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【要約】こころで あじわう フランクル(全4回) ~ 【3、ロゴセラピー】"生きる意味"に着目した心理療法 ~

NHK「こころの時代 ~ 宗教・人生~」において放送された、
シリーズ「ヴィクトール・フランクル」(全6回)の魅力を、
3つのポイントにまとめて紹介しようという試みです。

今日は、ポイントの2つめ。
フランクルの主張した「ロゴセラピー」というものが、どういったものなのか。について書いてみたいと思います。


ロゴセラピーとは

「ロゴセラピー」とは、フランクルの考えた、"生きる意味"に着目した心理療法のことです。患者が「自分の人生に意味を見出すこと」を援助し、心の病を癒すことを目的としています。

ロゴセラピーでは、「心」と「体」との二次元ではなく、「精神」の次元を加えた三次元で人間を捉えます。

精神次元が空洞化することは、生きることは無意味だと感じるようになることと同義です。だれかのために、なにかのために。そんな「生きる意味」さえ常に考え、持ち続けていれば、人は人間らしく生きることができる。

そんなフランクルの考え方に立脚した心理療法です。

フランクルの思想について、3つの問題から読み解こう。

以降では、私たちに身近な3つの問題について考えます。
その中で、ロゴセラピーの考え方や、フランクルの思想について触れていきます。

【問題①】戦後から現代まで続く「豊かさの中の空虚」

フランクルは収容所体験を終え、戦後まもなく「夜と霧」を出版します。

そして、故郷ウィーンで再び精神科医となったフランクル。診療する中で、戦前には見られなかった患者が増えていることに気付きます。

「生きる意味」に対する喪失感・空虚感を感じる若者が、世界中で増えていたのです。(世界中の学生の25%。生活水準の高かったアメリカの学生だけでは60%も!)

