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あ、いきなりなんですが・・・。

勝手に、noteの凄さを語らせてもらおうかと。
もしかしたら、この記事を見て、誰かにお勧めしたくなっちゃうかも⁉

あくまでも、かも⁉
ですので・・・

ご期待に沿えれば幸いです。


インスタやTikTokが流行るのは良くわかる。

人は、目で見た情報を瞬時に取り入れるから
パッと見たときの印象が、脳に刺激を与えるからなんだろうと思う。

人が人に対して
どのように見られるか?
どのように見られたいのか?
そのあたりを刺激するように作られていて

人は、自然にそういうものに
快感を感じるように出来ているから
インスタ映えっていうのも
納得できる現象だなって思う


ここで一つ。
僕たちが見ている世界の話をして
そこから、noteの凄さの話に移っていこうと思います。

noteの凄さを分かるために、
前提である、僕たちが見ている世界を知る必要があるんです。

まず、僕たちが見ている世界は、
赤ちゃんの頃、生まれた瞬間にスタートしました
でも、不思議なことに、生まれた瞬間の記憶は無いし。
記憶があるのは、だいたい3歳くらいの頃からになるのが一般的。

あくまでも、僕の持論ではあるのですが、
自分の心が存在するためには、誰かという存在とその心
必要だと思っています。
誰かという心に触れることで、心は存在できるのかなって。

ちょっと、話しがそれました。
心の存在については、こちらの記事で。

そうやって生まれた心は、
思春期の時期に、変化を迎えます。
思春期は、自分の存在を他者との関係性で理解するようになる時期です。

誰かと自分、誰かの心と自分の心、その関係性で自分の存在を明らかにするようになる時期だと思います。
だから、どのように見られるか?ということや、どのように見るか?
という事が、とても大事に感じられる時期。

そして、その、見る、見られるという感覚は、
とても強い刺激を脳に与えることが出来るので、
強い感情を起こして、快感、不快の浮き沈みで豊かな感情を作ります。

思春期を経験すると、
自分の存在を、他者との関係性で理解するようになりますから、
どのように見られるか?
どのように見るか?
という事を重要視して、
子供の頃に生まれた心に、様々な装飾物を付けるようになる

今、見ている世界は、
思春期の頃から育った
どのように見られるか?どのように見るか?
の集大成です。

だから、誰でも、
心という存在に、様々な装飾物を付けて
それを見たり、見せたりして
楽しんでいる

でも、最近そういう感覚的な物が溢れてきて
なんか、どれを見ても、一緒だなって
思うようになってきてしまって。
それは、年齢を重ねたからなのか?
分からないけれど、
そういう、飾ったものにはあまり興味が湧かないようになりました。

それよりも、
装飾品を付けていない心の方に、興味がある。

そもそも、僕たちの心は、
元々は、装飾品を付けていない心だったわけで
そういう心を感じるから、感動できたりする。

感動については、こちらの記事を見てください。

noteというSNS媒体は、
そういう、心を感じさせるツールとしては、
とても優れていると感じた訳です。

見た目的に、文字ですから。
パッと見の映えはありません。

文字を読まなくてはなりませんから。
面倒です。

でも、文字というツール
言葉というツールは
心を発達させるのに、とても有効なツールなんです。

子供の頃の記憶がないのは、
その当時の心が、まだ発達していないから。

赤ちゃんは、言葉を覚えて、
誰かの心を感じることで、急激に心が成長します。
言葉を覚えること、文字を覚えること。
それは、誰かの感情を感じることになる。
そこで、心が豊かになる。
誰かの心なしでは、心は生まれません。

それまでは、見た目の顔色とか、表情、
パッと見の印象で
相手の感情を感じていただけだったものが、
言葉によって、心が豊かになる。

言葉というツールを使うと、
もっと誰かの存在
誰かの心を感じることができる。
そして、心はかなり豊かになるのだと思います。

いうなれば、
インスタやTikTokは、赤ちゃんの頃のツール
(見た目の印象)
noteは、言葉を覚えた後のツール
(相手の感情を感じる)
発達した後の、ツールなのかなって思う訳です。

もちろん、noteに記載されている文字
その全てが、心を全て現しているわけではない。
装飾品だらけの文字もあるし、
裸の文字もある。

ただ、その裸の文字に触れると、
その心に触れられたようで、
自分自身の心が豊かになる。


インスタやTikTokを否定しているわけじゃなくて、
単純にそのツールの分析になるのですが
巷で言われている
承認欲求を満たすツールとしては
優れている物だと思います

ただ、その承認欲求は
一度手に入れてしまうと、なかなか手放す事が難しい
もっと、もっと。
そんな風に思ってしまう。


対してnoteは承認欲求というよりも
誰かに何かを与えたいという欲求
が強うように感じられる

文字を読むという手間がある分
受け取る側にも、それなりの心の広さというか、
余裕というか、
そういうものが必要です。

たくさんの文字数であればあるほど、
受け取り側の心の広さが要求される。

①誰かに何かを与えたいと感じている人
②誰かの考えを受け入れる人

そんな人たちの、心のやり取りのツールだなって
思う訳です。

もし、noteというSNSがどんどん流行り出すようなことがあったら。
①の人と、②の人がどんどん増えて。
世界は良くなっていくのかも?

①の人と、②の人が増えたら、争いごとは起こらないかも?
noteは世界平和を作る⁉
のではないだろうか?って。

過大評価し過ぎですかね💦

パッと見の、映えは全くないのですが。
noteを利用していて感じること。
気が付いたことです。

様々な利用法があると思いますが、
誰かの心を感じることは、
人生を豊かにすること。

それに優れた媒体だなって思います。

このnoteの媒体を通して、
みんなの心が、
豊かになればいいなぁ☺️



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