【連載】家族会議『会話をすれば軋轢が生まれる…それもそのはず』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。その様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
家族会議8日目#5|会話をすれば軋轢が生まれる…それもそのはず
――母方の祖母は愚痴っぽいところがあって、逆に祖父は不満があっても控えめにいう程度。そんな祖父でも「人と比べるのはよくない」ということは度々言っていたらしい。やんわりと。
母:
おじいちゃんも比べられてんのかな。他の旦那さんと
わたし:
おばあちゃんに?あそこのうちはこうだってよって?
母:
そうそうそう!
わたし:
その可能性があるね!言ってそう!
母:
「あの人は木を切ってくれるんだってよ」とか。あと、おじいちゃんもあんまり社交的ではないからさ、社交的な旦那さんと比べられたりとかしてたな、そういえば。
わたし:
おばあちゃん本当嫌な言い方をする。頼めばいいだけのところをそういう言い方をするってことなんだね。でも頼むのも嫌っていうか、自分から積極的にやってほしいみたいな感じかな?
母:
頼んでも思うように切ってくれないとかね。頼まないでやってもまた喧嘩になりそうだけど、勝手なことをやってって。
わたし:
かもしんない。おばあちゃんの場合ね。
――笑っている父。
わたし:
似てるなって?
母:
おじいちゃんの気持ちわかるなって??
父:
おばあちゃんが頼んでも、思った通り(庭木を)切ってくれない。これはね、まいるんだよな、一生懸命切ったのに
わたし:
うちの夫婦間でもよく起きてるよ。
父:
これはどうしたもんかなと思って
母:
ていうか、私の場合は頼んでない。
父:
いや、いいんですほんじゃ。頼んでないのにやらなきゃいいんだからいいんだけど
母:
またちょっと…。現代の話だとこうなっていく
父:
いや小学校1年生だからそうなるんだって
わたし:
今の段階がね?
――会話やコミュニケーションが上手くできないことを、父は小学1年生(レベル)と表現している。
父:
小学校の1年生の段階だから。最終的には頼まなくてもやれる。やれたこと(やってもらったこと)が気持ちよくなると。おめえがな。そういう関係になればいいわけでしょうよ。
母:
私、勝手なこと言えば…。なんか勝手にやられると、自分無視されたような感じになっちゃう。なっちゃってた。
父:
だからその辺をまず直して。小学校2年生になったらね、
母:
だれが?私?
父:
いや全員が小学校、2年生に
母:
私も小学校1年生なのね。
父:
当たり前でしょ
母:
知らない。お父さんが小学校1年生なのかと思って
父:
ちょっと何考えてんの。そういう考えじゃ駄目なのよ。小学校1年生なの。お互いに。
――そういう考えじゃ駄目なのは父のほうである。
父:
ほんでなんだっけ。頼んでもいないのになんだっけな、なんつったっけ?
母:
あの、まあ勝手にやられると…。例えば、「木切ってあげるけど、どう切るの?」とか聞かれたら「こう切るんだよ」って言って、その通りやってもらったら嬉しいんだけど、そうじゃなく黙ってやられたら、何か自分が切ろうと思ってたのと違うように切られちゃったりすると…。
だいたいさ、私が思ってるように切れるわけないよね。
父:
ない
母:
ないよね?だからお父さんの切りたいように切ると思うんだけど、そうされると、自分の気持ちを無視された感じで、「こっちが考えてることは考えてくれないんだな」みたいな感じになるな。
父:
そこをやっぱ成長していきましょう。2人とも。無視してやってるわけじゃなくてさ、よかろうと思ってやってんだよ。
――良かれと思ってやっている。相手の気持ちを考えずに。それが無視なんだって。
しかも父は、その「良かれ」を褒めろ!「良かれ」に感謝しろ!と言う。
まったく押しつけがましい。
母:
でももう一つ言わせてもらうと。
自分がいつも手入れをしてた木を、予告もなしにお父さんがよかろうと思って切るっていうのが…。お父さんが木をいつも手入れしてたんならお父さんの自由でいいんだけど、私が手入れしてる木を、なんかお父さんの良かれと思う気持ちで切っちゃうっていうのが、すごい気持ちを無視された感じになる。
父:
それは今、全くやってないから大丈夫だよね。確かにそうだなと思うわ。木を切るなんていうのはイメージになるだろうから、イメージなんてわかりゃせんからさ、「悪いことやったな」と思ってやらないようにしてます今は。
だけど、日常の今やってる作業でさ、あなたのイメージというか、あるでしょう?
