「結婚の意味」🙋♂️企画参加🙋♂️
今週も、珈琲次郎さんの
#仲良し夫婦サークル
に参加します🙋♂️
今週のテーマは、
「パートナーとの熱が冷めた後に」
です。
仲良し夫婦サークルでは、惚気話がメインディッシュとなりますが。
その中でも、影となる部分にズームイン‼︎
今回は、この方の記事に
多大なる影響を受けています。
だから、記事の題名も「結婚の意味」です💦
僕にできること。
何か、ないだろうか?
そんなふうに思いながら
書いた記事です。
なんか色々、勝手なこと書いてしまうのですが、
すみませんm(__)m
最初に謝っちゃう。
次郎さん。ごめんなさい。
文字数の目安、完全無視💦
文字数が、半端なくなってしまったm(__)m
僕の記事にも、お時間いただければ幸いです。
「パートナーとの熱が冷めた後に」
僕は、
一生結婚しない
って思っていた
いや、正確に言うと
結婚というルールに縛られたくない
と思っていた
お互いが好きで
一緒にいたいと思ったら
一緒にいれば良いし
ルールに縛られて
一緒にいるなんて
偽物の愛情じゃん
そんなルールに縛られないで
一緒にいるのが
本当の愛情じゃない?
極論
1人で生きていけるし
誰かに頼る必要なんてない
その都度、楽しみ方は変わるだろうし
その時に最高だと思える相手と
一緒にいること
それが本当の愛情じゃない?
って思っていたから
まだ、それは
23歳くらいの頃の話
そんな僕だったけど
今では2回目の結婚をして
誰かと一緒にいる時間が
とんでもなく宝物に感じて
結婚最高じゃん!!
って思っているのには理由がある
その理由のおかげで
僕は、たぶん
一生熱が冷めない
僕が24歳のころ
ちょっと前に流行った
電波少年(過去に放映されていたテレビ番組です)の影響で
僕は何かにチャレンジしたくなっていた
それまでにも
裸でスキーをしてみたり
深夜の真っ暗な海で泳いでみたり
川下り続けたら海まで行けるんじゃないかって
レジャーボートで川下りしたり
なんの装備もなく一泊二日で山登りしてみたり
etc…
友達と話をしていたら
やってみようって
行動を起こしてしまう事が多かった
誰もやらないようなことの中には
誰も感じられないようなことが
隠れているような気がして
人がやったことのない経験は
とても魅力的で
それが人生を輝かせると思っていたから
当時勤めていた会社は
一部上場。社員数何千人規模。業界ではトップの売り上げを誇る。
知名度の高い企業だった
僕は、その会社で、
ボーナスが支給された日に、上司に
「辞めます」
と伝えた
突然の僕の告白に、上司は、
「お前、何言ってんだ。話は聞かないよ」
って取り合ってくれなかったけれど
僕は、
「じゃ、話さなくても良いです。でも辞めます」
って言って、勝手に帰った。
渋々、携帯電話に上司からの着信があり、
「話、聞くから戻ってきなさい。そもそも、手続きしなきゃやめられないでしょ。」って
それまで、全力を仕事に注いできたし
かなり売り上げに貢献していた社員だったから
僕の退職の意向を聞いて
みんながびっくりしていた
旅に必要な額は
100万円
それが貯まったら、辞めようと思っていた
上司にも、会社の同僚にも、両親にも
「オーストラリアを自転車で一周したい」
って話をすると
「え?それって意味あるの?」
って反応が返ってきた
僕は、うまく意味の説明は出来なかったけれど
「なんとなく楽しそうだから」
って話をしてたと思う。
みんなも
「じゃ。しょうがないか」
って言ってたと思う
その時点では、僕も含めて
誰も意味なんて感じていなかったんだろう
大学の頃の友達(しげる)と
二人で計画した旅行?
というか、旅
自転車でオーストラリアを一周するという計画
自転車とテント、寝袋は日本で準備をして、
輪行バッグに詰めて飛行機に乗る
ケアンズ(オーストラリアの北東の都市)に降りたとき
目の前に広がる世界は
不安だらけだった
でも、
友達のしげるが横にいたからワクワクできた
何とかなるかって思った
人が会話している内容だって
全然分からない
(僕は高校時代、英語の成績が1か2でした💦理系なもんで💦)
初めて見る世界
一歩踏み出した先には
何があるか分からない
でも、歩きださなければ進めない
空港の敷地内の
空いている場所で
自転車を組み立てて
その見知らぬ世界に自転車で漕ぎ出す
どっちに向かったらいいか?
