暖かい家庭とは。。

私は幼少期から
暖かい家庭とはあまり縁がない家で育ったように思う。

父は普通のサラリーマン
母は塾の講師
だったが、特に母が特殊な家だった。


母は国公立の大学に特待生で入るくらいの学力があり、教職の資格も持っていたが、教師にならずに塾の先生をやっていた。

自分の持っている資格を利用して
安定的な収入が見込める仕事につかず
個人で塾をやっており
合間にパートを入れたりと
なぜか貧乏な生活をしたがり、
こつこつお金を貯めて
子供の洋服、学校に必要な備品、制服などの購入もギリギリしか買わず
エアコンつけない
トイレ流さない
電気つけない
外食いかない
などなど徹底した節約生活の上に

小学校3年生から
個人の塾をやめ
とある有名な塾の講師をはじめ
私たち兄弟もその教材をする事になった。

その塾の教材は
どんどん上の教材まで進んでやってもいいというルールがあるため
枚数をこなせば上の学年にいける。

母はどんどん上の学年にいけば
私たち兄弟が勉強に苦労しないだろうと思ったのか
たくさんの枚数の教材をする事が強制になり
いつしか朝起きて学校行くまでご飯を食べながら勉強
学校から帰ってから寝るまで勉強という日常が始まった。

母は教材の枚数が終わりさえすれば
早く学校に行ってもいいし
テレビをみてもいいと言うのだが

一日に30枚ほどの量を
求められるようになり
遊び盛りの私たち兄弟は
集中力も続かず
毎日朝と夕方も怒声を浴びさせられ
家庭団欒というものを経験する事なく
育った。

ご飯はコロナでもないのに黙食で
食べ物をお口に詰めてもぐもぐしながら
勉強をすると無駄がないと言われ育った。

朝に母が指定した教材の枚数をこなせなかったり
前日の分が残ってたりしたら
遅刻ギリギリもしくは
遅刻して学校に行く事を強制された。

学校の宿題をする余裕がなくて
たびたび宿題は提出できなかった。

父はいつも
父の部屋にこもってテレビを見ながらご飯を食べる。

私たちは
テレビのないリビングの部屋でご飯をもぐもぐしながら勉強をする。

土日は学校がないぶん
夕方頃には勉強が終わる時もあり
その時は夜にテレビを家族で観れることもあり
それが我が家の唯一の家族団欒だった。

こういう経緯があるためか
いざ旦那がいて、子供がいて
勉強などをする必要もなければ
親に何かを強制されるわけでもない時間ができた時に
どうして良いかわからなくなる。

親と遊んだ記憶があまりないため
子供とどうやって遊べばいいのかわからない。

親は基本
勉強を教えるor新聞をみるorテレビを見るの
3択で
子供と長々会話をしない。

こっちが話してても
聞いてない事も多いし
話を逸らされる事もある。

なので私も子供と長々向き合うのが苦手なのだが
旦那や友達などが自分と向き合ってほしいという欲求はある。

色々な矛盾を抱えて生きている。

そのため
暖かい家族への理想が高く
家族観で旦那と言い合いになることが多い。

私なりの暖かい家族を
見つけれる日は来るのか。。


まだまだ長い人生模索しながら生きていこう。

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