【連載】家族会議『あるはずの感情と人格』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。2020年1月6日から約4ヶ月に渡って行った会議の様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
家族会議19回目#1|あるはずの感情と人格
――2020年2月20日。家族会議は19回目になる。
この日は3回目の録音を振り返りながら話し合っている。前回の修羅場を経ての、穏やかなスタートだ。
父:
お袋の思い出がもうひとつ浮かんだな。
小学校6年生のときなんだけど、学芸会っていうの毎年やってた。その学芸会で、題名はどんなんだか知らないけど、私は悪代官の役をいただいたわけだ。
わたし:
優等生だったのに悪代官だったんだね。笑
父:
先生からいただく役だから。笑
で、その悪代官やるのに、悪代官らしい服装を。ということで、おふくろに話したらば、服装をびしっとしてくれたんだわ。
母:
へえ~。悪代官?
父:
代官らしい服装。それは何かというと、親父の袴。あと、これをなんか
母:
裃(かみしも)?
父:
裃を作ってくれて、それで学芸会した記憶があるな。あれ作るの大変だろうなと思って。手直ししなきゃいかんでしょ?親父ももう着ることないっていうことで、そうなったのかな。
母:
裃ってなかなか、ねえ。
父:
なんかで作ったんじゃないか?もっともらしく。
わたし:
すごいねおばあちゃん。ちょうどいいよこれって感じだったのかな。笑
父:
簡単にできないだろうし、よく作ってくれたなって。
わたし:
すごいね、自分で用意してくんだね。
父:
んで6年生のときはね、演目は先生方が決めたけど、ストーリーはこうだよということだけで、あとは生徒が喋る言葉とか作って、誰がこれを喋るとか、みんなでやったんだな。だから印象に残ってたのかな。
わたし:
楽しかったの?
父:
楽しかったですね。
わたし:
そっかぁ
――気持ちを全部出してと言ったからか、一生懸命話そうとしてくれる父だがぎこちない…。
わたし:
だいたい45分ぐらい録音聞いたけど、内容についてはなんかある?
母:
関係ないこと思い出したんだけど。私が3年生で弟が1年生のときに、一関で音楽会かなんかがあって、それを見に行った。
そんときに、花泉駅に置いてあった弟の自転車に学校のカバンをくくりつけて、財布か何かはもったと思うけど、一関に行ったのね。
で終わって帰ってきたら自転車が盗まれてて。後から、離れたところに自転車も捨ててあってカバンも見つかって。みたいなことがあったのを今思い出したんだけど。笑
カバンをくくりつけた自転車があったらさ、それ誰かいたずらしたくなるよね。そんなこと思い出した。笑
父:
取ってくださいって感じだな。笑
母:
そうだよね。笑
わたし:
すごいことしたね。笑
――田舎育ちだからか、母は純粋と言うか、警戒感が薄いと言うか、そんなところがあった。今はどちらかと言えば心配性だけど。
わたし:
あとなんかさ、今録音聞いてて思ったのは人格。5人のわたしがいるでしょ?このときこれを思ってたのは、5人のうち誰なのかな?とかさ。
母:
あぁ~
わたし:
ちょっと思いながら聞いてもいたんだけど。そういうふうにしていくといいかもねって思った。
父:
やっぱり俺、こっちかわのあれが強いな。
わたし:
うん。良い子ね。
父:
過去を振り返ってみても。
わたし:
うん。子供のときは特にそうだったんだろうなって思う。その良い子と一緒にいる自由な子供は、何感じてたのかな?とか。
そういうのを見ていくって感じかなって思った。あと、寝ちゃうの自由な子供かなと思って見てた。さっき。眠くなったら寝ちゃうみたいな。
――父は家族会議中寝てしまう…。
母:
自然?
わたし:
うん自然。睡魔に勝てないみたいな。
あと話すときもさ、誰で話すか。その日誰で話すかを、例えば決めて話すとかでもいいかなって思うし、話した後に、今のって誰だったんだろうねって、振り返ってみるのもいいかなって。
父:
そういう見方するとね、なんでお父さん、学芸会を思い出したのかっていうと、おばあちゃんとおふくろ、なんか比較したような話になってて。おばあちゃん子だから、当時もおばあちゃんおばあちゃんなんだけど、おふくろが何かガクンってなってるような気がしてね。お袋を持ち上げようとする。青年(俺)がね、あれを喋ったんだ。
母:
へえ~
わたし:
そうなんだ。そういう感覚あるの?持ち上げなきゃみたいな。
父:
うん。あまりにもお袋、かわいそうだなと思って
わたし:
ふ~ん。なるほどね。
――「おばあちゃんとお袋」を比較しているのは父本人。そして、おふくろがかわいそうというより、過剰に罪悪感を抱いてしまうのが父だ。
「母親が一番でなければ」という呪縛があるから、祖母との良い思い出を語るのがはばかられるのだろう。
父も少しずつ、自分の感情を認識できてきたようだけど、もう一歩視野を広げてほしいところ。
― 今日はここまで ―
自分の中にいくつもの感情があることを認識するのに、いくつもの人格がいることを想像するのはわかりやすい方法だと思う。
とくに自分の気持ちを認識できない人は。
あるはずの感情(人格)に取り合わないということは、人を無視するのと同じこと。
あるはずの感情(人格)に気づかないことも同じ。
自分の中にいる人格を無視していると、人のことも平気で無視してしまう。
それが長年、父がわたしたち家族にしてきたことである。
だけどわたしたちは、父の中に無視され続けている人がいることを知っているから、父を完全に無視できない。
不憫な思いをしてきた彼らとなら、心が通い合う家族にもなれるかもしれないと、そんな期待をしていた。
<次回に続く>
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