【連載】家族会議『受け継がれ歪んでいく意識』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。その様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
家族会議12日目#6|受け継がれ歪んでいく意識
――家族会議12日目は、父の上から目線の話題が中心となっている。
父としては、立場が上の人は、上から目線の人が当たり前。というより、目線もなにも「上」だろう。という考えだ。そして下の人は「下」。だから嫌な思いをしようが、「下」なんだから仕方ない。という。
だから自分が上から”目線”であることも、理解できない。「上」であって、「上から目線」ではない。と。
そこでわたしは、何とか理解してもらおうと『上から目線の構造』という本を取り寄せて読んでもらった…のだけど。
父:
上から目線ってなんぞやって言ったら、相手の気持ちを読み取れないって。いや、そんなことないなと。
――父は、「俺は相手の気持ちを考えられる男だ。」と言っている。
上から目線の特徴のひとつに、”相手の気持ちを考えられない”というのがあるけど、俺は考えられるから違う。と主張している。
わたし:
そっか。(上から目線の人が)相手の気持ちを読み取れないのも特徴としてあると思うけど、そもそもは基本、上から目線の構造がその人の中にあるからだよね、とは思う。
相手の気持ちを読み取れないっていうより読み取ろうとしないって感じだと思うんだよね。上から目線の人って。自分が上だから。読み取る必要がないから。
基本的に「上から」がベースにあって、人の気持ちを読み取ろうとしない。お父さんとしては家でやる行動もね、気持ちを考えてることではある。あるんだけど、お母さんとの間でうまくいかないことで言えば、独りよがりな気持ちの読み取りだから。っていう感じ。
父:
そう、それは言えるの。
わたし:
お父さんが思うお母さんの気持ちなだけであって、本当のお母さんの気持ちを読み取ろうとはしない。
父:
読んでないんだそこな。だから迷惑だっていわれる。
わたし:
だからずれちゃうってことなんだよね。
父:
それはまさしくこれ(本)読んで感じたわ。
わたし:
書いてあった?そういう感じのこと。
父:
うん。人の気持ちを読み取れないと、上から目線になっちゃうよっていう。
わたし:
うん…。逆。逆なイメージだね。上から目線だと人の気持ちを読み取れなくなっちゃうよ。の方がなんかしっくりくる気はするね。人の気持ちを読み取れないからって上から目線にはならないと思うから。それはただ人の気持ちがわからないだけの人っていうかさ。ただの自己中…。
父:
いやこっちで書いてるのあれじゃないかな。上から目線ってどういう人?と。
上から目線っていうのは人の気持ちを読み取れない人ですよと。だからそれを、どう順番に地盤を構築するかっていうのは、ちょっと深く読んでみないと。
――順番に地盤を構築とか…。そんなややこしい話ではない。シンプルな話だ。
父がここでややこしくしてしまうのは、自分の立場を守るためである。自分に都合の悪い事実を避けて、理論を組み立てようとするからだ。
わたし:
そうだね。じゃあとりあえず読んでみれば。
母:
なんかその間に…上から目線で人の気持ちが読めない、その間にお父さんがよく言ってる褒めてもらいたい
父:
褒めてもらいたいも書いてあるんだけどね。これちょっと話複雑になるからさ。
母:
なんか私は、褒めてもらいたいっていうのはその間にあるから…。目的がちょっと、人のためにやってあげようっていうよりも褒めてもらいたいのが先に立つから、人の気持ちよりもそっちが優先しちゃう。結局は、人の気持ちまで考えられない。みたいなことかなって。
父:
なんかね、褒めてもらいたいみたいなのはね、日本の文化と、欧米の文化の比較で書いてあったんだな。
欧米の文化は父型の文化で、グイグイ引っ張る方なんだってさ。日本の文化って母型文化があって、曖昧としたところがあって。そこで褒める、どうのこうのってあったな。これ結構難しいわ。
――本を読んでもらったのは失敗だったかもしれない。シンプルな構造が、余計にややこしくなっているかも。
母:
もう一ついい?
父:
どうぞ。
母:
お父さん、私の言動で上から目線って感じることあんじゃない?