戦後の復興で、前向きな時代。
豊かであるにも関わらず、 満たされない気持ち。

「自分が何がしたいのか分からない。」「生きる意味がわからない。」
それは現代を生きる私たちまで続いている深刻な問題だと言えます。

「過剰自己観察」の状態とは

「空虚感」を感じるのは、なぜなのか。フランクルはこのように言います。

現代の人たちは「過剰自己観察」の状態に陥っている。自分ばかりを鏡で見ているような状態で、自分の些細な箇所がすごく気になってしまう。

そして、自分の周囲にある素晴らしい景色や、他人の人生などが目に入らなくなってしまっているのだ。

つまり、自分のことばかりに精一杯になってしまって、視野が狭くなっている状態、ということですね。

視点を変えて、自分を俯瞰する。外側に目を向ける。

では、そんな「空虚感」を克服するためには、どうすればいいのでしょうか。

それは「自分を俯瞰して捉える」ということです。

自分のことを、距離を取って見てみる。
視点を、自己中心的の内側から、外側に向けてみる。

そうすることによって、周りの景色、周囲の人たち、自分が置かれている状況などが見えてきます。そうすれば、慌てず落ち着いて対処できるようになります。

【問題②】死が近づき、残りの人生が短いことを感じたとき

他にも、人が「自分の人生とは、いったい何だったのだろうか?」と、生きる意味を問いたくなるシーンがあります。

それは「自分の死を意識するとき」です。

「日めくりカレンダー」の例 ~ 1日1日を大切に過ごす ~

フランクルは、日めくりカレンダーを例に出して言います。

自分の人生という、日めくりカレンダーを1日1枚ちぎっていく。
日めくりカレンダーが、薄くなることを悲しまないで。

その人が、その1日1日を生きた事実は、なくならない。
だからこそ、1日1日を大切に生きよう。

(過ぎ去った1日をビリッと破って、ぐしゃぐしゃに丸めて捨てるのではなく、)カレンダーから切り取った紙を、今まで切り取った紙の上に、1枚1枚丁寧に乗せていこう。

その紙の裏に、日記のようなメモを残して、人生の中で今まで確実に生かされてきたことに、誇りと喜びを持って思いを馳せよう。

「振り返って、感謝する」ことで、自分の時間の使い方が変わってきて、人生の質が深まっていく。

「穀物の収穫」の例 ~ 刈り取られた畑の広さではなく、収穫した穀物の量を見よう ~

同様に、時間が少なくなるときに、どこに着目するか。
フランクルは「穀物の収穫」にも例えています。

年齢を重ねると、「もう時間がない!」と悲観する人が多い。
それは、収穫が終わりに近づいている畑だけを、恐怖の思いで見ているのと同じだ。

過去と言う穀物で、いっぱいに詰まった穀物納屋を見よう。
刈り取り機の中で、どんどん増えていく穀物の量を見よう。

「ほら、ごらんなさい。あなたには、こんなに豊かなものが、集めたものが、沢山あるじゃない。」と。

そうやって、自分の過去を振り返ることで、その人がまた頑張ろうと思えたりする。

「死」をどう捉えるか ~ 「その人の人生が完結(完成)した。」という幸せな瞬間 ~

人間は、自分の人生を奪い去る「死」を、最も恐ろしいことだと思い込んでる。

しかし、フランクルは「死」をこのように捉えます。

人生は、悲劇ではないんだ。
もしそうであるならば、最後は悲しみで終わるはずがない。

人生の終わり(死)は悲しみではない。
辛いことから解放されるイベント。
優しさを持って、完結させてくれるもの。

"ひとりの人生が完成した"という一つの幸せなのだ。

【問題③】人生で度々訪れる「苦悩」と、どのように向き合うか

人生は、苦悩の連続です。
そんな人生を悲観して、絶望して、自ら命を絶とうとする人もいます。

私達は、そんな「苦悩」と、どのように向き合えばいいのでしょうか。

何に苦悩するかではなく、どのように苦悩するか

フランクルは、このように言っています。

"何に" 苦悩しているかではなく、
"どのように" 苦悩しているかが大切だ。

どんな苦悩であっても、(たとえそれが、人間の尊厳を踏みにじるホロコーストの収容所の体験でも)、「生きる意味」さえ失わなければ、人は人間らしく生きていける。というのが、フランクルの主張です。

どんな苦悩が目の前に現れても、「そこにはきっと意味があるはずだ。」「その出来事は、私にとって、どんな意味を(学びを)もたらすのだろう。」という姿勢を持ち続けることが大切だと説いています。

苦悩は、成長である。

「苦悩は、人間に物事を見抜く力を与える。」と、フランクルは考えました。

また、何か(誰か)との出逢いによって、「苦悩との向き合い方」が変わることもあります。

新しい生きる意味を与えて(教えて)くれたり、苦悩を吐き出して、眼差しを外に向けることができたり。

それでも人生にイエスと言う

どんなに苦しくて辛い状況でも、そこには必ず意味があるから。
人生に悲観して、自分の人生に対して、責任を放棄しないで。

自分の人生を受け止めて。自分の人生を愛して。
自分の人生にイエスと言おう。

それが人間にはできる!と力強く説きました。

フランクル自身も、多くの苦悩を体験しながら、それでも自分の人生にYESと言い続けた。そんな人間が、実際に過去に存在していた。その事実が私達にとって、生きる希望となりますよね。

【まとめ】視点・発想を変えよう

いままで、問題①~③を考えながら、フランクルの思想・ロゴセラピーについて触れてきました。いかがだったでしょうか?

フランクルは、視点・発想を変える「リフレーミングの天才」だったのかなぁと感じます。

あと、例え話も上手ですよね。こんなことも言ってたりします。

「コペルニクス的転回(※)」によって、
「自分の人生の見方」を転換しよう。
「自分」が中心に鎮座するのではなく(地動説)、
 「意味」を中心に自分を捉え直す(天動説)ということ。

柔軟に視点を切り替えながら、人として、より良い生き方を探求していきたいね。

ではまた!

しゅんたろう

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