なんてことも
わからないまま
標識の「CITY」というサインを見て
都市がありそうな方向へ進む
英語が苦手とはいえ、
CITYが街ってことは分かる
義務教育ありがとう
そんなスタートだったけれど
人って慣れるもので
一週間後には現地の人とも話をするし
どういう所に泊まって
どうやって進んでいくかって事だって
なんとなく分かるようになる
オーストラリアの東海岸を進み
時計回りで一周を試みる
自転車に乗って走る日本人は
現地の人から見ると珍しいようで
変わったことをしているという事は
話しかけられやすくもなる
何やってるんだ?とか
どこに行くんだ?とか
先の街に住んでいるから
泊まりにおいでとか
街に着いたとき、お言葉に甘えて
教えてもらった、電話番号に掛けてみる
片言の英語しか出来ないのに
身振り手振りが通じない電話は
かなりハードルが高い
でも、大丈夫だった。
何とか、めぐり合う事も出来て
家に泊めてもらう
久しぶりのお酒も飲んだ
毎日テントで寝ていたら
屋根があること
ベッドで寝られること
料理が出てくること
単純に嬉しかった
日本にいたころには、当たり前だったことが
当たり前じゃなかった
自分の力でペダルを漕がないと
前には進めない
漕いだ分だけ
前に進む
勝手に前に進むことなんてない
一周という目的を達成するためには
力を込めてペダルを漕ぐ必要がある
東海岸を通過し、南、西海岸に差し掛かってきたころには
僕ら二人は、その自転車生活が普通に感じられて
日々、ちょっとずつ前に進む生活を繰り返す
一日に進む距離は100㎞前後
たくさんの荷物を積んでいるから
スピードは遅い
次の街まで200㎞くらいの場所があって
普通に走ったんじゃたどり着けないからって
まだ暗いうちから自転車を走らせた
月明りに照らされた道をただひたすら走る
暗いうちは車だって一台も通らないから
しげると並列で自転車を走らせる
突然!!
隣にいたしげるの自転車が前のめりになって
ぐるっと一回転
ガシャーン
激しい音とともに
しげるが消えた
後ろを振り返ると
しげると自転車は転倒していて
しげるは
肩のあたりを抱えるようにして
丸くなっている
「いてててて」
って言っているから
生きているのは確認できる
倒れたしげると自転車の先にあったのは
大きな黒い塊
カンガルーだった
オーストラリアの車道には
たまに車に轢かれたカンガルーが横たわっている
日本でも動物が轢かれていることがあるけれど
カンガルーの存在感はそれの比じゃない
大人のカンガルーに勝負を挑んで勝てるはずがなかった
日が昇って、明るくなると
しげるの肩のあたりの服が破れていて
肩から肘にかけての皮膚が擦れて血がにじんでいる
自転車の前輪も曲がっているのがよく分かった
とてもじゃないけれど乗れそうにもない
車も通過するようになったから
荷台のある車に助けを求めて
しげるは自転車共々、次の街まで送ってもらう
怪我の方は、自転車に乗れるようになるまで
1週間位かかりそうだった
僕は、無傷だったから
しげるは、バスで1000キロ位先の町まで進んで
そこで怪我と自転車を治すという事になった
そこから僕の一人旅が始まる
いままで2人だったのが
1人になる
朝起きても
ご飯を食べるときも
自転車で走るときも
寝るときも
1人
オーストラリアの西海岸から北にかけての地域は
街と街の間隔が広くて
100㎞前後が当たり前200㎞くらいのところもある
街から離れると、広がる平原と道路だけ
車も1時間に数台しか通らない
街に着けば、人がいる
話すことも出来るのだけど
やっぱり知らない人だし
慣れない言葉だし
僕の考えだってその人の考えだって
お互いによくわからない
日本にいたときは、どこにでも日本人がいたし
自分の周りにいる人が
日本語が通じる相手というだけで
仲間意識を持ってしまう
言葉って重要だ
街にたどり着けなければ野宿だし
人と出会わない日だってある
自転車を漕いでいると、ペダルを踏むこと以外
何もすることが無いから
いろんなことを考える
このまま僕が倒れて死んでも
誰も気が付けないだろうとか
虹が出ていても誰とも共感できない
きれいな夕焼けだったとしても
それを凄いねっていう相手がいない
そもそもこの考えている気持ちだって
誰も分かり合えなくない?
