#epilogue やっと、明らめる。
私が私を幸せにする。
いなくても生きていけるけれど、
いたらもっと楽しい。
自分の感情をタイミングよく&うまく
表現できるようになる。
そんな私の望みを叶えていくべく書き続けた私のマガジン、『やっと、諦める、明らめる。』は全11本にのぼり、
前身の『アサーションで心のオーナーシップを持てる自分に』を含めば全13本となった。
最大で5800字越え、平均4,000字のnoteを継続的に書いたのは初めての試みで、
体調を崩すこともあった。
今は若干、不眠気味である()。
けれどそれくらい、私は「変わりたい」という自分の願いに突き動かされていた。
#0の執筆は5月25日 。
怒涛の言語化を続けたこの3週間は
ものすごく濃密だった。
思考は整理されたし、あとは日常の中で鍛錬を繰り返すだけとなった。
このマガジンのおかげで、私の中のプログラムはだいぶん書き換えられたのではなかろうか…。
未練や後悔が執着に変わってしまう前に、
動き出せてひと段落つけられホッとしている。😌
「君なしでも生きてゆける」
「これ、幸(こう)みたいだね。」
彼と付き合い始めたころに
音楽好きの友達が贈ってくれた
ズーカラデルの「ノエル」。
「君なしでも生きてゆける」というフレーズで私を連想してくれたらしかった。
どこまでも私で、思わず笑ってしまったのを覚えている。
いなくても、生きてはいける。
けれど、一緒にいる方が楽しくて、
いないとなんだか少し寂しい。
20歳の小娘が抱いていた、パートナーシップの正解だった。私らしさの象徴でもあった。それをまさか別れ際に、
「僕がいなくても生きていけるようになって欲しかった」
と言われるだなんて、この頃の私は想像もしてなかったと思う。
私から別れを切り出したが、
どうやら私は振られもしたらしく、
別れ話をしたこの瞬間から、この言葉を
なかなか溶けることのない飴玉のように
舌の上で転がし続けた。
「いつかは家族を持って、
子どもが欲しい。」
付き合う前の彼の何気ない発言を覚えていた私は、別れる前、とても焦っていた。
彼と築く家庭は、きっとあたたかい。
容易に想像できる。
彼はきっと、いいパパにもなる。
デート中、ちびっ子を見て微笑む彼がとても好きだった。
「別に結婚なんてしなくてもいい」と、彼と出会う前は考えていた私も、彼に感化されつつあった。
なのに、彼との未来までの間には
ぽっかりと大きな空洞があった。
遠い未来は想像できるのに、
明日や、来月や、来年のことを想像できなかった。
不思議だった。
就活を控えていたというのもあるし、
当時は類い稀なる特殊な環境下にいて
極度のストレスに晒されていたのも相まってか、
母親になることをだんだんと恐れるようにもなっていた。
彼はいいパパかもしれないけど、私はいいママになれるのだろうか。
あまりにも早すぎる不安とは分かっていながらも、当時のそれはとてつもなかった。
1人で勝手に、焦っていた。
気持ちが着いてこないことに。
「もっとお互い
精神的に自立して、
経済的にも自立してたら
違ったのかもしれない。」
そんな背景を抱えていたからこそ紡ぎ出された、私からの別れの言葉だった。「お互い」というより主に「私」だった。
今となっては、余計な不安を抱えて爆発したと思う。馬鹿だなぁと思う反面、当時の自分は本気だった。
自分のことばっかりで、不誠実な別れ方をしたと思う。
なので、彼からの別れの言葉はまるで、これに呼応するかのようだった。どこまでも賢い彼らしかった。
けれど、「いなくても生きていける」は私の中でマストだった分、別れたあとの私は"辻褄"が合わなくてものすごく混乱することになった。
私の知っている彼と、別れ際の彼が
まるで別人のように感じられ、
短い交際期間とはいえあまりにも
彼のことを知らなさすぎた気さえした。
全部知ったつもりではいなかったし、
一生涯かけたって全てを理解することはできないと感じるくらい、彼は確かに魅力的な人だった。
でも、あまりにも知らなさすぎた。
「人間のことだもの、
わからないことだってある」と
普段考えて人間と向き合っている私なのに、
あまりの辻褄の合わなさにわだかまりが残り続けた。
本音。決意。
「好きだけど、別れた。」
「彼のことは好きだけど、そんな彼を好きな『私』のことをどんどん嫌いになっていくのが止められなかった。
止め方を知らなかった。」
嫌いで別れたわけじゃなかったので、
いろんな思いをごっちゃに抱えながらも、
別れたて当時の本音はきっと、
「好きなのに、
一緒にいたいのに、
一緒にいられない。」
だったと思う。
「いられない原因」は彼ではなく、私にあったと思う。
そんななので、やり直すか真剣に考えた時もあった。
けれど、久しぶりに取った連絡で
「復縁はしない」と向こうには言われてしまっていた。
だから半ば無理やりに、新しい出会いを求めて動いてもみた。無理やりだったので、全然気乗りしなかった。
そんな最中も、事あるごとに書いた。
感情が溢れ出した時も。
ふと思考を巡らせた時も。
書いた。書いた。
調べて、考えて、また書いた。
周りの同性はみな
「相手が悪かったのよ、今回は!」
「相性の問題もあるわよ。」
「その人とのことは、その人とのこと!
