【連載】家族会議『「俺」は守りたいだけ』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。2020年1月6日から約4ヶ月に渡って行った会議の様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
家族会議16回目#8|「俺」は守りたいだけ
――この日は2回目の家族会議の録音を聞きなおし、その感想や思いを話し合っている。
2回目の家族会議で母は、「実家の習慣の違いでお父さんから見下されている気がしていた」という話をしていた。
こうした父の上から目線は、夫婦間にわだかまりを生み出す大きな要因となっている。
しかし父にとっては、「俺のどこが?」であって、本人にそのつもりはない。
そのつもりはなくても、わたしたちはハッキリと感じている。
父は人を上か下かでとらえているし、妻や子を下に見る意識が根付いていると。
そんな意識(偏見)が根付いた原因は育った環境なのだろう。と、ここまでが昨日のブログで書いた話だ。
父の実家の人たちは総じて、「上」意識をもっている。彼らにとっては、自分たちが「上」であることは揺らぎようのない事実。であるから、人を見下すことはごく自然で、そこに悪意はない。
それが当たり前の環境で育った父が上から目線になるのは必然ともいえる。
そしてその「上」意識は、当然「上」であるほど強い。父の兄弟の中では長兄である伯父が、一番の上から目線だ。
伯父には息子がふたりいるのだが、わたしはその息子(いとこ)からも上から目線を感じるのである。
わたし:
シン兄ちゃん(長男)も喋り方が上から目線な雰囲気出てるから、やっぱおじちゃんと似てるっていうか。だけどケン兄ちゃん(次男)は感じないかもな、あんまり。
父:
シン兄ちゃんとケン兄ちゃんの違いというのは、言葉数が違うんだわ。
わたし:
うん。確かにそれもある。
父:
ケン兄ちゃんに喋らすと、地が出るのか出ないのかっていうとこだよ。シン兄ちゃんはもう全部出してるから。喋ってるし。
母:
うん。表れやすいというか。ケン兄ちゃんがシン兄ちゃんに腹を立てるときって、そういう感じかな。
わたし:
腹を立ててたの?
母:
「兄貴って…」みたいな感じで。
ケン兄ちゃんも、お兄ちゃんがやることだから言わないようにしようと思うけど、なんかちょっと言い方とか、そういうのにあれしてんのかなって。
もちろんシン兄ちゃんはお兄ちゃんだと思ってるしね。兄だからみたいな感じで話もするだろうし、先に立ってやんなきゃって。まず自分が決めなきゃみたいなことで、自然とそうなっちゃうのかもしれないけど。
わたし:
そういうところも似てるよね。おじちゃんも長男だっていう意識が強かったし。それが良い面も悪い面もあったっていうかさ。なんか似てるなって思う。シン兄ちゃんは。
――伯父は上から目線だし、差別意識も強い人だ。でも一方で、長男として率先して、その役目を全うしてもいた。
自己中心的ではあるものの、長男が負わなければいけない責任があることを自覚し、その責任を負っていたと思う。
いとこのお兄ちゃんも、責任感は強い。ちょっと酒乱なところもあるけど、跡継ぎとしての責任を果たす人だ。
わたし:
だけどケン兄ちゃんがいろいろ喋ったとして、上からっぽい雰囲気になるイメージはあんまりないな。接したときの
父:
雰囲気か。
わたし:
雰囲気かな。話して感じるものが控えめというか優しいというか。
父:
俺も控えてたと思ったんだけどな。
わたし:
お父さん末っ子だしね。お父さんも口数は少ないわけじゃん。
父:
少ないよな。いや。少ないって言うか、家庭では多いんだと思うわ。
――9人兄弟の末っ子の父は、兄弟で集まったときほとんどしゃべらない。主張をすることもなく、言われたとおりにやるだけ。
そんな父でも、わが家では「上から目線」になる。「上」意識をしっかり受け継いでいるのだ。
母:
あれじゃない?ちょっと思ったんだけど、家庭とまたちょっと違う。やっぱ人格とかも関係してくるのかもしんないね。
家庭で出てくる人格と、兄弟で集まったときの人格とがちょっと違うのかなって感じはするけど。お父さん、お兄さんのことあんまり上から目線って感じないって言ったじゃん?
わたし:
喋り方ね。
母:
それって、お父さんはお兄さんに会ったときに、違う人格が出てくんじゃないかなと思うの。気にしない人格かなんか。
もうお兄さんのことは、お兄さんの言う通りにしようとか、お兄さんのことは受け入れようとか、そういう人格がいて、そのモードに切り替わっちゃうから気になんないのかなみたいな。
父:
人格言われると私ついていけません。そう思うんだからそうでしょうとしか言いようがない。
わたし:
でもお父さんの場合は、むしろ人格を明確にしていくと、いろいろ解決したりするかもね。
――自分の中にいろんな人格がいる。
この理解を阻むひとつの原因は偏見だろう。精神障害への。
理解が難しいものであるのも確かだから、「人格言われると私ついていけません」と言われれば「そうだよね」と言うしかない。
だけど本当は、疑問をもって考えてみてほしい。
父の統一感のない態度も主張も、いろんな人格がいると言われたほうが納得がいくのに。
- 今日はここまで -
あんな気持ちやこんな気持ちがある。それを自覚していない父にとって、人格を明らかにすることは有意義だと思っている。
「俺はこう思う」というときの「俺」が、他にもいろんな気持ちがあることを知らないのだから。
そこに抑圧された感情があるだろうし、わたしは「ぼく」のいうことも聞いてみたい。
基本的に自己中な父だけど、本当はそれだけじゃないはずだ。
たまに、ほんとにたまーに、愛をもっただれかが、顔を出すときがあるのだから。
わたしたちは、その人と話がしたい。
だけど、「俺」に阻まれてしまう。
愛をもった、愛を求める純粋なだれかが傷つかないように、「俺」は守りたいだけだったのだろう。
だけど奥に隠しているうちに、「俺」が「俺」なのだと、俺以外の存在を忘れてしまっている。
父はまるで、そんな感じだ。
<次回に続く>
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