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【連載】家族会議『頭で理解vs腹落ち編』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。その様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
家族会議3日目#6|頭で理解vs腹落ち
――父との話し合いは一進一退である。
父も母も、人に甘えたい段階、人にしてもらいたい段階にいる。つまりは子供だということ。なぜ大人になれなかったかと言えば、子供のころに充分満たされなかったからだ。
そういう段階でいることは、まぁ別に、他人がとやかく言うことではない。子供のままでいたいならいればいい。ただ、人間関係がスムーズにいかない原因も、日々のストレスの原因も、自分が子供であることを自覚していないからである。
「家族」においては、父と母が子供だとどうなるだろうか。子供が子供を育てることになる。それはなんとも頼りない。
ましてや、自分が子供だと自覚しないまま、大人の仮面をかぶって上からものを言うのだから、もうめちゃくちゃだ。
姉がうつになったのも、家族仲が上手くいかないのも、親が子供の状態だからだと、かれこれ10年は説明をしてきている。でもなかなか腹落ちしないのが現状だった。
それが家族会議でいろいろ話しはじめたのをきっかけに、はじめて父から手ごたえを感じたのである。
わたし:お父さんの中で、ちょっと掴めたのかなって感じがしたの。掴めた感じがあったのかなって、どう?自分で完結するんだっていう
父:うんあの、上から目線でもなんでもそうなんだけど、人に求めてたんじゃ、さっぱり前に進まねえなと。最終的にはすべて自分で完結しないとダメだと。
上から目線て言われるんならば、なにが上から目線なのか、今現在よくわかってないから、そこを皆さんからよくよく言われて、そういうところかと、そこは自分で治さなきゃいかんと。相手がどうのこうのじゃないんだ。自分で治すんだと。
――父はどうしても「自分が治せばいい」という思考に陥りがちだ。それは納得というより投げやりな感じで、投げやりでいる以上治せないことを家族は知っている。そもそも、治して欲しいというより、わかって欲しいのだ。
朝はもうすこしわかった感じだったのに、夜の家族会議ではいつもの思考に戻ってしまったようだ。
わたし:うん。…っていうより、褒めてもらいたかった気持ちを、自分で消化するんだよって話
父:うん、褒めてもらいたいのもそうなんだ。人に求めてたって駄目だと。自分で自分を褒めるんだと。
わたし:うん。なんか、これって今までにお姉ちゃんとかにも言われてるよね?自分で褒めるって。
母:うん、言われてる。
わたし:でもたぶん、途中で辞めちゃったりしてると思うんだけど、いまいちそれの
母:やりかた?
わたし:やりかたっていうか、意味とか、何のためにとか、これをやってどうなるのかとか、なんかイメージが湧いてなかったのかなって。
何回か言われてるけど、でもやっぱ腹に落ちてないっていう感じなのかなって。
でも今朝お父さんが話してるのを聞いて、なんか、喉あたりには飲み込んだ?って感じがしたの。
――心や気持ちの話をしていても、父は腹落ちすることがなかった。心の仕組みを教えると、知識だけを脳に直接インストールする感じで納得はしていない。
だから父から出てくる言葉には気持ちがこもっておらず、「わかった」と言われてもまるでわかった感じがしないのだった。
だけど今回は、喉元を通り過ぎた?という手ごたえを感じたのである。
わたし:なんかお父さんが、「泉も我慢してるんじゃないの?」って言ってきて。
「いや、そうでもないよ。まったくしてないわけじゃないけど、でも気にしてないっていうか、諦めてるっていうか。でも、まぁそんなにないよ」って言ったら、「いや、あると思うんだ」って。なんか「お父さんと似てる感じがするんだ」って、「押し込めちゃってる感じがする」って言われて。
「んーなんか、そのつもりはない。ないけど、押し込めてるものもあるかもしれない。けど、そもそもお父さんと違うのは、わたしは自分で自分のこと、結構自信があるのね」って。「ちょっとしたことで、自分すごいって褒めちゃうし、自分のこと結構好きだし」って、「そこが違うと思うんだよね」って言ったの。
そしたらその話の中で、「今の泉の話から言うと、自分で自己完結するってことなんだな」って、言ったんだよ。その言葉を聞いて、「あ!なんか、飲み込んだ?」って思ったの。
人から褒めてもらわないと満足できないって人に求めるのではなくて、「自分で褒める、自己完結させていく」っていうことなんだねって。
父:なんちゅうの、腹が立って、人に怒鳴り散らすのはもちろん、それで人に文句言うのはもちろん、やってもいいのかも知らんけど、最終的には自分自身が納得するように自分自身に問いかけないと。「相手じゃないんだな~」というのが、今朝わかったわ。
――父からでた「相手じゃないんだな」という言葉に、わたしはさらに手ごたえを感じた。
父は「俺が悪いんだ」「俺が治せばいいんだ」とはいうものの、実際には自分に責任があるとは思っていない。常に被害者意識でいる。
それを裏付けるのが、親の立場としての責任を問われても、必ず母を引き合いに出すことだ。
父から感じるのは、「家長としての責任はある」といった感じで、会社の一社員が問題を起こしたときに、社長が責任を取るのと同じような感覚だ。つまり直接的に罪を犯したのは自分ではないと。でも家族の代表として責任の一端はあると。悪いのは自分ではないと。そう言いたいのだと感じてきた。
だから「相手じゃないんだな」という言葉が父から出てきたのは、大きな前進のように思えた。
わたし:それでさ、その自己完結ができて人に求めなくなると、今感じてる日々の怒りも半分くらいは感じなくなると思う。減るというか、怒らなくなるんじゃないかな。
たとえば、「こんだけやったのに感謝もない、褒める言葉もない」って悲しくなったりイラついたりするでしょ?でも求めてなければ、それってないんだよね。全く。そういうことも起きてくるんだよね。
だからそれは、押し込めて押さえて自己完結させるのではなくて、気持ちを出して、自分を満たしていくことがまず大事ってことなんだよね。
っていう話が、なんかだいぶ分かってくれた感じだった。
母:それは、うれしいね
わたし:そうそう。なんか、「なるほどな」ってなってて。
母:(今まで)やってきたのも、関係してるよね。
わたし:もちろん!もちろんそうだと思うよ。
――父がなにかを掴みかけた。それだけでうれしくなるくらい、父とは話が噛み合わないできた。だから掴みかけたものをしっかり掴んで理解を深めて欲しいところなのだが、父はじっくり感じ入る、じっくり深めるということがとにかく苦手なのだった。
それは幼少期に感情を麻痺させ、心を殺して生きてきたからで、幼少期のトラウマがこうして立ちはだかるのである。
― 今日はここまで ―
考え方や習慣は、形状記憶のようなものだ。新しい考え方や習慣を取り入れようと思っても、気づくと元に戻っている。幼少期に身につけた物であれば、なおさら形を変えるのは難しい。
だから頭で理解するだけではダメなのである。少しずつ少しずつ、身体に浸み込ませて馴染ませる必要がある。そうやって腹まで落として初めて、言葉が変わり、態度が変わる。
それにはとてつもない時間がかかる。でもコツコツ取り組めば変わるのだ。
この会議から4年後の今、母は変わった。父は変わらない。
取り組めば変わる。取り組まなければ変わらない。
それを親が証明してくれている。
<次回に続く>
これまでの家族会議記事はマガジンにまとめています。お時間あればぜひ、わが家の会議をのぞきに来てください!
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