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【連載】家族会議『北上川と過ごした子供時代』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。その様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
【家族構成】
父:自己愛性パーソナリティ障害。頭に血が上ると大声で威圧する。
母:自己肯定感が低い。自分の意見を言えない。
姉:うつサバイバー。心理カウンセラーをしている。
わたし:性犯罪サバイバー。家族会議を主導する。
※遠方に住む姉は家族会議には参加していない。
※家族会議の目的は、夫婦仲の改善と、うつを抱える姉の気持ちをわかってあげられるようになることである。
家族会議9日目#3|北上川と過ごした子供時代
――父が子供時代を過ごしたのは、北上川のすぐ近く。友達が川の向こうに住んでいたという。
わたし:
(友達の家には)橋を渡って行くんだ?
父:
船で行く。
母:
船で!?あららら。時代だね。
――今はもう閉校になっているらしい日形小学校が父の母校で、父の実家は小学校側、友人のじゅんちゃんの家は川の向かい側にあった。
どうやって遊んでいたのかと思えば船で行き来していたらしい。
父:
じゅんちゃんのお父さんが船漕いでたから。「おーい」って言うと船が来て、渡って。
わたし:
川を横切るのって結構大変なんじゃない?
父:
結構大変なんだよ。結構流れきついから。
――北上川のそばを1度通ったことがあるけど、大きな川だ。
母:
その川が氾濫するわけ昔。
父:
北上川で夏水泳して遊んでた。
わたし:
危なくないの?
父:
ちゃんとね、監視人がいてさ。
母:
あれでしょ。親たちが交代かなんかでやって
父:
そうそう。行っちゃ駄目よってとこを行ったりすると、親父に連絡行くから、それが嫌だから誰も行かない。約束はちゃんと守る。
母:
亡くなった人もいるもんね。
父:
うちの兄貴がそうなんだよ。のりよし。
母:
そうだ。
わたし:
お兄さんは遊んでたときってことなんだ?
父:
うん。よくね、若者はね、川を泳いで渡るっていうのが流行ってたみたいね。それで、その川がね、ぬるくなったり、渦巻いてるからさ、冷たくなったりしてたらしいんだわ。そこで心臓麻痺が起きたんじゃないかということなんだわ。
母:
大人だから、監視とかね、もうされない年齢だからね。
わたし:
何歳だったんだっけ?
父:
20歳。
わたし:
なんかその話、あんまり詳しく聞いたことないなって。亡くなった人がいるのは知ってたけど。
でも20歳だからさ、関係はそれなりにあったのかな。一緒に過ごした時間とか。
母:
お父さんは3歳とかって言ってたよね。
わたし:
そんなに離れてる?
父:
離れてる。
だから知ってるのは、何か2階で机があって、その机で話したこと1回だけ、覚えてんな。
わたし:
そっか、じゃあんまり思い出は、お父さんの中にはないんだね。
父:
うん。とにかくおふくろが憔悴しきっちゃってさ。葬式のとき。その印象だけは覚えてんな。
わたし:
(亡くなった)おじちゃんと、どんな話したか覚えてないの?
父:
いやその1回だけでね、なんか…
わたし:
ニュアンスとか。楽しい話?
父:
楽しい話。うん。何かギターを弾いてたような気がしたわ。
わたし:
一緒に何か遊んでもらったみたいな、お喋りして遊んだみたいな感じだったんだね。
写真とかって飾ってあったっけ?
母:
あったんだよ前の家には。越してきてからは、あった?前の家には確かあった。見た覚えがあるから。
わたし:
そうなんだ。誰に似てる??
母:
なんかふっくらした感じの。お父さんと似てるよね。
父:
いい男だよ。笑
わたし:
いい男。笑、そうなんだ。じゃお父さんみたいになったのかな?生きてれば。
なんか川で亡くなった人がいるくらいしか分からなかったけど、大人になってからだったんだね。川で泳いで遊んでいる途中に心臓麻痺を起こして溺れた…。
それって、お父さんはもうわかんないかもしれないけど、その瞬間を誰か見てる人がいたってこと?
父:
一緒に誰かとやってるから
わたし:
じゃすぐに
母:
友達でしょ?
父:
そうそう。溺れたとはなって、騒いで
わたし:
引き上げられた。
父:
うん。徹夜して探したのかな、すぐ見つかったんだわ。次の日の朝かなんか、夜か知らんけど多分。
母:
探したんだね。
わたしは川のそばじゃないけど、北上川で人が亡くなったとかっていうのは何回か聞いたことはある。砂利かなんかを掘って急に深くなっているところがあるとかっていう話も。
父:
そういうところもある。
母:
だから危ないんだっていう話を聞いてた。
父:
だから泳ぐところは、大丈夫なようなところに限定して監視人が必ずいる。監視人が、今日は泳いでOKNGというのは、白旗か赤旗立てて
わたし:
へえ。なんか遊びも命がけだったんだね。
父:
今はね、指定されてないみたいだな。
母:
だからプールができてるわけだから。昔はプールはなかったからね、学校に。
わたし:
そうだよね、そうだったんだ。
なんか写真見てみたい気持ちになってきた。(亡くなった)おじちゃんの。でも無いのかな?
父:
無いんじゃないか?
母:
例えばお兄さん(長兄)の家だったら置いてたかもしれないけど。
父:
兄貴の家がなくなったからな。
母:
みんな持ってこれないでしょうから。仏壇も小さいの買ったって言ってたし。
――父の家の跡継ぎだった長兄はもう亡くなっている。長兄の息子たち(わたしの従兄)は独立していたから、家は処分することになった。
そもそも父が生まれ育った実家は、とうの昔に人手に渡っているし、祖母が晩年を過ごしたのも娘の家。そうやって引っ越しを繰り返すうちに、思い出の品も必要最小限に整理されていくことになった。
おそらくわたしも、遺影を見たことがあるんじゃないかと思う。幼いときに。誰が誰なのか、わかっていなかったけど。
でもこうして話を聞き、人となりが見えてくると急に、あの写真の人たちが生きていたんだとリアルに感じられる。今こそ写真を見たいのに、見られない。そういう意味で、記録って大事なんだなと思う。
わたし:
そうか。のりよしってどういう字?
父:
則(そく)
母:
規則の則、ね。
わたし:
話が脱線していっちゃうけどさ、どういう意味か聞いたことある?なんで和義か、とか。
父:
あのね、あれなんだ。その前(長兄の前)にね、2人ぐらい亡くなってんだ。赤ちゃんのときに。そのときの名前は「義」ついてない。
わたし:
そうなんだ。
父:
うん。名前がよくないって言って。光義(長兄)っつったらそのまま生きてるわけよ。全部それでみんな「義」つけようっていうことで、光義、則義、信義、和義となった。
わたし:
なるほど。光義おじちゃんの前に男の子が2人いたってことか。
9人兄弟だったのか。すごいね、おばあちゃん。
父:
すごいね。それだから裕福に育てるってできないよな。
わたし:
ま、人数がね、多いだけでも大変だからね。
- 今日はここまで -
父は兄弟のことを、あまり語らない。聞けば話すのだけど、聞かないと話さない。だからわたしも、父の兄弟の存在を忘れてしまう。
兄弟のこと、育った家のこと…父の幼少期をこんなに身近に感じたのは初めてな気がする。
<次回に続く>
これまでの家族会議記事はマガジンにまとめています。お時間あればぜひ、わが家の会議をのぞきに来てください!
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