8周年を迎えるここかしこのヒット商品「雲棚」のことを語りたい
こんにちは。ここかしこです。
この記事を書いている今は2020年3月28日土曜の深夜。まさにコロナウィルスで大変な時です。
患者さんを治療しようと戦っている方、みんなの生活をできるだけ普通にするために戦っている方、大変な世の中を少しでも良くするために戦っている方、、、すべての方たち、ありがとうございます。
不運にもご自身の体の中で戦っておられる方たちには、一日も早く治りますように、心からお祈りします。
こんな時ですが、元々のスケジュールどおり、雲棚のことを書きます。
雲棚は、お札立てです。雲の形をした井波彫刻の木彫に強力な磁石が埋め込まれていて、画鋲2つで簡単に壁に装着できるという商品です。材はクスノキです。
これまで、雲棚のことは色々と書いて来ましたが、今回は今まで口に出してこなかったことを書きたいと思います。(開発秘話や、一時生産停止状態から復活した話など、めぼしい過去記事はリンクだけまとめて貼っておきます。ここかしこHPのコラムページに飛びます)
「いや、そんなつもりでは・・・」
これまで、大きなメディアさんから店舗さん、個人の方まで、様々な機会に雲棚のことをご紹介頂いたり、お褒めの言葉を頂いたりしてきました。
造語の「雲棚」を愛情を持って呼んでいただいて、伝わるように素敵に表現してくださることは、本当に嬉しく、じーんとすることばかりで、心から感謝しております。
今まで口に出してこなかったこと、というのは、本当に恐れ多くて何様?っていう感じなのですが、他己紹介頂く時に、どうしても敏感になってしまうフレーズが一つだけある、という話です。
「伝統工芸を現代の暮らしに見事にマッチさせ、云々」
という、こなれ感のあるフレーズがそれです。
「いや、そんなつもりではないんです・・・」と、耳を赤くしながら、いつも心の中で思ってしまいます。
なんで違和感を持ってしまうのか
確かに雲棚は、寺社仏閣の荘厳木彫集団である、ズバリ、THE伝統工芸、
井波彫刻です。
雲棚の取説に書いた、井波彫刻の説明はこうです。
ー井波彫刻ー
富山県南砺市井波、砺波平野の南端
明徳元年(1390年)、後小松天皇の勅命により、この地に『井波別院瑞泉寺』が創建されました。600年以上の歴史の中で、3度の大きな火災に遭い焼失と再建を繰り返します。江戸中期、再建と指導のため、京都より御用彫刻師や大工など多くの職人が派遣されました。寺院建築や寺院彫刻の指導を受け再建に関わった井波の地元大工たち、井波彫刻はここから始まりました。以降、木彫の腕を競い合い、極め、発展させていき、全国の寺社仏閣彫刻を数多く手がけ、日本彫刻史に名を残す傑作も多く生まれています。力強く荘厳な佇まい、優美で繊細な表現力、高度な技術による精密さが特徴です。井波の町には、個性溢れる木彫看板を掲げた工房が立ち並び、リズミカルな槌の音を響かせています。
違和感というのは、誤解を恐れずに言うと、そもそも、「伝統工芸を現代の暮らしにマッチさせる」とわざわざ言う必要ってあるのかしらね、ということ。
知り得る限り、伝統工芸と呼ばれるものの大方は、時代とともにどうしたって変わってしまうものをいかに変わらないようにするかに重きを置く修復や美術品などの例外を除いて、そもそもが暮らしの近くにあるものです。
寺社彫刻から始まった井波彫刻も、例えば民家の欄間とか、看板やサインという身近な場所で、沢山の名もなき傑作を生んでいます。
今は、あまりに沢山の選択肢が溢れているので、スローで豊かな生活のカッコよさや、日本の風土事情から生まれた風情や、昔からあるものの最強の合理性や便利さと言ったものに、気づき、それを手に入れたいと思うチャンスはある程度限られています。
が、こちらから求めて近づいていけば、必ず手の届くところにあります。
現に今、作られているものたちですから。
例えば、同じ富山県で、同じく木を相手にする伝統工芸で「庄川挽物」がありまして、ここかしこ東京事務所ではご縁あってその無塗装の茶盆を10年以上毎日のように使ってきました。
残念ながら作者の方は5年ほど前にご病気で亡くなってしまわれたけれど、茶盆はどんどん「いいかんじ」になってきました。10年前に、この作品を欲しいと思い、購入したことを誇らしく思うくらいです。
日本の気候風土の中で繋がってきた必然は、時代に関係なく、様々な知恵を通して生き方のようなものまで示唆的に教えてくれるような気がしています。
作る現場は、常に「はかなさ」と隣り合わせです。すごい技術を持っている作り手も今を生きる現代人で、材料も道具もリアルに生身で、「伝統」という言葉通りの「ででーん」としたゆるぎなさによって不測のリスクから守られているわけでもなく、ただそこにあるだけで誰からもありがたがられる明確なアドバンテージを持っているかというと、少し違う気がします。
