアスのままでいるときは自分の中にずっと溜めてる時。外に出さないとマグマみたいになってる)
それで違うこと考えちゃってる。
旦那には
「あんたは一人でも生きていける」
って言われるのはそういうことなんだとおもう。
皮肉かしらねえ?
今は自分がこの世につないでいるあれこれの鎖を、欲望も含めて一つずつ外している感じですね。
ここ5年くらいは削ぎ落とし作業がわたしの定番。
何度もnoteには書いてるけれど。笑
早いうちに気づけて良かったことがコレかな。
もっと年取ったときにコレに気づいてももう遅いよってなるなあって。
だって削ぎ落としを5年前から始めてても、まだまだまだまだまだまだ全然足りないもの。
一生削ぎ落とし作業しているかもしれない。
それくらいシンプルに生きたい。
みんないずれ死ぬんだけど、死ぬまでの間に、残しておきたくない気持ちを整理しておくといいですよね。会っておくとか、話しておくとか。
人の死や、病気が身近で何度も起こることで見えてくるものがあるということが最近身に沁みてわかったことで。
そうすると、日々の生活の小さな営みがすべて愛おしいと思うようになる。
一瞬一瞬が大切になる。
同じ日は二度とこないと思える。
でもこれは自身で体験して初めて気づくことで、体験しなければわからないことでもあるから、
何事も体験することがいちばんなんでもわかるのだなということです。
でもそれが偉いという話でもなくて。
先日のママ友のランチの会話だって、
話を聞きながら「ああ、この人はまだいろいろ自身の周りで人の生死の実感がある体験がないんだな」とふと思いながら会話をしている自分に気づいて。
会話がいちいち平和というか。
旦那が単身赴任から土日に帰って来ると散らかるしやることが増えてしんどいとか。笑 健康診断3年していないとか。
旦那に優しくなれないとか。
(うんうん。わかるわかる。って。そういうときあるよな。って)
人それぞれだからそれがどうってことではなくて。
ただ、人と会話しながら、自分がそれを俯瞰して冷静に見ていることが自分で自分にツッコミを入れたくなるというか。笑
樹木希林さんと娘さんの内田也哉子さんは大好きな人。
樹木希林さんのワイルドな生き方も然り、その生き様を近くで見てきた也哉子さんの視点も然り。
お二人の本は毎回何かのタイミングで読み返す。
わたしがハッとする大事な大事な言葉がぎっしり詰まってるのです。