
書評『クリエイティブ・エシックスの時代』
よくも悪くも、今はある種の窮屈さを感じている人が多い時代なのではないだろうか。
また時代に対して、自分の知識がアップデートされていないのではないかと言うような気がしている人も多いような気がする。
あるいは私たちは、それらのモヤモヤ感が何なのかをうまく言語化できないでいるのではないだろうか。
むかしから広告関係の人が書く文章は、表現方がうまく的確なため、私たちの心に届きやすい。
結論から言えば、今、ビジネスパーソンに求められているのは「倫理観(エシックス)」を持つことと著者は言う。
いや個人的な課題を解決するのに精一杯で、今は社会課題解決に向けた提言に耳を傾けている暇はないよ、と言う方もいるかもしれない。
私はむしろ、そういう人々こそこの大きな社会課題を頭の隅に置いておくことで、むしろ個々人の課題が達成されやすくなるのではないか?と思う。
いずれにしても、本書が提示したいくつかの問題は、現代社会を生きる上で最低限、知っておくべき社会課題なのだろう。
広告以上に「おもしろさ」が求められる映画やドラマの世界でも、それだけでは成功できなくなっています。この事はアカデミー賞の受賞作を見るとよくわかります。近年の主要部門の受賞作は、ほとんど例外なく、ジェンダーや人種、移民、問題など社会的なテーマを扱った作品になっています。
ビジネスにおける判断を「世界を今より良い場所にできるかどうか?」という視点で行うマインドセットを、本書では「クリエイティブ・エシックス」と呼んでいます。
広告は、企業の商業表現であると同時に公共物なのです。
この倫理観は、先日のフジテレビからの一連の広告主の撤退などをも表している。
ジェンダーなど、人々のアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)などを笑いのネタにすることも良し悪しなのだ。
2004年には、電通と日本NPOセンターが中心となり、「NPO広報力向上委員会」が設立された。
非営利団体と企業がwin-winの関係を築けるようになり、新しいタイプの広告クリエイティブが誕生したのです。
私は、2005年に社会人大学で『女性の労働市場』
という特講を受けた。心理学やカウンセリング、産業組織論などを中心に学んでいた。特に、カウンセラーの恩師は女性も多く、児童相談も兼ねている方もいた。
私は、かように優秀な女性をさんざん目にしてきたので今さら女性の方が優れているというのは特にこの分野では当たり前すぎて普段は口にしないのだが。
よってジェンダーバイアスに基づくセクシャル・オブジェクティフィケーション(SexulObjectification)直訳すると「性的モノ化」は、現代の女性の視点から見ると当惑するものも多い。このような、認識はしていてもバイアスと意識化できぬものをアンコンシャス・バイアス(無意識のバイアス)という。
そのうえ、男性にとってのジェンダー問題も存在する。それが有害な男らしさと言われる力強い、荒っぽい、寡黙などだ。
ニューヨーク・タイムズは「有害な男らしさ」を3つにまとめている。
1.「感情の抑圧または苦悩の隠蔽」
2.「表面的なたくましさの維持」
3.「力の指標としての暴力」
だという。
しかしこれも、そう単純な問題でもない。私が社会人大学で学んでいた2004〜2008年頃、日本国内の自○者は年間4万人と言われていて、その中の男性比率は女性の2倍以上と言われてきた。
昨今の偏見や差別をなくそうという流れ、たとえばLGBTQに対する認知の変化は好ましいものだと思う。しかし一方で、男性に対してだけは上記のようなデータがあるにも関わらず、叫ばれないのは不思議である。
結局のところ、ケアという観点からはジェンダーは関係はないのに、と思う。
#Me Too運動も、我が国に入って来たのは記憶に新しい。しかしなぜか
ジェンダー平等に向けた取り組みが「やり過ぎ」と
感じる日本のZ世代の男性は、同世代のじょや他世代の男性の約1.5倍に上るという調査結果がります。
ジェンダーバイアスに限らずバイアスは、一つのとらえ方だと考えれば、個性や長所にだってなり得るときもある。問題は、そこに傷つく相手が存在するかどうかだ。
近年では、女性の自己肯定感をブランドのパーパスにして選んでもらう企業もある。
本章では、ルッキズムに関しても触れている。これは、国内のハラスメントの問題にも関わってくることだろう。
