【連載】家族会議『家族のことが嫌いでも』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。2020年1月6日から約4ヶ月に渡って行った会議の様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
家族会議18回目#7|家族のことが嫌いでも
――この日の家族会議は、2日目の録音を振り返りながら話をしている。
わたし:
上から目線といえば、上から目線って赤ちゃんの状態だっていうことだからね。おねえちゃん曰くさ。
母:
全然違いそうだけど赤ちゃんなんだね。
わたし:
やってもらって当たり前。イコール赤ちゃん。が上から目線。
父:
なんか誤解生みそうだな。上から目線イコール赤ちゃんなんて言われると。
わたし:
上から目線はやってもらって当たり前っていう状態の心理だから。やってもらって当たり前が許されてるのは赤ちゃんだけだよっていうことだよね。
赤ちゃんは自分で何もできないから、当然やってもらうし、それが当たり前っていうのが赤ちゃん。でも成長するにつれそうではないよっていうことなんだけど、赤ちゃんの時に満たされてないと、それが残っちゃってるよって。そうやっていつまでも人に求め続けたり。っていうこと。
父:
上から目線て‥‥人にやってもらって当たり前・・・・?
わたし:
っていう意識ね。意識があるっていうこと。
お風呂掃除の話でも、「俺ばっかりやってる」って言うのは、つまりは「自分は基本的にやらない」みたいなのがある。お父さんの中で。
「そんな俺がここ最近3回もやってる。俺ばっかりだな」みたいな。
ばっかりって言うってことは、自分が本来やるべきじゃないっていう意識が認識してなくてもある。本来俺がやるべきものじゃないことをやってるって思ってる。
だから「ばっかり」ってなるし、褒めてほしいってなる。だって、本来やるべきじゃない人がやってんだから「すごい頑張ってるでしょ?」とか、「すごいでしょ」っていう気持ちになるから。
父:
それとまるっきり同じなのがね、洗濯干しだよ。最初もう嫌で嫌で。なんで俺恥ずかしいことやってるんだ‥‥この前も言ったと思うんだけど
わたし:
うん。何回も聞いたね。
父:
ほんっと、どうにかなんねのかなと思ってた。だけど今は全然。なんとも思わなくなってきたな。
わたし:
そんぐらいのことだったってことではあるんだよね、お父さんにとっては。
だからもう本当に、家事は自分の仕事ではないっていうのがお父さんの常識なわけだから。それがここまでやってるってのは確かにすごい。
そういう目でこっちも見なきゃいけないっていうのはあると思うんだけど。
母:
はい‥‥
わたし:
どんだけ頑張ってここまできたかっていうところだし、家族の役に立つためとか馴染むためにさ、努力してきたことのひとつなわけだから。そこの気持ちもわからずにいると、やっぱギクシャクしちゃうよね。
――まあ、父の気持ちの大半は「褒めてほしい」なわけだけど。
わたし:
ただお父さんも、お父さんの常識はそうだったかもしれないけど、それが世の中の常識ではない。対等という目線で見れば、洗濯物干しも料理作りも妻の仕事と決まってるわけじゃない。それが常識だから。
お父さんが生きてきた時代は偏った常識が世の中の大半を占めてたからさ、もうしょうがないんだけど。でも今はもうそういう時代じゃないし。
それに普通に考えてお父さん、今外に働きに行ってるわけでもない。お母さんも外で働いてない。全くの対等な状態なわけだよね。そこになんの差もない。そう考えたら、どっちが家事やってもいいっていうか、自分のことを自分でやるのは当然だよね。
そういう意識があれば、「俺ばっかり」なんて出てくるはずもない。普通に自分の仕事って思ってれば俺ばっかりは出てこないわけだから、根本的な意識があるんだよね。言葉の端々に出てくるものには。
父:
いや本当恥ずかしかった。
わたし:
最初ね。そうなんだね。
それはね、お母さんもさ、結婚したての頃って一般的なことと思ってたよね。「お嫁さんになったら家事頑張ろう」とか思ってたわけじゃん。
母:
うん。うん。
わたし:
だから(家事をやるのは)お母さんにとってもナチュラルなことだった。
だから、お父さんが家事をやるのは不自然なことなんだよね。
逆に、お父さんにとってナチュラルなことをお母さんがやるときには、お父さんが洗濯物を干したときのような気持ちになったりもするっていうことをわかってあげる。ことが必要だよね。
相手の立場に立ってそういうことだよねって思う。
父:
だけど、上から目線っていうのが赤ちゃんっていうのはあるのかもしらんけど、どっちかっていうと、相手の気持ちを考えないというのがお父さんのイメージとしては。上から目線イコール、相手の気持ちを考えないっていうのが強いわ。
わたし:
もちろんそう。当然そうなんだけど、何で相手の気持ちを考えられないかって言ったら赤ちゃんだからっていうこと。自分がやってもらって当たり前と思ってるから、「誰かに何かをしてあげよう」「相手の立場に立って考えよう」みたいなことができない未熟な状態ってこと。
だから理屈では「相手の立場に立つんだな」とか思っててもできないわけだよ。いつまでも変われないのは、根本が変わらないからってこと。
父:
これ、世の中皆そうだよなあ?
