#4 やっと、諦める、明らめる。《現状編》
別れてから3ヶ月が過ぎた。
最後のひと泣きを終え、気持ちもずいぶん落ち着きおさまってきたので、
今後私は「パートナーシップ」とどう向き合っていくのかを、ここで整理したい。
✳︎このnoteは、大好きな彼に別れを告げるしかなかったことに後悔した女子大生が、気持ちの整理がついたこのタイミングで振り返りをするnoteです!
1人の人間の恋愛訓を読むような気持ちで読んでいただけるのがベストと思いまーす🙌
現状:「おらん」から「いらん」への移行期
まず私は、普段落ち着いて冷静だと言われる分、感情の起伏にタイムラグがある。最近になって自覚した。
問題を目の前にしているときや、事態の最中にある時は、論理が優先される。
それによって私は物事を滞りなく処理できるし、土壇場の平常心とも言えるかもしれない。自分でも、「もっと取り乱せたら楽なのに。」と感じるくらいに。そのわけは。
ホッと一息ついたり、問題が終わったりした後に、
バーッと涙が出てきたり、
怒りが沸々と湧いてきたり、
嬉し涙に感極まったりする。
心を置いてけぼりにしてしまいがちなのだ。
そして、それを伝えたくても、
周囲にとってはもう終わったことなので、
伝えようにも後出しジャンケンのようになってしまい躊躇する。
嬉しい話であれば後からでもするのだが、
「あれ、ちょっと傷ついてさ」とか
「あのとき、あれ嫌だったからやめてね」とかは見送ってしまう。
「なんでその時に言わなかったんだよ」
という攻撃的なコミュニケーションを非主張的に受け止めるシチュエーション(これはまさにジャイアンとのび太のやりとり)を想定してしまう癖があり、
「また、されたときにでも…」となる。
そして再び同じ体験をしたときにも、感情が遅れているので、
結局言えずにおわる。
気づいた時にはズタボロになってたりする。
私はまだまだ、自分を守る力が、ケアする力が足りないのだ。
簡単に相手に傷つけさせてしまい、罪悪感を負わせてしまうともいえる。
仏の顔も三度まで。繊細な私は?
こう言えば聞こえが良いかもしれないが、
大抵のことは見逃せる私は、
心まで鋼かと言われるとそうでもない。
ちゃんとガラス製だ。
これは幼い頃から変わっていないので、
並一通りのことは「見逃せる」ようにはなっても、ちゃんと傷はついてる。
心のケアができるようになったのも最近の話だ。
これが私の、「今の正直な気持ち」らしい。
ボルテージは最高値だったので、少し過剰な言い回しも見られるが、
このときも「私の感情」は遅れてやってきていた。
堰を切った涙が2時間くらい止まることはなかった。
「泣きながらご飯食べたことのあるひとは、生きていけます」
有名ドラマのそんな台詞があるが、
私は泣きながらでも勉強したという経験が何度もあるので、もっと大丈夫だと思っている。
目をパンパンに腫らして、鼻を噛んだ塵紙を積もらせながら、レポートを書いたことがあった気もする。
この日記を書いたときだって、
感情が遅れてやってきてる分やるべきことはやってあったし、
感情の起伏に苛まれながらもやることを手を動かしてやっていた。
私は、自分が、
自分の気持ちを無視する天才になってしまわないよう、今も昔も必死である。
「キミなしでも生きてゆける」
パートナーシップはこんなふうであるべきだと考えていた頃に、彼と出会った。
そして、別れるときには
「俺がいなくても生きていけるようになって欲しかった」と言われた。
この言葉は当時の私にとっては呪いの言葉ようであり、ものすごく悔しかった記憶だ。
「そんなのこっちが1番わかってるよ。」
真剣にそう思っていた。
でも、別れてほとぼりが覚めた今、この言葉の意味を
「出会った頃の君が好きだった」
というふうに解釈していいのなら、
ものすごく納得である。
なぜなら私も、あの頃の私が大好きだったからだ。
「彼氏、おるの?」
地元の知り合いにそう聞かれた時、即時に
「いらんいらん。」
と返し、その場を笑いに包んだあの頃の私。
あの頃の私は、「私が」私を幸せにすると固く決心していた。
自分で自分を幸せにできるなんて、ものすごく頼もしいし、誰しもそんな人と幸せになりたいだろう。
なので私は、「これ以上は傷つけさせない」と頑なになれる力を、これからつけていきたいと思っている。自分で自分のことを守れる力を、もっとつけていくつもり。
そうやって、大切な人たちのことも守っていくつもりだ。
自分のことを、きちんと守れる自分になる。
そう決意する、「おらんおらん」移行期。
次回、時は遡り、別れる前の苦悩編!
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