推しが芸能界を引退したオタクのお気持ち表明

 ずっと前から決めていたことがあった。もし、私が“降りる”ときは、NOTEでオタクのお気持ち表明をしようと。
 
 2021年10月10日、私が応援している俳優が芸能界引退を表明した。
同年の8月中頃には『ライブスペクタク「NARUTO-ナルト-」~うずまきナルト物語~』の情報解禁があり、9月にはナルステのキャラビジュが発表されていた。同じころ、私は“応援してから1000日記念”なる動画を作り浮かれていた。
 そのような中での、発表だった。コロナ禍が収束しない中でも、大きい仕事が控えており、今、やっと俳優として土台が出来たころだと思っていた。
 
「昨年から世界情勢が変わり、環境の変化を目の当たりにし、そんな中様々なことを考えた時に、これから挑戦したいと思える夢」ができたらしい。そういえば、これまで具体的な“夢”や“目標”を聞いたことはなかったなと、初めて気付いた。
 
 引退の1日前である、1月30日に自身のFCにてオンライン配信という形で今後の活動についての報告があった。
「ジュエリーデザイナーになる。時間を無駄にしたこともあった。色々なことをトライしたうえで、彫金師になると決めた。」という。
「デザイナーとして作り手として、フルオーダーメイドのジュエリーで人を輝かせたい。」
「2023年の頭には自分のブランドを立ち上げたい。」
「プライベートサロンを作りたい。」
「経理面は周りの大人に助けてもらう。」
「俳優とオタクとして出会えた縁を大切にしたい。」
「今後ともSNSのチェックなど、宜しくお願いします。」
上記が俳優のファンに報告したことである。
 
本当に大丈夫?
 
まず、“ジュエリーを作りたい”という夢は応援したいと思う。
 しかしながら、辛辣なことを言うと、そのせっかく作ったジュエリーを売るためにも俳優を続けた方が良かったのではないだろうか。本人は、性格的に俳優と制作の両立が難しいと言っていた。それは、正直、無謀なのではないか。この配信で、多くのオタクが「絶対、買います。」とコメントしていたそうだ。“そうだ“というのはオタク側から他のオタクのコメントが見れない仕様の配信であったからである。

断言しよう。そのオタクは買わない。

 なぜなら、コロナ禍とは言え引退することを発表していたのに、一万ぽっきりチケットさえ買わず、舞台に来ない人々である。コメントするのはタダだ。なんとでも言える。それすらしない人間が買うわけがない。買ったとしても、そのうちの何人が月にいくつ、またオーダーメイドとはいえジュエリー界では知名度も実務経験もない彼の作品をいくらで買うのだろうか。さらに、俳優という肩書がなくなったときに一体何人が彼のことを覚えていられるのだろうか。若手俳優がテニミュに出て、実績が更新されずにいると人気の寿命がどれだけ続くか知ってるのか。
 例えば、自分の既存のオタクだけでなく、知り合いの若手俳優とコラボしてそのオタクにジュエリーを売るとする。それでも、一体いくつオーダーが入るのか。それは、オーダージュエリーとして自分の信念に反するのではないか。
 この配信で今の作品のことを「みせれるレベルになったら…」とよく口にしていた。謙遜で言ったのかもしれないが、今の段階でみせれるレベルになってないのに、なぜ一本に絞る決断をしたのか。
 きっと、配信では言っていない伏せている部分もある事だろう。それでも、それでも、怖い。これだけはわかってほしい。決して、私が大好きなあなたの“夢”を否定したいわけではない。それだけはわかってほしい。本当に心配なのだ。
 もしも、言わないだけで宝くじが当たっていて、金銭面での心配が何一つなく制作に取り組めるのならば、それはそれでいい。もしも、大富豪のパトロンが全額面倒を見てくれるのならばそれはそれでいい。しかし、ジュエリー界において今の日本ではバブル期のような売上は期待しづらく、市場規模も徐々に縮小傾向にあることも現実だ。本当に大丈夫なのか?ポロっと口にした、困ったときに助けてもらおうとしている“周りの大人”は大丈夫な人なのか?いささか疑問である。
 保守的な考えの、石橋をたたいて渡るような性格の私の杞憂ならばいいのだが。
本当に大丈夫なのか。
 
