『当事者は嘘をつく』を読んで姉を想う
想像を絶する。苦しみと葛藤がビシバシ伝わってくる。1日で一気に読破してしまったけど、何度も読み返して言葉のひとつひとつをかみしめたい。
この本に向き合うことは、ある意味では自分の傷をえぐることなのかもしれない。でもわたしはこの物語を、姉に重ねて読んでいた。
『当事者は嘘をつく』を手に取ったきっかけは、NHKの番組を見たことだった。被害の経験のあと、何を思い、どう生き延びてきたのか。本の内容をもとにインタビューに答えていく小松原織香さんを見て、実際に読んでみなければと思った。
その時点でわたしは、彼女と同類という立ち位置だった。
でも本を読み始めてすぐに、この物語は姉の物語だと感じた。
読めば読むほどに。
この人は、うつになったあとの姉と似たような生き延び方をしている。
そう思った。
そしたら姉の苦しみが、わたしの中に一気に流れ込んできた。
それで…
「生きていてくれてありがとう」
ただその言葉だけが、わたしの頭の中に浮かんだ。
小松原さんは番組の中で、「研究をやめたほうが回復できると思う」と言っていた。「自分で自分のトラウマをえぐっているのではないか」とも。
本を読んで、確かにそうだと言わざるを得ないほど、彼女は自分の苦しみに向き合っている。くるうほど。姉もおんなじだ。
うつの苦しみは、他人にはなかなか伝わらない。伝わらないから余計に苦しい。わかってもらえないから2次被害に遭い続ける。
わたしも、姉の苦しみのすべてはわからない。それどころか、姉を傷つけてしまうこともある。それでも姉は、わたしの言葉を理解しようとする。真意がわかれば、傷つけようとしているのではないとわかるからだ。
つまりこれは、わたしを悪者にしないための配慮。傷つけられながらも向き合う姉の努力があって、関係が維持されている。これは誰にでもできることではないと思う。だから…
怖い。今もずっと怖がっている。姉が壊れてしまわないかと、怖くてたまらない。父はなぜ、怖くないのだろうか。なぜ?
わたしにとって、姉は憧れの存在だ。
姉が姉であることが、ただ嬉しい。
子供の頃からそうだった。
理由なんてない。
ふつうに出会っていたら友達にはならなかったかもしれない。
そういうことじゃない。
姉だから。
ただそれだけ。
生き延びてほしい。
これからも。
…わたしってシスコンか?