母:
台所仕事とか?
父:
俺のイメージもあるから一致するわけない。俺は一丁前の人だから、なかなか慣れないから、慣れるようにこれからお互いが成長しなきゃいけない。
俺ばっかり成長したってね、駄目なのよ。1年生でずっといたら。2人とも1年生だっていうことをまず認識してください。ちょっと上から目線で言うと。
母:
そのことで言えば、私もだいぶ自分の中で、言わないように努力はしてる。まだまだ足りないと思うけど、努力はしてる。しばらく前から、それはある。
もうこれぐらいは目つぶろう、これくらいはいいやとか、お父さんから見たら全然足りないかもしんないけど、ちょっとはやってるんだ。
父:
ありがとう。
母:
はい。やってるつもりです。
父:
生きる上の知恵としては、そうなんだろうね。だけど、口を出さないというのが、最終目的じゃないような気がするんだけど
――父は指摘を極度に嫌う。だから母は、気をつかってなるべく言わないようにしている。母は母で、「会話をすれば軋轢が生まれる」という父に配慮し努力している。
そう聞いた父は突然、「口を出さないのが最終目的じゃない」と言い出す。こうやってコロコロと意見が変わるのだ。
ただ単に、マウント取りたいだけだろう。
母:
そう??
父:
それ途中経過であって、途中の段階であって、
母:
その先ある?
父:
いや、一応そんなところでいいですかね。
――逃げた。そもそも父の持論とは真逆のことを言っているから、問い詰められると答えられない。
母:
それは途中経過だということね?
父:
ん?
母:
ん?なんだっけ?言わないようにするのが?
父:
うん、言わないようにするっていうのが最終目的じゃなくてじゃなくて、途中段階
母:
今?何言わないってことは途中段階で、まだ先があるんだよってこと、その先がちょっとわからないんだけど、
父:
なんか出てくんでしょ多分
母:
今はわかんないけど、その先があるような気はしてるよってこと?
父:
うん
わたし:
結局は思いやることなわけだから。良かれっていうのも結局は、自分本位なわけよね。そこに相手の気持ちが入ってこないからズレて、そうなるわけ。今までみたいに。
だから相手のことを思った行動をする。「良かれと思った」じゃなくてちゃんと考える。わからないときは聞く。それが、喧嘩を生まないことに繋がるわけ。だから、やっぱコミュニケーションをとっていくってことだよね。
父:
そう、何て言うの。嫌だけど「まあまあいいや」って言って、言うのやめたとかさ。そういうのは途中の段階で、最終的にはそれを言うんですよ。言って気持ちよくお互いが受け止めて「そうだね」と。で、そういうことを今後やらないようにすればいい。
言って、要するにコミュニケーション取って前に進むというのが最終系だろうけど、そこまで無理だから途中段階でいいと思いますよ。
――おおむね合っている。わたしたちが言ってきたことと。合っているんだけど…。
母が言わずにスルーしようと努力しているのはなぜか?それは父が、言ってもなにも受け止められないからだ。その意識がスッポリ抜け落ちている。一番大事なところなのに。
わたし:
まあ、何か起きる前にコミュニケーションを取れるようになるのが最終段階って感じかな。コミュニケーション取れてれば、何も起きなくなるっていうのが最終段階だよね。
――ここから父と母の不毛なやり取りが始まる。
父:
おじいちゃんとおばあちゃんの話はちょっとヒントをいただきたくて話題として提供したんだけど、おじいちゃんのやんわりというってのは、いいやね。参考にさせてもらいますわ。だからやっぱり、おばあちゃんのコミュニケーションなんだよ多分な
母:
おばあちゃん?
父:
おめえとおばあちゃんの。腹立つとか何とかっていうのを俺が思うに、
母:
なに?私とおばあちゃんのコミュニケーションが足りないってこと?