父:
うん、ある。
わたし:
他の人のは感じたことないけど、唯一お母さんの上から目線だけは感じるって言ってたよね。
母:
なんかそうなっちゃってるときが…
父:
最近な
母:
ある気がする私。お父さんに対して。上から目線に自分がなってるときがある感じはしてんだよね。それが上から目線じゃない?笑
私が言うのもなんなんですけど、それが上から目線。私に感じるのが上から目線かもしれない。感じるんだもんね?笑
父:
だけどそれって、自分がわかってるからいいじゃない。俺は根っこからね、そういうものを持ってるから小さい頃からね、村社会で。お山の大将やっててさ、そういう素質が生まれてる。っていう話になるとちょっと違うじゃん。上から目線に対抗しようと思って上から目線をやったわけでしょ。
わたし:
お母さんはね。
母:
そういうことなのかな?
わたし:
そういうことだと思う。
なんかわかんないけど、印象としては、お山の大将やってた経験が上から目線を構築したっていうよりは、やっぱり何だろう、実家の雰囲気かなって感じがするかな。
父:
まあ、家全体がそうかもしらん。冷たいような雰囲気で。
わたし:
冷たいっていうかほら、お父さんが育つ頃にはもうボロボロだったかもしんないけど、元々はちょっと裕福な家だったわけでしょ?
そうするとやっぱ態度は大きめになるよね。周りより。みんなは逆にへりくだる、ちょっと優位的な立場。やっぱそういう立場にいると、それが当たり前にもなるし。空気…
父:
空気な。わかる。それね、その通りだよ。
だけどそれだけかっていうとそうじゃなくって、そこへ相まって、俺成績良かったわけだ。それでそれが加速されたと。いろんな要素がね。だから一つの要素で上から目線っていうのはないと思うわ。
わたし:
うん、もちろんそうだね。
父:
だから泉が言う通り、家そのものがそういうものを持ってるよと、言われればその通りですよ。そこへ持ってきて俺がね、成績たまたま良かったんで村の社会で天狗になってさ。
上から目線の下地があってさらに上から目線が強くなったと。いうのが幼少期だろうと大雑把に言って。まだあるのかもしらんよ。
――普段は視野が狭い父だけど、突然視野が広くなった。実家のことをちょっとでも否定されたときの反応(反論)は早い。実家は関係ない、俺自身に要因があるのだと。
どちらかといえば、「育った環境がそうだったから仕方なかったよね」と擁護してあげたいのだけど…。擁護すると「悪いのは俺だ」と言い出す。それまでどうしたって自分の非を認めなかったことでも、だ。面倒くさい…。
母:
泉がいうそのね、裕福な頃の意識みたいなものが、やっぱ今思ったのは、〇〇家(け)っていう言い方が、そこにも表れてる気がする。
自分たちのことを〇〇家って、よくお兄さんも言ってたし、なんかいろんな人がね。
私は自分が育つときに、自分たちのことを「〇〇家」って誰も言ってない。だからお父さんの実家の人たちが言うのを聞いて、なんかちょっと…何か違うっていうか。その辺もやっぱり、意識としてあるからこそ言ってたのかもしれないなって、ちょっと思ったの。
わたし:
そういう家(いえ)の意識って、今はなくなっていってるけどさ、その頃あったかもね。しかも武家の流れ?
母:
うん、武家の流れでしょうから
わたし:
やっぱ家としての位が高いんだ!みたいな。プライドとか。まあ
母:
自然と育っちゃうよね。
わたし:
育つよね。
- 今日はここまで -
祖父の実家は何代か前、武家だったらしい。そして祖母の家は、地主だったという。父が育つ頃にはそんな制度は撤廃されているが、意識だけは受け継がれたのではないか。
しかも受け継がれながら歪んでいった…。
それは、伯父からも感じていたのである。
差別意識や上から目線…。偏見が根付いていて、それが偏見だとも気づかない。
そんな人たちが、今は自己愛性パーソナリティ障害だったりする。偏見まみれの人は、生きづらいのだ。
それは世の中の意識が逆転したからではない。もとより人とうまくいかない。
ランク付け意識こそが自分を縛り苦しめていることに、いつになったら気づくのか…。
<次回に続く>
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