ハビットスタッキング- 「小さな習慣」を積み上げていくことの本質 -
「ハビットスタッキング」という言葉は、多くの場合「望ましい行動を小さなステップに分解し、既存の習慣にくっつける」ことを指します。たとえば、「朝コーヒーをいれる」という既存の習慣に「10回のスクワットを足す」といった具合に、何かの“ついで”に新しい行動を紐づけて積み重ねる発想です。これは一見、地味で単純。しかし、その単純さゆえにとんでもないパワーを秘めています。なぜなら、人間の脳は「大きな変化」を好まない一方、「小さな変化」が積み重なれば、やがて大きな変容につながるという性質を持っているから。
しかし、ここで提示したいのは“よくある”ハビットスタッキングの話ではなく、もう一歩突っ込んだ「非常識」な着眼点です。小さな習慣を積み上げるのはいいけれど、それが本当に自分の人生を好転させるのか? どこか義務感ばかりが先行して、最終的に投げ出してしまうようなことはないのか? あるいは、小さな積み重ねのつもりが、逆に自分の自由や創造性を奪ってしまっているなんてことはないのか? そういった疑問をあえて意識しながら、ハビットスタッキングの本質を探ってみましょう。
「習慣」は本当に必要?――そもそもの問い
そもそも私たちは、なぜ「習慣」を作ろうとするのでしょうか。多くの場合、「こういう自分になりたい」「ああいう成果を出したい」という理想像があって、それを達成するために日々の行動を最適化したいと思うわけですよね。でも、この動機があやふやなまま、「周りが言うから」「○○さんが成功した方法だから」といった理由で習慣をつけようとすると、たいてい長続きしません。
ここで非常識な疑問をぶつけてみましょう。「もしかして、私にはそんなに習慣なんて必要ないかもしれない」という考え方です。たとえば、毎日同じ時間に起きられないからといって、自分はダメだと思い込む必要はありません。人によっては、自由気ままなリズムの中でクリエイティビティを発揮するケースもある。そもそも「習慣化が正しい」という前提自体を疑ってみるところから始めるのも、実はアリなんです。
こうして「習慣とは本当に必要なものか?」とゼロベースで考えると、自分にとって必要なものだけが浮き彫りになります。そして必要な習慣だけを“徹底的に”スタッキングするほうが、よくある「とにかく何でも習慣化すれば良い」よりもずっと効果的だったりするのです。
“小さな習慣”こそが陥りがちな「思考停止」
ハビットスタッキングを提案する人の多くは、「習慣は小さければ小さいほどいい」と言います。たとえば「歯磨きをしながら片足立ち」くらいの小さな行動をくっつけるのが理想だ、と。確かに小さい行動はハードルが低く、続けやすい。でも、ここには思わぬ落とし穴もあります。
それは「せっかく習慣化しているのに、なぜか結果が出ない」「いつの間にか当初の目的を見失う」状態に陥ること。なぜなら「小さければ小さいほど、やっていることの意義を深く考えなくなる」可能性があるからです。
「とりあえず歯磨きしながらスクワット」
「スマホをチェックするときに姿勢を正す」
これらは一見すると素晴らしいミニ習慣ですが、果たしてあなたの最終ゴールとどう結びついているのでしょう? もしそれを続けているだけで満足し、「本当にやりたかったことは何だっけ?」という問いかけが消えてしまうなら、習慣が“思考停止”の言い訳になっているかもしれません。
言い換えれば、小さな習慣ほど「これをやるとなぜいいのか?」という問いを忘れがちなんです。だからこそハビットスタッキングをするときには、どんな些細な行動でも「それは最終的にどんな意味があるのか?」という“ゴールとの接続”をセットにしておく必要があります。そうしないと、小さい行動を重ねる心地よさに溺れ、結果として自分がどこへ向かっているのか見えなくなるリスクがあるのです。
常識破りの発想:ハビット“アン”スタッキング
ここでひとつ、逆説的なアイデアを紹介します。それは「ハビットを積み上げる」のではなく、「ハビットを解除する(アンスタックする)」という考え方です。私たちにはすでにたくさんの習慣が染みついていますよね。たとえば、朝起きたらスマホをチェックするとか、深夜にジャンクフードを食べるとか、必要以上にSNSを眺め続けるといった具合に、望ましくない習慣も含めて山ほどある。