父:
できてないんだ多分。
母:
こっち子供だったしね。
父:
あっち大人でも同じ1年生。ここ(父と母)と同じなんだよ。というのは
母:
私が小さいときにおばあちゃんとコミュニケーションを取るっていうのは、コミュニケーションじゃないよね?反抗かなんか、口答えか、
父:
なんでもいいけど、口答えでも何でもコミュニケーションなんです!
母:
そうかもね、それをひっくるめれば
父:
ほんで何でそれが出てくるかというと、何もないところにそれは発生しないんだ。コミュニケーションがないところで良いとか悪いとかって、一切発生しないのよ。見てるだけだから。
母:
見てるだけって?
父:
見てるだけでさ、この人いい人だとか悪い人とかないでしょうよ。会話しないと。
母:
親子で?
父:
いや、まず人間対人間。親子でもいいよ。人間対人間で会話するでしょ。そうすると会話するたんびにさ、軋轢が生まれてくるわけだよ。それをうまいことこなして
母:
人間対人間って、なんか
父:
じゃ親子です!
母:
親子で?何かイメージができない
父:
親子。母親と子供。母親と子供と、父親と、どっちがコミュニケーションが多いかっていうと、今話聞いた限り母親とダントツに多いわけだ。
母:
私の場合?
父:
うん
母:
うーん。コミュニケーションが?
父:
うん。会話が良い悪いは別にして会話が。会話が多いということは、軋轢が生まれるんだよ。多分。と思いますよ。
母:
会話が多い・・・・うーん。接してる時間、会話が多いっていうか、接してる時間が多いよね。
父:
接してる時間っていうのは?
母:
母親と私の
父:
だから会話してんでしょ。
母:
会話になってたかな?子供のとき私とおばあちゃんが会話になってたか?何歳ぐらいの話聞いてるかよくわかんないんだけど会話?
なに言いたいの?お父さん、よくわかんなくなった。
父:
いや多分だからね、会話が多いと軋轢が生まれるよと
母:
そーーお?そうとも限らないよね?
父:
そうかね。俺の考えなんだけど、軋轢が生まれるよと。
母:
うん。
父:
軋轢が生まれると、どうしてもこういうことが必要になっていくんだろうと。こういうことも知らないから、ずっと1年生のままでいくと。いうことだろうと思うんですよ。
だから今おめえ、私も1年生かって言ったんだけども、1年生なんです。
母:
うん。言われたからわかったよ。
父:
そうですか。なんかわかんねと思って今
母:
それを説明してたの?
父:
はい。俺も1年生。
母:
わかったよ。だから泉にね、面倒見てもらってることになってるわけでしょ。
父:
そうだよ。いやだけど、なんかさっきまでは、俺だけが1年生でおめえが何年生だか知らないけど
母:
私もなんか、お父さんが1年生って、自分のことを言ってんのはわかってたけど、こっちまでそうだとは思わないで。だけど何年生とも思ってない。「お父さんは1年生だと思ってんだな」っていうのしかなかったけど、わかったよ。私も1年生ね。
父:
1年生と思ってくださいね、これから。
母:
わかりました。はい。
父:
それがわかってもらえればいいです。スタートラインが一緒じゃないと。
母:
はい。なんかよくないけどわかりました。
――ひとりで1年生なのは嫌!と駄々をこねる父に、「わかりました」と付き合ってあげる母。明らかに母のほうが、上級生である。
- 今日はここまで -
父は視野が狭い。自分の考えすら、全体像が見えていない。
父親より母親との時間が多く、会話も多い。そのぶん軋轢が生まれるというのは、日ごろから崇拝する自身の母親との間に、軋轢があったということになるがいいのだろうか?
そもそも、それは父の場合であって、母は父親とも、コミュニケーションを取っている。母親との間でわだかまりが生まれるのは、会話の量ではなく中身の問題だ。
この夫婦に軋轢が生まれているのも、会話の中身の問題。
それもそのはず。こんな会話をしていれば当然である。
<次回に続く>
これまでの家族会議記事はマガジンにまとめています。お時間あればぜひ、わが家の会議をのぞきに来てください!