【連載】家族会議『子供の気持ちがわかるということ』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。2020年1月6日から約4ヶ月に渡って行った会議の様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
家族会議23回目#1|子供の気持ちがわかるということ
――2020年3月6日。家族会議23回目。
わたし:
今日はお姉ちゃんのことかな。
母:
お母さんとお姉ちゃんが電話で話して、そのあとお父さんが話して、そのあと泉が話した、話だよね?
わたし:
なんだったっけ。お姉ちゃんが‥‥
母:
これはお父さんから聞いたことなんだけど。
劇場型で、親に押さえつけられているから言えなかった。外に出したいけど出せなかった。親が楽してるぶん、そうやって押さえつけて楽してるぶん、お姉ちゃんがそれを我慢してきて、今すごく、今っていうかずーっと苦しんでる。抑えて我慢してきた。ずっとつらい人生を生きてきた‥‥。
わたし:
うん、そうだ。お母さんに出せないというか言えない。
母:
お母さんになんだね。
わたし:
お母さんにだと思う。なんかお母さんと話してるとイライラするんだけど、自分でも何にイライラしてるのかわからないっていうのもあるし、だからストッパーがかかるって感じなんだろうね、気持ちと言葉に。
言いたいんだけど言えないみたいになる。っていうのが、お母さんになりやすいって。
母:
お父さんには話せるけど‥‥
わたし:
うん。その場で言えれば一番いいんだろうけど、なんか言えない。それがやっぱり、「言ってもどうせわかってもらえないだろう」っていう思いがあるからだって言ってたんだよね。
小さい頃から、お姉ちゃんとしてはいろいろ我慢してた。
言ってもわかってもらえないし、わかってもらえないと悲しい気持ちになるし、その悲しい気持ちにまたなるのが嫌だし‥‥だから抑えちゃう。気持ちも言葉も抑えちゃって、ただただ無言になっちゃう。
母:
また悲しい気持ちになる‥‥。
わたし:
ずっと、気持ちが晴れることがなかったってことだよね。言っても言っても。
だから一番は、わかってもらいたい。っていうのがすごくあるんだなって。言うだけでは満たされないというか。やっぱ言うからには「わかってもらいたい」っていうのは普通にあるからね。
母:
その通りだっていうか、そりゃそうだ。
わたし:
それで、「わかるってどうすればいいんだろう?」みたいな話を昨日してたんだよね。
母:
うん。なんていうの、まだまだだけども、何か昨日‥‥。
今まではね、自分のイメージとしては、お姉ちゃんが居る。お母さんが居る。そしてお母さんから見たお姉ちゃんのことを、感じてた。
だけどなんか、自分の、なんだろう、魂じゃないけど何かが抜け出してこっち(お姉ちゃん側)に入ったら、入ってこっち(自分)を見たら、それを頭の中で想像してみたらね、なんかこの人は‥‥人間っぽくなかった。
わたし:
お母さんが?
母:
うん、人間っぽくなかった。無表情。なんか人間らしくない。形はあるんだけど、なんか無表情な、無感情な人で。あとはこっち(お姉ちゃん側)としたら、見えない糸で、糸どころじゃないもっと太い見えない綱みたいなもので、すごく縛られてる。感じ‥‥
のところまでは、感じれたんだけど。
今までこっち(自分)から見てては見えないものが、確かに見えた。けどなんかまだ‥‥
わたし:
そうだね、その、無表情で無感情に見える。のが母親って、どんな気持ちになるかっていうところだよね。そんな人に縛られて、どんな気持ちかっていうことかな。そこだよね、お姉ちゃんの気持ちって。
母:
なんか今まではこっち(自分)から見て、「悪いことしたな」とか、「そんなだったらつらかったよね」とか思ってたんだけど。それでわかってるような気に自分はなってたんだけど。ちょっとこうなって(目線を変えて)みたら、なんか違う。違うなぁ。全然違うものが見えるって感じ。
だけど、まだ見えきってないというか。でもこっち(お姉ちゃん側)に入るイメージは何となく。
やっぱり、こっち(自分)から見てるときってなんか、自分の気持ちで見てるって言ったらいいのかな。そういうことだったかなって。なんか、「大変そうだな」とか「辛そうだな」とか「悪いことしたな」とかあるんだけど、やっぱり自分から見たことを思ってた感じ。
わたし:
(お姉ちゃん側に)入ってって、その無表情で無感情な母親と向かい合ってて、どんな気持ちになるかっていう‥‥そこの気持ちが感じられないとしたら、お母さんやっぱり、自分の気持ちを感じれないってことになるかなと思う。
母:
自分‥‥自分自身の出来事とかいろんなことに対して、自分は感じられてない‥‥。無表情だしね。
なんか、人間らしくなかった。なんか人形みたい。人形という綺麗なものじゃなく、もっと無味乾燥な。なんて言ったらいいのか、人の形はしてるみたいな。
わたし:
感情が見えない。って感じかな。
母:
うん、温かさもない。自分がそういう感じだっていうことだね。自分の気持ちがっていうか。
― 今日はここまで ―
子供のことを考えている親は多いと思うけど、子供の気持ちを本当にわかる親、本当にわかろうとする親は限られると思う。
「子供の気持ちをわかる」とはどういうことなのか‥‥
母は、自ら実践して教えてくれた。
子供から見た自分がどんな人間であったのか、それを直視するのは、とても苦しいことだったと思う。
それでも必死に向き合ってくれる母に救われる。
本当に、母は偉大である。
<次回に続く>
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