相手が変わればきっとまた違うよ。」
そんな声をかけて励ましてくれたが、
当時の私には全然そう思えなかった。
恋愛というものが相手ありきの事象であるとはいえ、
本当に全てを相性や相手に原因帰属していいのだろうか…
そんな風に考えていた。
私の直感は、
「このままだと私は、
一生同じことを繰り返す。」
そう訴えていた。
そんな紆余曲折を経たある時、気づくことになった。
たとえやり直そうが、
新しい出会いを求めようが、
私が変わらないことには
何も始まらないんだよなぁ。
どっちに進退を決めたとて、変わらないことには何も始まらなかった。ならば
「変わろう。」
決意した。
「変わらない」という選択はないに等しかった。
葛藤。
彼とやり直すためでも、
新しい出会いを掴むためでもない。
「なりたい自分」になるために、
私はこのnoteを書いた。
なりたい自分になった結果が、
彼とやり直すことなったり
新しい出会いに恵まれたりするのであれば、
それは結果オーライかもしれないが、
なりたい自分になること。
ありたい自分であること。
これが私の最優先事項だった。
なりたい私とは、
「どんな自分も受け止められる私」だった。
本当は書くか迷った。
私はまた完璧を目指していやしないか、と。
これが書けたらゴールだと思っていないか、と。
頭でっかちになっていやしないか、と。
けれど、あの頃の完璧主義な自分なら、
多分書かない。書いてすらいない。
書くことは、それを残すことは、
私にとって、私を受け入れる作業でした。
弱くて柔い自分も、誇らしく好きな自分も
確と抱きしめることだった。
途中、辞めそうにもなった。
こんなの書いてて意味あるのかな、と。
けれど、何より楽しんでいた。
狂ったように書いていた。
なりたい自分に近づいていっている。
この楽しさの虜になり、書く手は止まらなかった。
拙いながらも1日で10,000字書いた時もあった。
それは、完璧でない自分を認める作業でもあった。
何を書くのも怖くなくなり、自分の思いや思考に正直に、赴くままに書き続けられたのは、
「もう彼に嫌われたっていいや〜」
と思えた証拠でもあるだろう。
自分が本当に必要としているものはなんなのか、
私ってどんな人間なのか、
なりたい私はどんな私なのか、
どうすればそうなれるか。
向き合い続けた。
気づきと変化、連続。
この失恋での最も大きな学びとなり、
最も大きな変化をもたらしたのは、
私の心と他者の心を分つことができるようになったところだと思う。
私の心は私のもので、
彼の心は彼のもの。
だから、彼の気持ちの所有権は
彼にしかないし、
それは私も同じ。
いまの私は、私の気持ちにただ応えるだけ。
期待しなくなったとも言えよう。
そんな私は、人のことはよく理解しようと
強い好奇心を抱くくせに、
自分のことは相手に理解させなかったり
理解してもらおうとしなかったりするところがあることにも、今回気づいた。
もったいないなぁ。
相互作用が生み出せないじゃないか。
次好きになる人には、
もっと自分のことを知ってもらうのを
恐れずにいたい。
それを知られたからって、私は傷つかない。
傷ついてもケアするし、守る。自分を。
好きでい続ける、い続けてもらう努力には
きっと2ベクトルがある。
離れるベクトルと近づくベクトル。
私は「離れるベクトル」ばかり重視していて
1人になる時間があってこそ相手のことを恋しく思うことができると思っていた。
けれど「好き」は、「会って対話して」互いを理解して深めることもできた。交際前はそうやって、好きを深めるのだから。
会って、顔見て、話さないと。
人間は完璧じゃないから、
声も顔も忘れたりする。
人間は、好きな人の顔ほど、いろんなその人の表情を知っているので思い出せないらしい。
あれだけSNSの距離感に苦悩していた私だが、
会っても話してもいない人のことを