 少し話は脱線するが、私は”推し“という言葉をあまり使いたくない。ただ、汎用性が高いので、文字制限のあるTwitterでは検索よけをするためにも使ってしまうことがある。しかし、極力使いたくない。違法アップロードを見ているだけでも、SNSをフォローしているだけでも使えてしまう言葉。また、心のどこかで自分が彼を”推し“と呼ぶことは烏滸がましいのではないかとも思っていた。”推し“と呼べるほど、私は推せているのかと。
 お恥ずかしい話、ここではあえてこう呼ばせていただくが“推し”の舞台をすべて全通できたわけではない。作品としてはデビュー作から、全てを現地で見届けさせてもらった。しかし、全ての公演には足を運べなかったこと、彼を応援した中で、それだけが心残りだ。もっともっと現場に行けばよかった。後悔しても、もう遅い。この独白を一体、誰がここまで読んでいるのかは知らないが、今あなたに“推し”がいるのならば言いたい。何としてでも行け。後悔するぞ。まぁ、全通しても「もっと前進できたのでは」や、「もっとカテコ位置ゼロズレに入れたのでは」と、なんやかんやでまた高次の後悔をしているのだが。このように、私は最低でもどれだけ彼を応援したいかを“行動”で表してきたつもりである。もちろん、一方でこれもわかっている。それは、オタクの自己満足の世界で、頼まれたことではないと。

 オタクとしての辞め時は、自分で決めたかった。例えば、クズバレ、カノバレなどオタクが“推し”を降りる機会は様々ではあるが、引退で“担降り“は露ほどにも思っていなかった。
 
 私が彼よりも前に応援していた俳優のせいで傷心の頃、ふらっと観劇した『ミュージカル「テニスの王子様」3rdシーズン青学vs四天宝寺』の初日2018年12月20日に出会ったその日から、今日までの1139日。数字にするとあまり長くはないが、応援してなかった頃が思いだせないほど、色々な思い出がある。もうここまでくれば私が誰を応援していたかは、自明であるのだが、これから一般人になる人の本名をそうそうインターネットの海で呼ぶものでもないのであえて名前は出さないことにする。彼を応援していたから繋がれたオタクたちとの人間関係。彼との思い出。全部全部、宝物だ。

