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【連載】家族会議『子供は反抗しなければならない』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。その様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
家族会議5日目#2|子供は反抗しなければならない
――わたしの祖父母で、今健在なのは母方の祖母だけ。97歳と高齢で、認知症を患っている。
わたしの大好きな祖母ではあるが、偽善的な人であり、固定観念が強い人であり、不満の多い人生を生きてきた人だ。
母は子供のころ、そんな祖母の不満のはけ口にされたことが多々ある。それが今も、モヤモヤと心に残っているのである。
わたし:
おばあちゃんは、ストレス発散してる(母に嫌味を言う)のは無意識だろうけど。お母さんにあたったことでスッキリしたかと言えば、大してすっきりしてなさそうな気もするよね。
ストレス発散の仕方も間違ってるしさ、子供にあたるみたいなのって。
おじちゃん(母の弟)と、そういう話とかすることなかったの?2人で何か、「なんなの!おばあちゃんむかつく」みたいな話とか。
母:
全然。2人でそんな話できたらよかったかも。
わたし:
なんかちょっと救われるのかな?みたいな。おじちゃんとお母さんではあたられ方もまた違かったかもしれないけど。
母:
弟は弟なりのあたられ方をしてたような気がするな。それで、わたしはわたしで、弟にあたったりしてたしな。
わたし:
えーかわいそうじゃん。おじちゃんが。わたしみたいなことだね。お姉ちゃんに当たられるわたしみたいな。
――子供は、親のストレスのはけ口にされやすい。姉弟がいれば、同じ立場として共感できそうなものだし、心強い味方になりそうなものだけど、案外難しいのかもしれない。
わたしも子供のころ、姉とそんな関係ではなかった。
わたしは姉のことが好きだったけど、姉からは嫌われていると思っていた。母が弟にあたっていたように、わたしも姉からあたられることもあった。
兄弟姉妹は比べられがちだし、家の中には序列がある。子供たちは、「同じ子供」として同盟を組める相手とは認識しづらいのかもしれない。
父:
口挟んでいい?今の話聞いてて。
俺だったらね、「誰誰ちゃんが自分で弁当作ってるんだよ」って言われたらね、お袋がそれでなんか、苦しんでるっていうか、そこまで思わないけど、そうやってほしいんじゃない?って思っちゃう。だから、弁当の作り方こっちから聞いたりしてさ、ほんで作ったりするの。
だから自分の個を出す前に、そっちの方が前に出ちゃうんだよ。で、「くそー」なんか出てこないんだよ。おれの特徴として。
わたし:
そこがね、お父さんの問題だよね。モヤモヤとかする前に、察するってことだよね。
父:
そう。
わたし:
それが何ていうか・・・出した方が良かった部分なんだよね。
父:
そこが何か大きく違う気がする。
――父にとって、「母親の役に立つこと」はとても大事なことだった。母親に不満など抱くこともなかった。
それでいて、自己愛性パーソナリティ障害になった父。
原因のひとつは、母親に無条件に愛された経験の不足だと言われている。つまり父は、愛されるには「役に立つことをしなければならない」という感覚があったのだろう。
だから「〇〇ちゃんは〇〇してる」なんて話を聞いた日には、嫌な気持ちになるよりも前に「役に立つことを見つけた」という喜びのほうが先にでてきてしまうのだ。
母:
わたしは全然。「〇〇ちゃんはお弁当自分で作ってる」とか言われても、嫌な気持ちにはなるんだけど、作ろうとは思わなかった。全然作ろうとは。笑
父:
嫌な気持ちになるから作らないんでしょうよ。俺は嫌な気持ちになる前にやるから。
わたし:
わたしは嫌な気持ちになりながらやりそう。笑
母:
そっか。少し違うんだね。
――同じことを言われても、人によって受け止め方は違う。そう考えると子育ての仕方も、マニュアル通りにはいかないということがわかってくる。
親が言ったことに対して子供が行動してくれれば「OK」。と捉えてしまうと、子供の気持ちはわからないままだろう。
行動してもしなくても、その裏にある気持ちがなんなのかを知ろうとすることが大事なのだと思う。
わたし:
お母さんはさ、嫌な気持ちになって、それを言わないまでもやらないってことはある意味、態度で嫌な気持ちを示してるよね。「そんな言われ方したって、私言うこと聞きませんよ。」みたいなさ。
母 :
無意識にだろうけどね。
わたし:
そう、無意識にね。だから少しは良かったのかもねって。いやいや言うこと聞くっていうのはさ、なんかもっと気持ちが虐げられるというか、親の意向に自分を合わせていくみたいなことだから。
母 :
でも覚えてんだから
わたし:
すごい嫌だったってことだね。
母 :
そう。自分が子育てするときは、そういうのは言わないようにしようと思ったくらいだから。
わたし:
比べられることよりも、おばあちゃんにストレスぶつけられてるような感覚が嫌だった感じ?
母:
どっちなんだろう。ただ比べられるのが嫌って感じだったかな。
おばあちゃんのストレス発散かもっていうのは今になって思うこと。そのときはただ比べられるのが嫌って感じだったけどね。
わたし:
そっか。じゃあ、(子供のころの自分に)そういうのを教えてあげるといいのかもね。「ストレスぶつけてるだけなんだよ」って。
みえこちゃん(母の名)は、まだちょっと言葉が足りないと思うから、お母さんがタイムスリップしていって、代わりに何か言い返してあげるのもいいかもね。
母:
言い返すっていうのはやってないな。違うところでぐずったりとか、そういうことはやってるけど、嫌な気持ちになったそのときにはね。
わたし:
それって今もだよね?
母:
そう!今もなの。電話で喋ってても嫌な気持ちになるんだけど、ほとんどっていうか。もうちょっとストレートに言いたいけど、ちょっと遠まわしに言ったりすることはあるけど・・・
わたし:
やっぱ遠慮しちゃうんだね。おばあちゃんに対して。おばあちゃんがやっぱ好きだからかな。
母:
そんなこと言ったら、なんか嫌かなとか。でも散々嫌なこと言われてきたのになぁ。
わたし:
罪悪感持っちゃっうってことだよね。言うことに対して。それはでも普通。そんなひどいことばっかり言えないし。傷つけたくないなって思うのも普通だよね。
母:
でもある意味、反抗って必要なわけでしょ。
そういうことは言ったことないからな。
おばあちゃんも言われなさすぎて何かわかんなかったかも。おばあちゃんのためにも言った方が良かったかもしれない。
――「親に反抗する子供」は悪い子で、反抗しない子供は良い子。それは親目線での見方でしかない。
反抗しない良い子だと親は楽できるだろうが、子供は親を楽させるために、感情を抑圧していたりする。子供の配慮によって、親子関係が成り立っているということもできるだろう。
- 今日はここまで -
子供には反抗期が必要だと言われている。大人になるために。
けど、母が言うように、親のためにも反抗が必要なのかもしれない。
子供が自分の言うことを聞いていれば、親は肯定されている感覚になるだろう。肯定された状態では、自分が間違っていることなど気づくはずもない。
ましてや、自分の言葉が子供の心を痛めつけているなど、考えもしないだろう。
それに気づかせてあげられるのは、子供だけかもしれない。
<次回に続く>
これまでの家族会議記事はマガジンにまとめています。お時間あればぜひ、わが家の会議をのぞきに来てください!
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