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【連載】家族会議『子供のためか、自分のためか』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。2020年1月6日から約4ヶ月に渡って行った会議の様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
【家族構成】
父:自己愛性パーソナリティ障害。頭に血が上ると大声で威圧する。
母:自己肯定感が低い。自分の意見を言えない。
姉:うつサバイバー。心理カウンセラーをしている。
わたし:性犯罪サバイバー。家族会議を主導する。
※遠方に住む姉は家族会議には参加していない。
※家族会議の目的は、夫婦仲の改善と、うつを抱える姉の気持ちをわかってあげられるようになることである。
家族会議28回目#3|子供のためか、自分のためか
この日の家族会議は母とふたり。
母は、姉の鬱の要因となった自分の子育てと、自分の幼少期を振り返っているところだ。
母が姉に、何かと制限をかけた(縛り付けて苦しめた)背景には、自分が親から繰り返し言われた「恥ずかしい思いをさせられた」という言葉がある。
母は、自分が「ダメな子供」と言われているように感じて傷ついていた一方、「親は躾ができていなかったことを棚上げしている」と感じていた。
だから自分が子育てするときは、子供をしっかり躾して、「恥ずかしい思いをさせられた」と言われないような子供に育てようとした感覚があるという。
でも今思えば、「子育てするってそういうこと。困らせられたりするのが普通のこと。」そう思うのだと。
――母の幼少期の感情への振り返りに戻る。
母:
であと、おもちゃ屋さんの前で泣いたのはなんか‥‥そのときなのか、もっと前からなのか、その後なのか、とにかく約束を破られる。親に。
わたし:
うんうん、言ってたね。
母:
例えばそういうふうに、おもちゃ屋さんの前で騒いだときに、そのおもちゃが欲しいというよりは、親の「後でね」っていう。それが裏切られた悔しさみたいな、そんな感じで騒いだのもあるかな。
例えばおもちゃを「今度ね」って前に言われてたとか、その次行ったときもまた同じように「駄目」って言われたっていうことに腹を立てたみたいな感じ。
はっきりその辺は覚えてないけど、でも確かにその感覚があって。
だから騒ぐのも、親は全く気づいてないかもしんないけど、「適当な返事をした」っていうことの悔しさがあって騒ぐっていうのも、一つにはあったと思うのね。
わたし:
うん。なんか腹いせみたいな感じだね、親に対する。
母:
全く親はそんなこと気づかない。困った子供だって、なってるわけだよね。
駄目だって言われてた部分とかを、「自分はちゃんとやろう」って、思ってしまったんだよね‥‥。
わたし:
駄目な自分を‥‥すごく自己肯定感が低いっていうか
母:
確かに、それはある。
わたし:
ってことだよね。「駄目なんだ駄目なんだ」って。
ある側面では、自分の子供に「駄目なんだ」って自信をなくしてしまうような思いをさせたくないみたいな、そういうのもきっとあるよね。
母:
そうだね。
特に習字なんかそうだね。「字が下手だ下手だ」って母親に言われてたから、自分でも書くことを嫌がったりして、なんか損してる感じっていうか。そういう思いをしてたから、お姉ちゃんが「習字をやりたい」って言ったのは、なんか「大賛成でやらせたい!」みたいな。
とにかく、自分ができなかったことを一つ一つできるようにすれば、嫌な気持ちにならずに済むのかなみたいな感じ。
それもね、そういうことじゃないんだけども‥‥。
わたし:
自分の悔しさを晴らす、道具にしちゃったというか。子供にリベンジしてもらおうとしちゃったっていう。
母:
そうするとお姉ちゃんの人生じゃなくなるよね。
わたし:
そうだね。
お母さんができなかったことをお姉ちゃんがやるって、そうなると、やっぱ自分の分身みたいなことになってて。
でも本来はお姉ちゃんっていう個があるわけだから、そのお姉ちゃんができない部分を見てあげて、そこを「できるようにしてあげよう」だったらよかったんだけどってことだね。
自分ができないことが、お姉ちゃんもできないとは限らないわけだけど、そういう見方ができなかった。
母:
むしろお姉ちゃんにそのあと‥‥お姉ちゃんが鬱になってからの話のような気がするけど、私が「字が下手だっていうことにすごくコンプレックスを感じてた」って話をしたときに、お姉ちゃんから「そんなことないよ。もっとひどい字の人がいっぱいいるのに」とか、お姉ちゃんからすごく自信を持つようなことをいっぱい言われたんだよね。
わたし:
そうなんだ。
母:
普通だよとか‥‥。それでなんか、ちょっと開き直れたというか。「下手でも読めればいいんだ」みたいなことも言われたし、「わかればいいんだよ」っていうことも言われたし。
わたし:
お母さんはさ、自分のできない部分をお姉ちゃんにやってもらおうじゃないけど、とにかく「子供イコール自分。自分イコール子供」って
母:
すごくなってたね。
わたし:
そういう感覚だったわけだよね。子供の行動次第で自分も恥ずかしい思いをするかもしれないしとか、一心同体っていうか。
だけど結局、おじいちゃんとかおばあちゃんが「すごい恥ずかしい思いをした」とか、こと細かく注意してくるっていうのは、おじいちゃんとかおばあちゃんが恥ずかしいからなんだよね。
だから子育ての方針は、結局のところ受け継いでる。自分が「嫌な思いしたくない」とか「恥ずかしい思いしたくない」とかっていうのが発端になって子育てをしちゃってる。
紙一重っていうか。子供のためを思っているようであって、実は自分。
母:
本当に子供のためを思ってたら、なにか問題が起きたときに、ちゃんとそれに基づいて考えられるよね。でもそれがないから‥‥。
もうとにかく自分が中心。で、自分が思う、良い子っていうか‥‥そうなったんだよね。
― 今日はここまで ―
自分と同じような苦しみを味わわせたくない。という気持ちには、確かに愛情があると思う。
より幸せで、より安泰の人生を歩ませてあげたいというのも、親の愛情だろう。
それがなぜか、過剰な躾や過剰な教育になってしまい、子供を追い詰め、結局のところ苦しみを味わわせ、不幸で危うい人生を歩ませることになってしまう。
とても、残念なことだ。
いろいろ気づいた母は、今、わたしを尊重してくれる。
そして困ったときには手を差し伸べてくれる母に、すっかり甘えてしまっている。
とても心強いしありがたい。
かつて「親孝行しなきゃいけないんでしょ」と思っていたわたしは、今「親孝行したい」とナチュラルに思う。
今読んでいる本に、「人間関係の正常化」の話が出てきてふと思った。
母との間で、親子関係の正常化が起きたのだと。
わたしは今、40代にして子供になっている。
<次回に続く>
これまでの家族会議記事はマガジンにまとめています。お時間あればぜひ、わが家の会議をのぞきに来てください!
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