自分が軽く生み出せて、満たされること。

気がつけば、あと1週間でnote毎日連続更新365日を達成するみたい✨

昨日の記事で、その活動に対して、自分がどのような"意味付け"を行うかによって、

その活動が、心からやりたくて仕方ないものにもなるし、嫌々やらされたり・つまらないものにもなる。という話をしました。

そこから、さらに派生して、「自分はなぜnote記事を毎日更新しているのだろう?」「そこには、どのような"意味付け"が存在するのだろう?」ということを考えてみました。

私がnoteで毎日記事を書く理由

結論から言うと、「私にとって何よりのご褒美時間であり、自分を満たす活動であるから」。だから、私はnote記事を書き続けています。

それが、私なりの"意味付け"であり、目的であり、書く理由です。

なぜ満たされるのか

人によって、得意なこと、苦手なことは違います。異なる人が、同じ作業に取り組んでも、軽く生み出せる人もいれば、その作業を苦痛に感じる人もいます。

私の場合、「文章を生み出す」というのは、軽く生み出せることです。

そして、「文章を生み出すこと」を毎日の習慣にすることで、自分の知識欲を満たすことができるのです。

記事を生み出すまでの一連の流れ(プロセス)

毎日記事を書くということは、以下のサイクルを、日々の習慣(ルーチン)として取り組むことになります。

  1. 自分の興味関心に意識を向ける。

  2. それについて、自分なりに向き合い、深める。

  3. 頭の中で、整理・要約をする。

  4. 文章としてアウトプットする。

そうやって、自分の身体を通して理解したことは、"単に情報に触れただけの状態"とは異なり、他人に説明できるくらいには深く理解した生きた知識になっています。

私は、そうやって、少しずつ「自分のわかるコトバを増やしていく」ことが、たまらなく楽しいのです。

自分が軽く生み出せて、満たされることはなに?

私の場合は、たまたまそれが文章を書くことでした。

そして、これは人の数だけ存在します。

あなたにとって軽く生み出せて、自分が満たされる活動はなんですか?

それを心から味わうことこそが、自分の人生を幸せに生きる道しるべかもしれないね。

ではまた!

しゅんたろう

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