【連載】家族会議『いのちの電話』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。2020年1月6日から約4ヶ月に渡って行った会議の様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
家族会議31回目#3|いのちの電話
姉が鬱であることを、親しい友人にも相談できなかったという母。
世の中で鬱に対する偏見があることを知っているから、話すことで特別視されるのが嫌だったのだ。
だけど、話してみなければ偏見は偏見のまま。
親しい友人なら、むしろ話すことで、関係性が深まることもあるのではないだろうか。
わたし:
そういうのを話していくことで、もっと、もっと深い話っていうか。友達の親の介護の話とかも、ある意味似たような家族の大変な話なわけじゃん。そういうのをお互いに出していくことで、もっといろいろ話しやすくなったりとか、することもあるんじゃない?って思う。
それに、単純に愚痴とかも。お母さんだって気持ち的にいっぱいいっぱいで、どうしたらいいかわかんない。そういう、ただ愚痴を、言える場所があってもいいって思ってるから。お姉ちゃんが鬱だってことに対して、愚痴を絶対に言っちゃいけないわけでもないと思うんだよね。
母:
うん。それでなんか、いのちの電話にかけた。そのとき。
わたし:
ああ。そっか。そういうのも一つだね、確かに。
母:
うん。
わたし:
お姉ちゃんのことでかけたのか。
母:
確かそうだった。やっぱいっぱいいっぱいになって。
だから、その電話では何も特に、それこそアドバイスとかなくただ聞いて、もらえて、なんかすごい、なんだろう。
ちょっと余裕ができたっていうか。っていう感じ、だったんだよね。1回だけだったけど。
もう結構、助けられたっていうか。
わたし:
そうなんだね。そっか、友達に言わないにしても、そういうところにはかけられたんだね。
母:
やっぱ友達には言えなくて。
わたし:
うん。その当時友達には確かに、なかなか言えないかもね。
けど、今になったら言える話しだよねって思う。
母:
そうだよね。
わたし:
だってさ、もう、どうすればいいかわからない状態じゃないし。鬱でもこんなに回復できるってこともわかってるし。それをきっかけに、カウンセラーっていう仕事についてるっていうことだったり、むしろ誇れるっていうか。
母:
だよね。大きく捉えすぎてるのかな。大きくっていうか、重くっていうか。
わたし:
そうだね‥‥何か、時代とかもあるのかな。年代、世代っていうか。
今って、昔より鬱とかって、珍しい病気じゃなくなってきてて。だから、多少の偏見があったにしても、話せばみんなわかるっていうか。あと興味を持って聞いてくれたりもする。どんなふうになるの?みたいな感じだったりとか。
あと、鬱とまでは診断されてなくても、鬱っぽい人って山ほどいるんだよね。で、逆にそういう友達がいるんだけど、どういうふうに回復したの?とか、どうすればいいの?とか。
母:
そっか。
わたし:
「頑張って」って言っちゃいけないんでしょう?とか。
そういう話になるから、1個1個誤解を解いてくっていうか。
母:
私自身、お姉ちゃんが鬱になるまでは、本当に知らなかった。何も知らなかった。
わたし:
わたしもそう!
母:
なってから、多いんだなとか、いろいろな情報的なものが。それまでもあったのかもしんないけど、耳に入らなかったのか。
わたし:
そうだね。
母:
それでお姉ちゃんのことがあってから、すごく耳に入るようになって、多いんだなっていうこととか、その境目とかもいっぱい。
あとは、その頃聞いた統合失調症とかは、すごい恐ろしい病気かなと思ってたんだけど、それもいろいろ聞いてると、いろいろあって、いろんな人がいて、こないだ読んだ本の人なんかは統合失調症になって、結婚して子供がいて、未だに統合失調症だけど、何とかやってるみたいな話とか。
知らないとただ恐ろしいだけっていうか、そういう感じだよね。
わたし:
そうだね。だからやっぱ隠すと、余計に認知されないって、いうことにはなるよね。身内にいるからこそ、教えてあげられることがあるとは思う。
だからやってよっていうわけじゃないけど。
母:
とにかく、その辺はもう少し、考えてみるね。
わたし:
うん。こういう話を聞きながら、自然とそういう気持ちになったときに出てくればいいもので、頑張ってやらなくてはいいと思う。頑張ってやると逆に変なことになるんじゃないのかなって
母:
何度か言いそうにはなる。だけどまだ言えてないみたいな感じ。
わたし:
まあ、でもある意味そういう経験とかはさ、今のボランティアに繋がってたりするわけだから。
なんか、確かにね、友達にはなかなか言えないことではあるかもしれないけど、そういう(偏見を解く)側面もあるってわかっていれば、言えそうなときに自然とポロッて出るんじゃないのかなって気はする。
母:
そっかそっか。
わたし:
お母さん、無理に頑張って言ったりとかしそうだもんね。
母:
しそう?笑
わたし:
そうではなくていいと思うんだけど。笑
わかることが大事だよね、まずは。
― 今日はここまで ―
偏見を気にして友人に相談できないのはさみしいなぁと。
それは、その友人にとってもさみしいことではないか‥‥と思うけど、それでも言いづらいことはある。
なにがなんでも友人に話さなければならないわけではなく、話しを聞いてくれる人は、実はたくさんいる。
そのひとつが、母が電話をかけた「いのちの電話」だ。
「いのちの電話」は、傾聴が基本と言われる。
見ず知らずの人だからこそ、気軽に、なんでも話せる。
そして、相談に乗ってくれるといよりは、ただただ、話しを聞いてくれる。
こう言う場は、「いのちの電話」だけではなく、探せばたくさんある。
友人に話せないことは、こういう場を利用してみるのもいいだろう。
「いのちの電話」ってなんなのか、詳しく解説されている記事を見つけたので、興味のある方はぜひ見てみてください。
<次回に続く>
これまでの家族会議記事はマガジンにまとめています。お時間あればぜひ、わが家の会議をのぞきに来てください!