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ブッダとシッタカブッタ
70代の母は最近、漫画にハマっている。
図書館にも漫画があることを知ってから、毎回5~6冊は借りてきて、夜更かししながら読んでいる。
読み始めると止まらなくなるのは、何歳になっても同じらしい。
図書館にあるのは古い漫画がほとんど。
手塚治虫やシェイクスピアの戯曲が漫画になったものとか、「題名は有名だけど実は良く知らない」ようなものが豊富だ。
母も主にそんな本を借りてくるのだが、今回、そんな本にまじって『ブッダとシッタカブッタ』という本があった。
表紙にはブタの絵。
ブッダって仏陀?
『ブッダとシッタカブッタ』は、母が新聞か何かで知って、気になっていたらしい。
仏教を学べる本だと知って、わたしも読みたくなり返却期限を延ばしてもらった。
ブタと仏陀をかけてしまうなんて‥‥。
お釈迦様は怒らないのだろうか。
いや、お釈迦様はそんなことで怒らないか。
ブタと仏陀。
大胆だけど、ブタのキャラクターのおかげで気負わずに読めた。
ただ、漫画本のすべてに言えることだけど、サクサク読めてしまうのが難点。
ともすると仏教の教えに気づくことなく、さらっと読み終える可能性がある。
4コマに集約された「教え」に気づけるかどうかは、読む人次第かもしれない。
実は最近、母とわたしの間では密かな仏教ブームが起きている。
きっかけは、知り合いのおじいちゃんが般若心経の解説本をコピーしてくれたことだった。
このおじいちゃんは、わたしが中学生まで住んでいた家の近所のおじさん。
昨年11月、奥様が亡くなった。
母はこのおばさんに洋裁を教わっていて、わたしもお世話になった「近所のおばちゃん」だった。
親しかったのはどちらかといえばおばさんだったけど、ここ数年、おばさんのお見舞いとか、お葬式とかでおじさんと話すようになって、その気さくな人柄に好感度が急上昇。
ついには年末、わたしの友人と3人で飲み会まで開いてしまった。
もちろんわたしの友人は「はじめまして」だったわけだけど、わたし同様に「あの年代でまったく偉ぶらないのがすごい‼」「めっちゃいい人‼」と大絶賛。わたしよりも社交的な彼女は、「おじちゃん!今日から友達ね!」と帰りにはハグまでしていた。
「あの年代」の男性といえば、ほとんどの人が自己愛性パーソナリティ障害だ。※自論
だけどもちろん全員がそうではなくて、このおじいちゃんもそうではない人のひとりだった。
40も年の離れた、しかも女のわたしたちを、見下す意識がまったく感じられない。自論を押し付けてくることもしない。
なぜこのおじいちゃんはそうなのか。
もともとそういう性格とか、そう育てられたとか、いろいろ理由はあるだろうけど、その人格形成のひとつになったと考えられるのが「宗教」だ。
無宗教と言われがちな日本人の中で、宗教を信仰する習慣があるということは、ザ・日本男児とは根本的に違う気がする。
おじさんは、幼少期からのクリスチャンなのだ。
そんなおじさんは晩年、「般若心経」を学んでいるという。
宗教の垣根を越えてしまえるところが、「気さくな人柄」を表していると思う。
カルトへの苦手意識から、宗教自体を嫌煙しがちだけど、宗教の「教え」そのものには、人生のヒントがある。
おじさんのように、キリスト教と仏教の両方を学ぶというのは、おそらく真理を見極める賢い選択なのだろう。
すべての聖典の中にある真理は同じなのだ。ただその表現が違うだけである。
なんにしても、素敵だな、良い人だなと思う人の根底に哲学があるのなら、それを学んでみたいと思うのも人間だ。
宗教に勧誘するより、一緒に信仰しようと説得するより、本人が素敵であれば、良い教えは自然と広まる。
そんなわけで、般若心経の写経をしたり、YouTUBEで読経を聞きながら瞑想してみたりするのがマイブームになっている。
ブッダとシッタカブッタからも、いくつか覚書しておこうと思う。
心はかたちもなければ存在もしない
心はどんどん変化する 永遠に変わらないものじゃない
心ってちゃんとあるわけじゃない 波がたつようにただ起こるだけ
当たり前のことを言われているようでいて、理解には至らない。
それどころか、翻弄されているのが常だ。
心がおだやかになると
自分の姿が見えてくる
この状態こそが、ヨガの最終的な境地である「サマーディ」だと思うけど、「こうしたい」「こうなりたい」と思った時点でぜんぜんだめ。
亦無無明尽。
悟りにふりまわされてはならない。
般若心経の短い文のなかに、迷いや躓きポイントもしっかり入っているところがすごいと思う。
だけど、だからといって、教えの通りにできないのが人間。
勝手に暴走するのが心。
とくにヨガや仏教は、手取り足取り優しく簡単に。というより、気づかせて実感させて納得させる。そんな感じ。
それが難しい。
仏教の教えが日常に浸み込んでいる日本で、これだけ心を病む人がいるということが、実践の難しさを物語っている気がする。
知り合いのおじいちゃんのように、教えを学び取り入れ活かせる人は、ひと握りなのかもしれない。
しかしまあ、修業する、その行為自体が尊い。
完璧を目指さなくなったとき、ようやくヨガや仏教の教えに一歩近づけるのだろう。
最後に、「ブッダとシッタカブッタ」で、シンプルに響いた言葉がこれ。
いま何ができる?
「あのときあんなことをしなければ」とか、「どうすればこの先幸せになれるのか?」とか考えがちだ。
「今こう考えてみたら少し楽かも?」くらい気楽に、先のことより過去のことより「今」を見る。今できることをする。そうやっているうちに、幸せを実感できるようになっている。かも。
いま何ができる?
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