 忘れないように少しだけ振り返る。

 テニミュでは、楽しかった記憶しかない。初めて訪れた色々な地方。すべてが新鮮で輝いて見えた。まさに、第二の青春だったと思う。今だったら、こうするのにああするのになど後悔も多いのだが。それでも、この時期があったから成長できたと思う。
 初めての小劇場。WBBの『トラベルモード』。テニミュで培った技術や経験を活かしながらも、2.5次元では味わえない概念に触れたのでないだろうか。唯一、出演した作品の中で円盤化されていない舞台なので、一言一句覚えているわけではないが、こんなセリフがあった。「俺たち、同級生~」楽しかったね。この時、一緒に応援していたあの子は、元気だろうか。
 爆走おとな小学生の『勇者セイヤン』。全身パネルがついた花を出したら、今は亡き某掲示板でぼろくそ書かれたのが良い思い出だ。あれは少し反省している。けれど、あの花の写真だけ舞台衣装で写真を撮ってくれたこと、言ってはなかったが、かなりうれしかった。友人には、5万回はこの話をしている。
 次は『SHINOBI NOW!』。これも、楽しかった。初めてゲームの声優にもチャレンジ。正直、ビジュはこの舞台の服部半蔵正成が一番だった。いつかの回の、アフタートークではなぜか俳優による叩いてかぶってじゃんけんポンと、オタクによるブロマイドをかけたじゃんけん大会が開かれた。謎の強運をみせ、サイン入りブロマイドをゲットしてしまった。勝因は、コロナ禍でもないのに、キャパの5分の1しか観客が入っていなかったことにある。ただ、これも私が悪いと言えば悪いのだが、円盤のバクステで共演者俳優が私の悪口を言っていたのには驚いた。まだ販売しているのでぜひ見てほしい。ごめんな。共演者俳優、面白くない物で日替わりさせて。けれど、日替わりが全く関係ない“推し”は叩いてかぶってじゃんけんポンで、とても楽しそうだったので良いとしよう。
 次は『さんふぇす』だろうか。私の中の、私の信念は曲げなかった。テニスでは。あの日、終演後に友人と食べた寿司は格別だった。次の現場は、「ドリライだね」なんて悠長に構えていたのが懐かしい。すぐ終わると思っていた、この感染症は今でも猛威をふるっているし、私が応援している俳優を奪った。気を付けろ。今、言っても届かない。
 初めての対面でのDVDイベントでも本当に楽しかった。感染症対策で間にビニールがあったが、それでも公式の場で応援の言葉を伝えられたことがうれしかった。
 舞台『パタリロ~霧のロンドンエアポート~』でも、ボンデージという少し驚く衣装ではあったが、玉ねぎ部隊の中でおいしい立ち位置をもらっているように思えた。銀河劇場は、なぜあのような作りなのだろうか。
 『ハイパープロダクション演劇「ハイキュー!!」頂の景色・2』では、敵校の重要な役どころを頂き、凱旋公演は全て中止になったものの地方公演は回ることができた。みんなに祝ってもらった自身の誕生日も嬉しかった。そのあと、騒ぎすぎて怒られたのもご愛嬌だ。
 最後の出演となったナルステでも、少年ジャンプの有名作品の2.5次元舞台に抜擢された。私の主観にはなるが、カテコ挨拶での様子から“俳優”という仕事が嫌いになったとは思えなかった。事実、最後の配信でも、俳優の仕事について「とても好きだった」と語っている。
 これ以上は、ここでひけらかすものでは無いし詳しくは書けないけれど、オキラでもあったし、オキニでもあったと思う。これはオタクの妄想だが、正直、私のことが大嫌いで、大好きだっただろ。あなたから見て、私の目指す“俳優のオタク”=“俳優厨“像である、「ファニーで狂人(くるんちゅ)」なオタクになれていただろうか。
 私は、将来的に彼は俳優として火曜サスペンスの鈍器で殴ってくるタイプの犯人になれると信じていたし、ニチアサの戦隊ヒーローの緑にもなれると信じていたし、ドラマでも映画でも舞台でも、いつか主演もできると信じていた。
 彼は、なんでも器用だから。もし、芸能しか取り柄がなかったら、もっとこの世界にしがみついてくれたのだろうか。などと、感慨に浸っていた。
 
 2022年1月31日、私が応援している俳優は芸能界を引退した。
 発表してからちまちま行ってきたグッズ整理で出てきた会報から引用する。『ミュージカルテニスの王子様』のテニミュサポーターズクラブ(以下TSC)の会報vоl.18のテニミュ15周年記念アンケートに「15年後に叶えておきたい夢はありますか?」との質問があった。彼はこう答えていた。
「やはり、一番はいつまでも笑顔で楽しく過ごしていたいです!」と。
 
 だからこそ言う。
本当に大丈夫なのか。コロナ禍で、正気に戻り他界していくオタクをたくさん見てきた。正気になってほしい。
「あなたのためを思って」
常に自分自身の楽しさを優先してオタクをしていた私がそんな言葉を言う日が来るとは思わなかった。自己満足で偽善ぶった言葉。押しつけがましいのもわかってる。あなたにたくさん迷惑かけてきた私だから、もうどれだけ嫌われてもかまわないから。いつも傲慢でわがままな私だけど。配信であなたの話を聞いた上で、本当に心配になった。安心できる要素がない。退路を断つのも、選択肢の一つである。しかし、今回は自身をそこまで追い詰める必要があったのか。
 
 でも、たった1139日間だけれど、誰よりも大好きだったあなたが決めた道だから。私はあなたを応援します。
 
「俺の夢は お前の夢さ」
あなたが10年後も15年後も笑顔で楽しく過ごせるように。だからこそ。
「腕を伸ばそう 夢を掴むために」
君に誓おう。そう、いつでも精一杯だから。

これだけは言わせてほしい。演技をするあなたが大好きだった。だから、いつでも戻ってきていいんだからね。それが、一番やりたいこと“ジュエリーを作る事”の幅を広げ、“自分のジュエリーブランドを広める”手段の一つだったとしても。

私が光って見えたのはあなただけだ。
私が輝かせたいのはあなただけだ。

さようなら。私が大好きだった俳優。江本光輝。

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