ずっと好きでいられるタイプではないらしい。
これに気づくことができたのも大きかった。
対話を重ねて、会って空間を共にするから、
好きの気持ちを持続させられるし、
末長く縁を続かせることができるんだと思う。
離れて、独りよがりになっていたことを反省した。
好きでい続ける。
これって難しい。みんな悩む。
相手の気持ちだけじゃなく、
自分の気持ちを冷めさせないためにも、
会いたいを伝える努力をしないとなぁと思った。
相手が会いにきてくれるばかりが
愛ではないないんだなぁ、と。
大きな学びとなった。
そんななので、今もし
「彼のことまだ好き?」
「やり直したいと思う?」
と尋ねられたとしたら、答えは
「会ってみないとわからない…😓」
だと思う。
これはきっと、彼も同じなんじゃないかな。
それくらい、私は変わったと思う。
体も、髪も、考え方も、心も、生活も。
あの頃、痩せてく一方で焦っていた私の体は、考え方を変えたことで「私史上最も綺麗な」体だと思えるようになった。生活に困るような痩せ方じゃないことに気付いたので。
髪は伸びて、大好きなハーフアップができるようになった。毛量の多い私はなかなかカットを我慢できないので、ハーフアップはそんな我慢の先に待っている、期間限定の大好きなヘアスタイルなのだ。
きっかけとなった件の元カレについて
彼との出会いは大いなるもので、
たくさんの恵を私にもたらしてくれた。
彼は私にとって
愛おしく必要な存在だったけれど、
彼との別れも私には必要だった。
別れていなければ、
あのまま付き合っていれば、
きっと「なりたい自分」の存在に気づくことなく、彼に寄りかかって、自分を誤魔化し続けるままだった気がする。
彼と出会ったから、
いつかは結婚することを望んだり、
とくに、いつかは子どもを産みたいと望むようになった。
大学でのゼミの学びも影響しているが、
人は生涯に渡り、発達し続ける。
そして母親も、子から学び続ける。
私たちは完璧じゃないから。
だからこそ学び続けることができる。
親子はケア・ケアラーの関係だけじゃない。
親子は、互いに学び合う関係なのだと。
これを忘れなければ、
きっと私が恐れる結末には
至らないのではないかと、
別れる前の私の不安と折り合いをつけることができた。
これが意味するところは他にもあって、
人と繋がることを恐れなくなったといえよう。
それはきっと、あの時、あの辛かった時期に、
他でもない彼という人と出会い、
そして一緒に過ごしたいと決めて、
自分の意思で動いたから。
あの時でなければ、
彼でなければ、
付き合っていなければ、
こうはなれなかった気がする。
まあ、結果論かもしれないのだが、
自立心が強すぎて人に対する不信感さえあった私が、彼という人に出会ったのは
人生や生き様を変えるくらい大きな出来事だった。
そして、これも彼のおかげなのか、
過去を振り返ることが怖くなくなった。
思い出ができたからなのかな。
彼といた時の私は、過去の自分との折り合いがまだ着いておらず、苦しんでいた。
過去をうまく語る言葉を探している途中だった。
けれど、彼と過ごした時間のおかげで、
過去は辛いことばっかりじゃなくなったし、
過去は過去、今は今と思えるようになった。
先日、久しぶりにスケジュール帳を見返すことがあった。
あの頃の彼との予定が目に飛び込んできても、私の心はもう揺れなかった。
「あの頃、ほんと楽しかったなぁ😚」
である。
私は、
彼という概念が好きなのではなく、
彼という存在そのものも好きで、
つまり当時はとにかくまるごと彼のことが好きだったし、愛そうとしてた。
未熟だったので「愛」には及ばなかったが、
もうずっと会ってない人のことを好きと言えるかわからないのは、こういうわけでもある。
これでまだ堂々と「彼が好き!」と言えたら、その「彼」は形骸化している気がする。
きっとそれは、彼だってそうだろう。
私の目が好き。私の体が好き。
