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【連載】家族会議『執念深い幼き日の記憶編』

「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。その様子を、録音記録をもとに書き記しています。

前回の記事はこちら。

家族会議3日目#7|執念深い幼き日の記憶

――自己肯定感が低いと、結果主義に固執してしまうのかもしれない。父を見ていると、そう感じてしまう。


結果がすべてという考えは、自己肯定感が低い人にとって非常にわかりやすい。良い結果が出ればそれだけで、周囲の人から認めてもらうことができるからだ。

ただ、結果主義には危うさがある。
それは、結果が出せなかったときだ。

結果を出すことでしか評価されないと思っているのだから、それまでの苦労もがんばりも、すべてが無駄に感じてしまう。それは絶望以外のなにものでもない。

だからこそ「人に求める」。

がんばりを人に褒めてもらえれば、苦労を人に認めてもらえれば、それだけで救われるからだ。父が「褒めて」「認めて」と人に求めてしまうのも、絶望感を味わわないための生存戦略なのだろう。


結局のところ、評価を人に依存しているのが自己肯定感の低い人だ。だからいつだって、自己評価はグラグラゆらぐし、ゆらぐからいつだってストレスフルなのである。

そんな父に育てられたわたしは、なぜか自己肯定感が高い。だけど父は、わたしに対し「自分と似ている気がする」と言う。父と同じように、気持ちを我慢して押し込めているのではないかと…。

だけどわたしには、父と決定的に違う部分がある。


わたし:わたしは押し込めてる気持ちはあっても、とくに人に求めてはないなって。そこがお父さんと違うかなって思う。
嫌な気持ちとか我慢してる気持ちとか、ゼロではないんだけど、かといって「してほしい」って、そうはならない。

:この気持ちを誰かに何とかしてほしいって、いう気持ちにはならない?

わたし:ならない。そこが違うってすごく思った。そうなれるのは、自分をある程度好きだからかな。お父さんはさ、満たされずに育ってきてるから、自分に自信がもてないというか、褒めてほしいっていう気持ちがずっとあるんだと思う。

だって、年間トップで表彰され続けるとか、答辞とか送辞の代表になるとか、すごいこといっぱいやってきてる。だからすごいのに、おばあちゃんがとくに褒めてくれないから、すごいことなのかどうかも、もうよくわからないっていうか。だから自信がもてないんだよね。ずっと。いつまでたっても。

外ではもちろん、表彰されるわけだから認められてる

:同級生とか先生とかからね。

わたし:そう。認められるけど、一番はやっぱり親に褒めてほしいんだよね。親に認めてもらいたい。そのために頑張ってるんだからって感じ。

外で褒めてもらう事だって、親に喜んでほしかったり、鼻が高い思いをさせてあげたかったり、そういう気持ちがあるからでしょ。だから全ては親のため

:外で、こんなこと褒められたんだよって親に言ってね。

わたし:うん。その気持ちを汲んでもらえなかったことで、自分に自信がない、自信が持てない。だからいつまでも褒めてほしいっていう気持ちがあるし、褒められてはじめて自分に自信が

:これでいいんだなって満足とか。

わたし:うん。だから仕事はわかりやすかったかもね。やったぶん結果が出てくる。やったぶん役職が付く、地位が上がっていく。ある意味認めてもらえるってことじゃん?

:証みたいなもの

わたし:うん。それでも子供のころに満たされてなかったから、やってもやっても、お父さんってなかなか自信が持てないんだよね。

:それだけやってんのに。

わたし:もうめちゃめちゃすごいことをしてるのに、「すごいことだよねこれ」って思ってるのに、誰かに褒めてもらわないと、ほんとにそれを喜んでいいのかわからない

:確実なものにならない

わたし:そう。だからこそ、お母さんとか、周りの人とか、とにかく求めちゃう。っていうことが起きてたってことだよね。だからまずは、昔のしてほしかったことを認めて、自分を満たして、自分を褒めてあげる。他人に求めるんじゃなくて、自分で自分を褒めてあげるってことなんだよねって。

そういう話を今朝してたら、「考えてみれば俺すごいよなぁ」って言ってて。「すごいこといっぱいしてきたよなぁ」って。「褒めてあげてもいいよなぁ」みたいに言ってたの。

:ははっ笑

わたし:だからほんと、ほんとそうなんだよって。


――父はこれまで、「すごい」と自覚しないことで、祖母に褒めてもらえないさみしさを感じないようにしてきたのだと思う。

「こんなにすごいのに」「こんなにがんばったのに」という気持ちがあると、褒めてほしい気持ちが抑えられなくなるからだ。祖母に迷惑をかけたくない、わがままを言って嫌われたくない父は、「これってそんなにすごいことじゃないんだ」と思うことで気持ちを押さえてきた。

だけど押し込まれた気持ちは消えない。ずっと心の奥底に居座り続けて、満足するまで人に求め続けてしまうのだ。


― 今日はここまで ―


無理やり押さえつけられた気持ちというのは執念深い。

いつまでたっても満足せず、ちょっとやそっと、人に褒めてもらったくらいでは消えてなくならない。だから自己肯定感を高めるというのも、そう簡単なことではない。

幼い子供が自分の気持ちを押し殺すというのは、塗炭の苦しみを味わうようなものなのだろう。強烈な苦しみと悲しみの記憶として、それこそ形状記憶のように残り続け、執念を燃やし続けるのだ。

<次回に続く>


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