木材をカットする糸鋸の歯ひとつでも、それ専門の職人さんのご廃業によって金輪際入手できないとなると、みな騒然となって、必死になって、なんとか綱渡りしながら、次のしっかりした足場まで、知恵を絞って、続けるための新たな方法を探り出す、そんな感じです。
そして、産業として生き残るのに、需要が先に来るのはいつの時代も当たり前のことで、作る側も、それは重々わかっています。
くだんのフレーズは、いわゆるメジャーな”現代の暮らし”が、流行りや先入観を超越してかっこいいものをカッコよく自由に取り入れる余地が少ないと宣言しているようなもので、「伝統?まあそもそもいらないよね。でも、縦のものを無理やり横にできるのなら、アリなのかもね?」的な強引さや狭量さを感じてしまうのです。寂しい。
じゃあ、なんて言われたいの
商品開発のために伝統工芸産地を訪ねるとき、まずは古いお宝や資料を勉強させて欲しいとできるだけ偉い方にお願いします。温故知新だからです。
古いお宝はみなとても素晴らしく、美しくて、信じられないような時間を費やしたであろうことが伺えて、十中八九、激しく心を揺さぶられます。
でも実は、それ以上に感動してしまうのは、同じいまを生きる人の技だったり、生き方だったりします。
なんで触っただけでそんなことまで分かっちゃうんですか!とか、そのために40年以上1日も休まずに△△してるんですか!みたいなことが割と普通にあります。
伝統工芸はいまこの時代に紡がれている営みそのものです。(何でも電力で自動に慣れてしまった今となっては、けっこうな確率で超人的な人の営みですが)
一方で、買う人の側を見ると、素敵なものが溢れているこの時代に「伝統工芸だから買いますよ」というケースはごくごく稀な奇特な方のみだと思います。ふつうに、「これいいな」と思うから買うでしょう?
つまり作る人も買う人も、同じ時代に生きて価値を交換しているだけ。
だから、無理やりな匂いの立ち込める表現はそぐわないし、作る人も、自ら作り出した確かなもの以外のふわっとしたものに変にあぐらをかくような事があったら、廃業へまっしぐらということです。
なんて言われたいか。それはやっぱり、
「カッコいい!」
「ナイスアイディア!」
「なんか良いイメージがわく。」
「木のいい香りがしてなんだか安らぐー」
みたいな、直感的な感想です。
これこれこうだから良いですね、というよりも、シンプルで人間臭いことを言われたいです。
こういう時だからこそ「職業選択の自由」ということを考えてしまう
新型コロナウィルスの大変なニュースを見ていると、医療関係は無論のこと、物流、運輸、教育、物販、などなど様々な分野の方たちが、我が身を顧みずに人の為に働いておられることに感動しつつ、自分には何が出来るだろうと考えずにはおれません。
景気の底が見えず、しがないフリーの立場では、いつ仕事が無くなるか不安と言えば不安ですが、何があろうとも腹をくくるのみです。安定しない仕事も、直接的に人のためになれないのも、すべては自分の選んだことです。
ところで、制作の現場に伺うと、作る人の技や生き方と同じように、「家」とか「土地」とか「風土」といったものにも心打たれます。
いとも簡単に「8代目です」なんて言われると、クラっとします。
御家業を継いでおられる方たちは、災害などが起きたときに、「自分が選んだ事だから」とスパッと辞めるような単純な割り切りはなかなかできないだろうと想像します。
農家の方が種や苗木を守るのと同じように、伝統工芸の方は、なくてはならない道具や、古い資料や、貴重な材料や、自分の両手を守るでしょう。
何に対しての責任かというと、それはやはり過去より未来なのだと思います。未来へ繋ぐ責任。それも、ご自身のお子さんへというよりは、産地全体や、日本の、ひいては世界の未来へ、というお気持ちなのではないかなと。
身の回りのものが全てプログラミングされた機械生産になったら、フリーハンドでしか彫れない複雑な曲線がこの世からなくなってしまったら、きっと人の暮らしの何かがおかしくなると信じます。
そういう、無くなっては困るものを守ってゆくと腹をくくり、それを一生の職業にして楽しみながらも苦しんでクリエイティブに捧げてくれる方たちに、心から拍手を送り、感謝したいと思うのです。
雲棚は、奥深い井波の技のほんのほんの入口です。
表札、看板、欄間はもとより、商業施設向けの大型インテリア作品、愛犬の木彫から静謐な仏像まで、ありとあらゆるオーダーに応えてくれます。
職人さんになりたいと思う方のための訓練校もあります。
ご興味を持たれた方は、ぜひ井波彫刻協同組合さんへお訊ね下さい。
長々書いてきて、雲棚の話のようなそうでもないような話になってしまいましたが、結局は宣伝でした!
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