私の動きが好き。私が紡ぐ言葉が好き。
私の好きな、私が大切にしているものを
大切にしてくれ好きになってくれたのは
ものすごく嬉しかったし、そういう彼だから好きになったのだとも思う。
これからも、それは変わらない。
「私が大切にしているもの」を大切にしてくれるような人たちを、私は、これからも大切にしていきたい。
けれど、
もしそれらを大切にしてもらえていないと感じることがあっても、
これからは歩み寄って、
ありのままの素直な私で向き合えばいいんだと思う。
私の大切なものじゃなくて、「私を」大切にしてくれているのかを確かめればいいんだと思う。
私の好きなエッセイの言い回しを借りるなら…
この顔やこの体や、
この言葉やこの気持ちを
愛して大切にしてくれるのも嬉しいけど、
「そういうのがくっついている『私』を、
『私という人』を、忘れないでもらいたい」
って感じかなぁ。
なんか哲学みたいな難しい話してる笑
これからも。
まだまだ体調が悪くなったり、心が弱ったりすると、彼との別れのことを思い出したりする。
人間は状態の悪いときには、それとよく似たことを関連して思い出すようにできている。
これはまだしばらく変わらないんじゃないかなぁ。
先日も寝不足×疲労困憊だった時、
事情を知る友人の前で
「何がおらんくても生きていけじゃあああい💢(巻き舌関西弁)」とぶり返してしまった。
友だちも笑っていた。
だって、モットーだったんだもの!
彼の最後の別れの言葉は、私には相当応えたらしい。
私から別れを告げたはずなのに、
気分は振られた側なのだ。
私たちはどっちが「振った側」なんだろう?
けれど、彼には本気で感謝している。
それまでの私がコンディション悪化時に思い出していたのは、私の世界最大のアンチ( = my DV dad )のことだったからだ。
なかなか解決しないアンチ問題が、彼との別れにすり替わったなんて、私には感謝でしかないのだ。うんと、生きやすくなった。
友達には「幸福の総量が増えたみたいでよかったよ」とさえ言われた。
彼は、交際中も別れた後も、私を幸せにしてくれた人に違いなかった。貰ってばっかりだったかもなぁ。
いろんな本読んだなぁ。
まだまだ読めてないのもある。
読み続けたいなぁ。
学び続けることを、やめたくない。
そうやって、私と対話する時間を忘れたくないな。
それは次、誰かを愛するときも。
というわけで、これからも私は書くことにした。
「心の機微」を感じ取り続けたいから。
私のものも、相手のものも。
それが、この先を生きていく私の糧になると思うから。
人間は意外とポンコツで、
大切なことも嬉しかったことも簡単に忘れてしまう。
これからは忘れないように、書き残したい。
過去を振り返ることが怖くなくなった私にとって、
いつかまたそれを振り返ることは、
私の心をくすぐる、あたたかな何かになる気がする。
漫画が描ければ良かったなぁ。
今度は絵で描けるようになりたいかもしれない。
この超大作を仕上げた後、
ビジネスの世界に潜り込んでいきたく。
知見を広げたい次第です。
ひとまず「問題解決力」とやらが欲しい。
この夏の予定はもうびっしりで、
まるでこのために別れたんじゃないか?と自分で錯覚するくらい。恐るべし就活。
とにかく経済的に自立したいのだから。
しばらく私は「私というひと」をまた愛でる日々に戻るんだと思う。
元々そういうのを好めるタイプだったので、
大して寂しいわけでもなければ、
最高に嬉しいというわけでもない。
平穏に戻る、という感じ。
そうしているうちにまた
彼のような人が現れて、
「それ、いいね!」と
「私というひと」を一緒になって愛でてくれるような気がしている。
その時は私も、
「そっちこそ、いいね!」と
相手のそれも愛で、愛し、
互いを必要とし合うことを恐れない私でありたいと思う。
諦めずして"明らめる"ことができた、
2023年6月19日。