わたし:
そうだよ!そうなの!お父さんだけのことを言ってない。
だからお父さんにも選択権はあるよ。やりたくないならやんなくていいよって思ってるよ。わたしも。それにお父さんの世代の人が変わるのって本っ当に大変だと思うから、嫌ならやめればいいと思う。無理強いはしないよ。
父:
いやだけど、お母さんとの関係修復っていうのはもう、絶対やりたいなぁ
わたし:
うん。そういうふうに言ってくれるしさ、腹が立ちながらも向き合おうとはしてるし。だから「嫌だろうな」と思いつつも、やってるからせめて、嫌な気持ちぐらい言っていいよって感じかな。
父:
ありがとう。
わたし:
「世の中みんなやってないじゃん」とかさ。「あいつなんてこうだよ」とかさ。そういう不満とか文句とか、言ってもいいよって。
やるやらないは自由なんだけど、やるにあたって言ったっていいよねって。
「文句言うイコールやらない」になんなくていいんだから。だからその両局面を両方出すっていうかさ。
わたしも前に話したけど、(親に)やってもらいたかった気持ちと恨みと、どっちも持ってる。それでバランス取れるんだよ。
家族に対してもさ、基本的に嫌い。嫌いなんだよ。嫌いだけど、もう命かけていいって思ってるくらい大事。
母:
嫌いだけど‥‥
わたし:
命かけられるねって思うね、家族に対しては。
母:
嫌いだけど?
わたし:
嫌いだけど。それも、自分でもう納得した。家族のこと嫌いって思っちゃいけないんだと思ってたけど、もう嫌いなもんは嫌いだからしょうがないなって。
ただ、大事じゃないかって言ったら違う。すごい大事だし、命かけられるぐらい大事に思ってる。だから行動できるわけで。っていう感じかな。基本的に、嫌いだねって感じ。笑
母:
両立するんだ。
わたし:
両立する。してる。わたしは、自分の中にある嫌いな気持ちを認めてあげないと、もう矛盾して気持ち悪くて居られないんだよね、ここに。でも家族のためなら何でもできるよっていう気持ち。
だからもう「好きじゃなくてもいいか」というか、「いいじゃん」みたいな。家族だからって好きになるかって言ったらなんないよねって。合う合わないあるよね、人付き合いなんだからさって。
でも家族の存在は、特別なものであることには変わりない。やっぱ他の人たちとの関係とは全く別物だから。って感じかな。
― 家族会議18回目終わり ―
家族のことが好きになれなくても、家族のために行動したいと思える。
それは「家族なんだからこうしなければならない」という義務的な気持ちじゃない。
もう、本能的な感覚に近い。
それは、家族を嫌っている自分を認めたからだと思う。
嫌いと言う気持ちを受け入れたら、同時に「家族に嫌われても構わない」という気持ちが生まれた。
そしたら、家族と本音で関われるようになった。
結果的に今は、母や姉が好きになった。
それは、母や姉と本音で向き合えたからだ。
父にもいい加減、偽善をやめてほしい。
<次回に続く>
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