自転車で進む道は
見渡す限り広大に広がる平原
動物さえいない
人もいない
言葉を使わない
2人で自転車を漕いでいるとき
僕の後ろか前にはしげるがいた
僕が前を見ればしげるがいるし
しげるが後ろを見れば僕がいる
当たり前のことだったけれど
もう、当たり前じゃない
そんな中で
誰かという存在がとても大事に感じた
誰かがいなかったら
僕は存在していないって思った
しげると共に自転車を漕いだ時間は
僕としげるだけが知っている経験
僕としげるが生きている限り
この世界に残る
でも、1人になってみて
自転車を漕いだ経験は
僕しか知らないこと
誰も知ることがない
寂しいとか
心細いとか
そういう感覚を通り越して
僕は一人だったら
無だなって感じた
しげるという視点がなかったら
無だって
おなかが減るから
ご飯は食べるけど
疲れたら
休むけど
眠くなったら
寝るけど
誰もそれを知らない
言葉のない世界
意思を伝えることが出来ない世界
そこに心は存在しない
動物って
こういう感覚なのかもって
思った
幸せなことに
僕には
1000キロ先に
待っているしげるがいる
日本には親もいるし友達もいる
話が通じる日本人がいる
そこにたどり着ければ
動物じゃなくなる
心を通わせる相手がいるって
素晴らしい
しげるに再会したとき
喜びの絶頂になるかなって
思ってたけど
男同士だし
そんなことなくて
かっこつけて
「よっ!!待った?」
なんて、自然を装ってたかも
感動の再開ではなかったのは確かだな
ただ、そこから先の道は
僕の前にしげるがいたり
僕の後ろにしげるがいること
ただ、それだけのことなのに
それだけのことが大切に思えた
無事オーストラリア一周を終えて
ケアンズにたどり着いたとき
感動で涙が出るかなって
思ってたけど
そんなことはなくて
しげると二人
日本行きの飛行機の搭乗日まで
屋根がある生活
お金を使う生活
人間らしい生活を満喫した
帰りの飛行機では
搭乗にてこずって
飛行機に乗り込んだのはギリギリ
大慌てで、シートに座って
すぐに飛行機が動き出す
1年も前に取った席だから
しげると僕は離れた席に座っていた
最後の最後でバタバタしちゃって
落ち着く暇もなかった
飛行機が飛び立つときの
窓から見える景色
これまで生活をしていたオーストラリアの大陸が
だんだんと小さくなっていく
1年間の出来事が
僕の心によみがえってきて
自然と涙があふれてきた
オーストラリア一周したときじゃなくて
飛行機に乗った今
大変なこともたくさん、楽しいこともたくさん
たくさんの人の好意に助けられたことも
いろんなことがあったこと
それが、一気に押し寄せてきて
僕の涙になった
遠くに座っている、しげるの方を見ると
しげるも泣いてるみたいだった
2人の席が離れていてよかった
僕は一周という目的のために
オーストラリアにやってきたけれど
涙の元は
そこにはなくて
たくさんの出会った人や
しげると過ごした日々
そこにあったんだなって
それからというもの
僕は、
結婚したいって
心から思えるようになった
人が作った制度だけれど
人が作ったものっていいじゃん
人が作ったものってことは
僕以外の誰かの存在があるってことだから
僕は、一度、あの場所で
動物の世界を体験してるから
結婚という制度ですら
ありがたいって
思っちゃう
パートナーとの熱が冷めた後には
いくらパートナー側に愛を探しても
絶対に見つからないから
冷めてしまった後には
自分の中にある愛を探し出そう
それが見つかったら
夫婦は、また温かくなる
もし、それが見つからなかったら
その時は・・・
いや、絶対にあるんです
気が付いていないだけで
絶対にある
これまで一緒に歩いて来たんだから
それに気が付いたら
別れることだって
悪いことじゃなくなる
幸せになるための別れになる
今日、帰る家には
僕を待っている
妻がいる
家に帰る僕がいる
どっちが欠けても
成り立たない
熱が冷めた後には
実はとても大切な宝物がある
この世界から旅立つとき
涙に変わる宝物がある
自分以外の
外の世界に何かを求めても
絶対に見つからないから
ただ、自分に問いかけてみよう
宝物は心の中にあるはずだから