ずるい!という反射。本当にずるいのかな?
「あの人は、ずるい」
という不満?を聞く機会が、たま〜にあるんです。
我が家でも、お兄ちゃんがご飯の量を多めにもらっていることについて妹が「おにいちゃんばかり、ずるい」と言ったのですよね。
私は、その言葉にひっかかるのです。
「本当に」お兄ちゃん「ばかり」ですか?
ご飯を多くもらうことは「ずるい」ことですか?
あなたがもらっていてお兄ちゃんがもらっていないものもありますよ?
まあ、子どもの思考ですから、今は「ずるい」という風に見える観点にいていいのです。ここから「世界をどう見ればいいのか」を教えていくのが大人の役割。
ですが、大人でもこの「ずるい発想」の方がわりにいるなぁと。これは、反射なのかなと感じています。
例えば職場で
「あの人ばかり、優遇されてずるい」
とか。
「ずるい」ってすごい表現だなと思うんです。
不当に何かを得ているという認識がその裏にはあるのかな。
でも、本当に「不当」かというところを考えてみてほしいわけですね。
その人がほかの人よりも多くを得たり、よりよいものを得ているのは、それなりの何かが、そりゃ、あるでしょう。
それが「何か不当なこと」ではなく、「ほかの人以上の努力」や「ほかの人以上の貢献」とか「いつも明るくて気持ちいい」とか、もっと素敵なことである方が多いと、私は思うのです。
まあ、不当でも素敵でも実際どうなのかというのはどっちでもよくて、「何か素敵な理由があるのに違いない」と考える方が自分の成長にはなります。
あいつ、得しててずるい。
この感覚の後ろには「自分の正しさ」があり、正しいがゆえに修正する気持ちにはならないでしょう?
あいつ、やるなぁ。どこが違うんだ?!
こんな風に、相手の美点や長所を見る目を持てば、自身をより素晴らしい方向へ変えていくこともできます。
娘には「お兄ちゃんがもらっていなくて、自分がもらっているものは何?」と聞きました。
いっぱいあるもんね。そこに目が向いていないだけで。
「お兄ちゃんの体が大きいから、量が多いのはわかる? 基本条件があなたとお兄ちゃんでは一緒じゃないのよ」ということも教えました。
「ずるい」と言わずに素直に「私も欲しい」と言えばいいことも。そうしたら「自分はもらえない」という前提が彼女にあったことにも気づきました。
ちゃんともらえるよ!
もし、もらえない時は、それがあなたのためにならない時よ!それが、あなたのベストだと判断した時よ。
でも、まだ幼いし「もらえない」ことも、自分に与えられている素晴らしい宝だということに、気づくのはもっと先だろうか。