美男美女を求める、いわゆる推し活も一見好ましい反面、若者の9割が自分の容姿については悩んだことがあるという調査も出ていることを考えると、深刻な側面もある。
第5章では「多様性」について言及している。
キーワードは「レプリゼンテーション」
「代表者がいること」「表現すること」が原義。
近年はレプリゼンテーション次の意味で用いることが多いと筆者は述べる。
「映画やドラマ、広告、メディア、政治、スポーツなどさまざまなシーンにおいて、社会に存在している多様性が適切に表現されていること」を意味します。
企業や組織はより多くの人々に商品やサービスをあるいは感動を届けたいのだから、アイコンやインフルエンサーが必要になる。
今後は、これまで以上にマイノリティーのレプリゼンテーションの重要度が増すだろう。
パリ2024パラリンピックのCMも「パラリンピック選手も、ふつうの人間である」と謳う。
これは障害の有無で対応を変えたりしないこと。
すべての人にとって、世界は厳しいものなのだから、ということだろう。
先日、歩行者用横断歩道を車椅子の男性が渡っていた。その人の脇を歩き、少し先に歩道に着いた私は思わず「大丈夫ですか?」と声をかけてしまった。
そう聞かれたら「大丈夫です」と答えるしかないのに。声をかけないほうがよかったのだろうか、何か起きてから、手助けをすればよかったのか?今も時々考えている。
本書では、パラリンピックの番組を制作するチームは、実に多くのことに気をつけて番組を作っていることが描かれている。
そもそも障がい者という言葉自体、差別的な印象もある。
このように、「障害者が直面する困難は、個人ではなく社会に起因する」と言う考え方を、「障害の社会モデル」といいます。
障害者への差別をなくしていく上で、現在、
主流になりつつある考え方です。
本章では、"現在、男性クリエイターに、あからさまな女性差別をする人はほとんどいないと思います。(中略)問題なのは個人の資質ではなく、組織の多様性です。”と述べられていて、同感だと感じた。
人生の全局面で強者でありマジョリティという人は、この世界にひとりもいないのです。
(略)
多様性が増すということは、社会の幸せの総和が増すということなのです。
第6章ではセクシュアリティを取り上げている。
古代ギリシャ、明治以前の日本のそれぞれの捉え方に加え、初期キリスト教の視点からセクシュアリティについて言及している。
性と生殖に関する健康と権利(SRHR)
国際家族計画連盟(IPPF)のテクニカル・ブリーフというものがある。それはSRHRと称される。
(Sexual and Reproductive Health and Right)
本章では「セクシュアリティは権利」という観点から社会の諸問題を捉え直している。
この分野も、30年前はここまで重要視されてこなかった。しかし、さまざまな問題が顕在化し、それに呼応するように発展してきた。これまで見過ごされ、タブー視されてきたものも私たちにとって学ぶ理由が出てきた。
また「政府からブランドへ」という流れや意識の変化が本書でたびたび語られる。性教育の面でも政治に任せていたら変われないことは、確実に言える。
第7章では気候変動を取り上げている。
興味深いことに、前章のジェンダーやセクシュアリティの問題も気候変動と関連している。
専門家の間では、気候変動は「脅威増幅要因」=「Threat Multiplier」だと言われています。(略)
自然災害では、女性は男性と比較してより大きな被害を受けることがわかっています。
(略)
つまり気候変動が進めば進むほど、ジェンダー平等も遠のくのです。
これは例えば、東日本大震災の時も障がい者の方の被害は健常者の2倍だったことも本章の例で揚げている。
加えて、外国人の方の被害も多かったのでインフラに加え避難訓練や、避難経路の確認も周知の徹底が望ましい。
2018年に『FACTFULNESS』が出版されはしたが、その後パンデミックや戦争が起き、どうも雲行きが怪しいのでは?と考えたくなる気持ちは理解できる。
だからこそ、広告の使命は「希望の提示」なのだ。
そしてそれは、どんな業界にも当てはまる。
なぜなら、人が生きていくうえで最も必要になるのが「希望」だからだ。
〈目次〉
第1章
現代クリエイティブの主流である「クリエイティブ・エシックス」
第2章
なぜ今、クリエイティブ・エシックスの時代なのか?
第3章
人権
第4章
ジェンダー
第5章
多様性
第6章
セクシュアリティ
第7章
気候変動
第8章
バックラッシュを越えて
いいなと思ったら応援しよう!
