飛び降りたかったわけじゃない
有名な誰かが自分から命を絶った時
「一人で悩まないで」「誰かに話して」「こんな方法があるよ」
そんな風に優しく語り掛けてくれるのは、確かに社会として必要なことだとわかっている。助けてくれる誰かがいるから、支えてくれる人がいるから、立ち直れることもきっとたくさんあるのだと思う。
けれど、きっと、命の天秤が傾いてしまうのは、そんな大きなことではないのだということも私自身が知っている。
「疲れたなあぁ~・・・」
「もう考えるのも嫌だなあぁ~・・・」
「楽になりたいなあぁぁ~・・・」
何も「死ぬぞ!」「自殺してやるぞ!」「もうやめた!」
ってそんな意気込むことなく、
ふらりと窓の外へ出たくなったり、
すっーーーと引き寄せられるようにベランダから下を見下ろしたり。
そんな日常の延長線上に『死』があるのだと私は思っている。
よく「死ぬくらいなら、もっとできることがあるじゃないか…」
「死ぬなら、他に方法があるじゃないか…」
そんなことを言っても、ふと死にたくなる人は『今』、『この瞬間』が何よりも、どんなことよりも辛いのだということを知って欲しい。
多分もし、自分で死を選んだ人たちへインタビューができるなら、
「死ぬつもりはなかったんですけどね…」とか
「なんで、死んでしまったんでしょうかね…」とか
自分がとった行動に驚いている人もきっと多いんじゃないだろうか。
人生を歩んでいるうちに「死にたい」と本気で考える人と、そんなことを考えずに悩みつつも今の自分を楽しんでいる人には、絶対に越えがたい思考の壁がある。
だからこそ、みんなが知っている人が命を絶った時
「命の相談窓口へ」とか「一人で悩まないで」なんていうのは、私はずいぶん見当違いだな…。と、ずっと感じている。
本気で自分で命を絶つ人を減らしたいなら、匿名で相談できる窓口ではなく、専門的な知識を持った医師が何年もかけてその人自体をケアしていくしかない。そして自分自身と、いやでも向き合って現実に少しずつ折り合いをつけていくしかない。
だから私は今こう言いたい
日本を背負っている偉い人達へ
最後の一歩を踏み出すことは、難しいんじゃなく衝動です。
匿名の相談の大切さですが、命の危機へは限界あります。
そして一時的な話題としてではなく、恒久的に続く課題として、患者と必要なコミュニケーションが取れる医師の育成が何よりも必要です。
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