ハビットスタッキングでは、望ましい習慣をプラスしていこうとしますが、場合によっては「既存の悪習慣をデタッチ(切り離す)」ほうがよほど効果が高いことがあります。いうなら、「この習慣は本当に必要なのか?」「これ、ただのクセなんじゃないか?」と徹底的に疑ってみて、不要な習慣をどんどん外していくのです。
実はこの「アンスタッキング」の作業が進むと、「あれ? こんなにシンプルな生活でよかったんだ」と気づく瞬間が出てくる。そうなると、今度は自然に「本当に必要な小さな習慣」を見つけられるようになります。なぜなら、空いたスペースにこそ、確信を持って新しい行動を差し込む余裕が生まれるからです。
目的と手段をひっくり返す「ルーチン崩し」のススメ
ハビットスタッキングでは、「既存の習慣に新しい行動を“くっつける”」のが基本ですが、ときには故意に「ルーチン崩し」を行うことも大切です。たとえば毎朝6時に必ず起きてコーヒーを淹れてからストレッチしている人が、たまには全く違う順番で動いてみる。あるいは、いつも歩いている道を変えてみる、使っているカップをあえて別のものにするといった感じです。
こうすることで、意識せずに“当たり前”になっていたことに新鮮味が戻り、「自分は何のためにこの習慣をやってたんだっけ?」と考え直すきっかけを作れます。ある意味、これは“良いルーチン”ですら一度崩してみるアプローチ。非常識かもしれませんが、習慣化が「頭を使わない自動行動」になりすぎると、自由な発想がしぼんでしまう危険性があります。だからこそ、定期的な「ルーチン崩し」はハビットスタッキングをより活きたものにする隠し味といえるのです。
「狂気のスイッチ」を混ぜ込む——退屈な習慣に刺激を
ハビットスタッキングの欠点として、“地味で退屈になりがち”という声があります。確かに、コツコツと小さな行動を積み上げるのは長期的には有効ですが、人によっては「飽きてしまう」「刺激が足りない」と思うこともあるでしょう。そこで提案したいのが、「狂気のスイッチ」を少しだけ混ぜ込むこと。
たとえば、「歯磨きしながら深呼吸をする」という習慣に、あえて「歯ブラシを逆手でもつ」とか、「めちゃくちゃ大きな動きをしてみる」など、わずかにバカバカしい要素を追加するんです。一見無意味に見えるかもしれませんが、こうした狂気的なアクションが脳を揺さぶり、マンネリ化を防いでくれます。
「今日はスクワット10回じゃなくて、踊るようにスクワットしてみる」
「皿洗いをするときに、奇声を発しながら行う(もちろん周囲に迷惑にならない範囲で)」
こんなものまでハビットスタッキングに含めてしまうの?と思うかもしれませんが、退屈を楽しさに変えれば、習慣は苦痛ではなくなる。実はこの「ちょっと頭のおかしい要素」があるだけで、同じ行動が何倍も継続しやすくなるという不思議な効果があるんですよね。脳が「おいおい、なんだこれ?」と興味を持ち続けてくれるわけです。
「習慣を全否定」する日をつくる
もうひとつの非常識なアイデアとして、「習慣を全否定する日をつくる」という方法があります。毎日コツコツが大事……なんですが、あえて月に一度くらい、「すべてのルールを無視する日」を設定する。いつもやっている朝のルーティンを放棄し、やらないことリストを作って、その通りにやらない。好き勝手に過ごしてみるんです。
ここで得られるのは「習慣のありがたみ」と「習慣から解放された自由」の両方。普段意識していなかった当たり前の行動を中断することで、「自分はこんなに助けられていたんだな」と感謝を覚えるかもしれないし、逆に「なくても案外いけるじゃん」という気づきがあるかもしれない。どちらに転んでも、ただ漫然と習慣を続けるより深い学びにつながります。
ハビットスタッキングにおける「失敗」の美学
