【連載】家族会議『育った環境と社会とのギャップに気づいたら』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。2020年1月6日から約4ヶ月に渡って行った会議の様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
家族会議16回目#7|育った環境と社会とのギャップに気づいたら
――この日は2回目の家族会議の録音を聞きなおし、その感想や思いを話し合っている。
そのうちに、父の知ったかぶり問題に話は発展していった。
父の主張はこうだ。
まあ、納得できないから指摘してるんだけど。
この知ったかぶりをやめたほうがいいとあれこれ話をしているうちに、父は自己卑下しだした。
どうせ何を話しても自慢ぽく聞こえるんだろう?
情報源とか関係ないんだろう?
俺の人間性が悪いんだろう?
と。ここまでが昨日のブログに書いた話。
父には上から目線の問題もある。知ったかぶりも自慢も、自分の有能さをアピールしたい意識だ。さらに上から目線により、妻子らをけん制したい意識も混じる。
わたし:
この辺は上から目線の本を読みながらやってかないと駄目なところかな。
――「どこが上から目線なのかわからない」という父のために、わたしは『上から目線の構造』という本を取り寄せた。
父:
上から目線が先なのか対等なのが先なのか。とにかく対等の精神でやらんといかんだな。
わたし:
そうだね。対等…。そう簡単にできないと思うから大丈夫だよ。超時間かかることだと思うから。
父:
そうだろうね。自分を壊すくらいのことじゃないと。
――父の問題点を指摘すると、いつも「自分を壊せばいいんだろう」という。壊して欲しいわけじゃないんだけど。
わたし:
・・・壊すね。いちいち激しいなって感じだけど。お父さんにとってはそういうことかもね。
でも腹落ちすれば早いっていうかさ。
昨日も、この家族会議も先生のおかげだよってところで、先生のイメージがひっくり返ったわけじゃん?
――先生とは、姉の会社の代表で、カウンセラーの師でもある。
破天荒さも持ち合わせるその先生のことを、父は(上から目線で)批判することもあった。
だけどこうして家族会議を開くことになったのは、姉がさまざまに学びを得たからに他ならない。
ヨロコビもカナシミもイカリも、全部出し切って自分を知り、共有することで知ってもらうことが大事なのだと。
本心をさらけ出すことで喧嘩になることもあるけど、わだかまりが消えたり、癒しに繋がることも多い。
それを体験してきたことで先生の言っていることが腹落ちし、父の中でマイナスイメージがひっくり返ったのだ。
わたし:
そういうふうに、家族会議の中で何か掴めるきっかけがあればいいのかなって思うかな。
多分もがいてるうちに、ヒントが腹の中にストンって入っていくんじゃないかな。そうなれば考えてもわかんなかったことが、ポンッてわかるときが来るんだと思う。
父:
だから、昔も今もずっと変わらない。要するに、結婚前から俺はそういう男なんだよ。
――わたしの話、聞いてた?という反応だ。自己卑下モードに入ると、「俺は昔からダメな男だ」と認め、「わかってるからもういいだろう」という空気を出してくる。
母:
私もです。前からこういう女なんです。
父:
こういう男でね。なんちゅうかな、やっぱりそういうふうに育ったと言いたくないんだけども、育ってるんだろうな。染みついてんだ要するに。
だって自慢話っていう感じでもないのに、上から目線でっていう感じでもないのにそう取られるっていうことは、俺が醸し出してんだそういうことを。意識してないのに。
わたし:
うん…。
――じっくり時間をかけることや、腹落ちするまでもがくなんて苦しいことはしたくない。すぐに結論をだしたがるのが父だ。
ダメだと言われれば「自分を壊す」と言い、そういうことじゃないと言われれば「もともとこういう男だ」と言う。
結論が出たらそれで終わり。壊すこともしないし、なぜこういう男になってしまったのかと考えることもない。
腹落ちに至るはずもない。
わたし:
なんかそう考えるとさ、おじちゃん(父の長兄)ってお父さんは特に何の違和感もないナチュラルな感じだったんだよね?だからもう本当、無意識下で上から目線の喋り方の人に囲まれてた。それがナチュラルな環境の中にいたから、それだけ当たり前のように身についたのかもね。
――父方の親族には上から目線だと感じる人が多い。筆頭は長兄の伯父だ。
わたし:
あれがナチュラルだってことは、お父さんはそれが普通だと思ってる。だから本当、家庭環境によるものだよね、話し方ってさ。
人によって特徴あると思うけど、やっぱり親とかの影響が大きいものだと思うんだよね。意識は置いといて話し方って。
その話し方で、上から目線の態度になっていじめられることもあれば、社会でうまくやっていけないって悩むこともあるぐらいのことだと思う。
本人そんなつもりないのに目つきが悪いとか笑顔が少ないとかも同じで。
そういうのってさ、社会に出たときにみんなとのギャップを感じて悩む部分だと思う。お父さんは悩むことはなかったかもしれないけど。
でも結局、他の家庭環境で育ってきた人と結婚して、話し方のギャップが明らかになったってことでもあるよね。
お父さんは無意識だったかもしんないけど、話し方がまず、嫌な感じを人に与える環境で育ってきた。こともひとつの原因なのかもね。
母:
うちは家族ぐるみでへりくだってるわけでしょ。
――母方の特性として、へりくだりがある。へりくだりというよりは、人に合わせようとする意識なのだけど。とくに祖母がそうだから、母はその影響を受けた大人になっている。
逆に父方は、人に合わせてもらうという意識だ。
合わせようとする母と合わせてもらおうとする父…。
わたし:
だから引きあったのかもね。
母:
引きあったのか。笑
わたし:
ピタッとはまるもんね。
――合わせる人と合わせてもらう人。相性がいいようでいて、そう簡単ではない。両親がいい例だ。
合わせる人のほうが、どうしたって自分の希望を我慢することになるから当然、不満がたまる。
合わせてもらうほうは、自分の思い通りになっているのだから不満はない。
これではバランスが悪いだろう。
そもそも「合わせる人」は、人に合わせることが当たり前だと思っているのだから、相手も自分に合わせてくれるものだと思っている。
「気を遣い合って関係を築くもの」というお互い様の意識があるのだ。
だけど「合わせてもらう人」は、相手に合わせてもらうことで関係が成り立つのだから、相手も合わせてもらいたい人だと成立しない。不満を抱くのは、相手が合わせてくれないときだ。
ぴったりハマるようでいて、思い描く理想は大きく異なる。最初は上手くいっても、徐々に関係は破綻していくだろう。
わが家では、合わせることで自ら不満をためていたと気づいた母が、合わせることを辞めた。途端に父は、不満をため出した。とても簡単な仕組みだ。
- 今日はここまで -
育った環境による影響は大きい。わざわざ教え込まれなくても、それこそ親の背中を見て育つ。
だけど社会に出れば、「あれ?」となることがある。
この育った環境と社会とのギャップに気づいたとき、立ち止まって自分を振り返れるかが大事なのだろう。
でもそれは、合わせてもらうのが当たり前の人にとっては、難しいことなのかもしれない。
「あれ?おかしいな。思い通りにならないな」となったとき、相手のせいだと思ってしまうからだ。
相手がおかしい。
相手に変わってもらおう。
それが上手くいかないときは、強硬手段に出る。
怒鳴って黙らせて言うことを聞かせるのだ。
合わせてもらう人。つまり自己中心的な人は、自分を振り返るきっかけを掴むのがとても難しいと思う。
<次回にづつく>
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