習慣形成でよくあるパターンが、「三日坊主」で終わってしまったときの自己嫌悪です。せっかくスタッキングしたのに失敗してしまった……でも、ここで「失敗も立派な情報源」であるという捉え方をしてみましょう。ある小さな習慣が継続できなかったということは、それが自分にとって本当に必要な行動でなかったか、あるいは方法が合っていなかったかのどちらかです。失敗した理由を突き詰めれば、習慣形成を根本から見直すチャンスになります。
また、ハビットスタッキングの“お作法”に縛られすぎて、行動できなくなるのも本末転倒です。「歯磨きのあとに瞑想して、そのあと筋トレして……うわあ、もうめんどくさい!」となってしまったなら、思い切ってそのスタックを崩してみるのも手。つまり、失敗を怖がるのではなく、失敗を「選別のサイン」として活用する発想こそが、非常識だけど本質的な習慣術といえます。
結局「どんな自分になりたいのか?」の再定義
ハビットスタッキングがうまくいく人とそうでない人の違いを一言でまとめるなら、「どんな自分になりたいか」が明確かどうか、という点に尽きるでしょう。いや、「やりたいことは漠然としていてもいいじゃないか」という主張もあります。確かに、ゴール設定を厳密にしすぎると窮屈になるのも事実。しかし、だからといって完全にノープランだと、せっかく習慣を積み上げてもどこにもたどり着かない可能性が高い。
ここでは「非常識」な視点をもう一つ。自分が何者になりたくないかを明確にするのも有効なアプローチです。「ダラダラと人生を浪費する人にはなりたくない」「感情のコントロールがまったくできない自分は嫌だ」――こうした“負のイメージ”を逆手にとることで、行動のモチベーションが湧き上がる場合もあります。実際、嫌な自分にならないために必要な習慣を洗い出してみれば、意外と明瞭にスタッキングすべき行動が見えてくることがあるんです。
“積み上げる”より“大事なものだけを厳選する”という最終到達点
ここまで散々「ハビットスタッキングの常識」を疑ってきましたが、最終的にたどりつくゴールは意外にもシンプルかもしれません。つまり、「自分にとって本当に大切な行動のみに集中し、それを日常生活に確実に埋め込む」という姿勢です。巷にあふれる大量の“良さげな習慣”のうち、どれがあなたにとって本当に意味があるのかを見極め、余分なものは思い切って捨てる。最終的には「小さな習慣」がそこまで多くなくても構わないはずです。
むしろ、習慣が多すぎると、自分の脳内リソースを奪いすぎてしまいます。行動一つひとつが「目的のある選択」なのか、「ただの慣性に流された動き」なのか分からなくなってくる。だからこそ、常識的なハビットスタッキング論で言われる「たくさん積み上げよう」という考え方から、逆に厳選した少数の習慣に全力投資するという発想にシフトしてみるのも有効かもしれません。
まとめ――「非常識な習慣論」が示す可能性
ハビットスタッキングは、確かに強力な手法です。小さな行動を既存の習慣に紐づけるだけで、自然に新しいルーティンが身につき、結果として大きな目標に近づく……それ自体は素晴らしい流れですよね。でも、その“正しさ”をうのみにしすぎると、以下のような落とし穴もあるかもしれないのです。
小さな習慣が目的化し、最終ゴールが見えなくなる
不要な習慣まで継ぎ足し続けて、気づいたら身動きがとれない
単調すぎて飽きてしまい、三日坊主で終わる
むしろ自由な発想が失われ、思考停止になる
だからこそ、「習慣なんかいらないかも」という視点や「逆にルーチンを崩そう」という視点を意図的に取り入れてみる。そうすることで、自分にとって本当に必要な行動が何かを浮き彫りにできるわけです。要するに、ハビットスタッキングそのものを絶対視するのではなく、あくまで「自分らしさを実現するための一つのツール」として捉えられると理想的だということ。
非常識なアプローチやちょっとクレイジーな工夫を混ぜ込みつつ、時にはアンスタッキングやルーチン崩しを行いながら、自分にとって最適解を探していく――この柔軟さこそ、真に「使える」ハビットスタッキング法だといえるでしょう。是非、あなたなりの非常識なエッセンスを足して、習慣づくりに“遊び心”や“哲学”を加えてみてください。小さな習慣は、それ自体がゴールではありません。あくまで、あなたの人生をより豊かに、より面白くするための道具にすぎないのです。