【要約】こころで あじわう フランクル(全4回) ~ 【2、心理学】フロイト・アドラーとの主張の違い ~
NHK「こころの時代 ~ 宗教・人生~」において放送された、
シリーズ「ヴィクトール・フランクル」(全6回)の魅力を、
3つのポイントにまとめて紹介しようという試みです。
今日は、ポイントの1つめ。
心理学の観点から、フロイト・アドラーの主張と、何がどう異なるのか。について書いてみたいと思います。
フランクルにとって、フロイトとアドラーは、同時代を生きた大先輩。
オーストリアのウィーンに生まれたフランクルは、小さい頃(なんと4歳!)から「人はなぜ生きるのか」という疑問に囚われて、哲学や心理学の本を読み漁りました。
その中で、同じウィーンに暮らす心理学の巨匠フロイトに行き着きます。10代半ばにして、思い切って手紙を出したフランクル。すると、すぐに返信がきて、そこから文通が始まったそうです。
そして、20歳でウィーン大学の医学部へ進学すると、そこで当時精神科医で心理学の権威だったアドラーとも出逢います。アドラーのグループに入ったフランクルは、頭角を表し、国外の出張講演を任されるまでになりました。
現代の心理学の基本になるような人たちが、同じ時代にウィーンにいて、知り合っている奇跡。すごいですよね。
フロイトとアドラーの考えを批判し、第三の考えを打ち立てる。
フランクルは学習を深めるにつれて、フロイトやアドラーの考えに批判的になっていきます。
なぜなら、フロイトの心理学では、人間の行動や考え方は、その人の持つ「本能的な欲望(無意識。特に性欲)」に左右されると言われる。
同じように、アドラーの心理学では、人間の行動を決めるのは、「劣等感」や「優越への欲求」だと言われた。
フランクルは、それだけではない気がした。人間の内側には、誰かのために、何かのために、ちょっと辛くても自分を乗り越えようとする、そんな力がある!ということが伝えたかった。
そんな論文を書こうとした矢先に、戦争に巻き込まれ、収容所体験で、自らの考えを実践することになります。(なんという、運命のイタズラ…!)
フランクルの主張したこと
大きく3つに、まとめました。
① 心身二元論ではなく、それらを超越した「精神的な次元」が存在する。
心身二元論では、心と身体を別個の存在として捉え、それぞれ独立した世界だと考えます。(東洋では、心と体は切り離せない一体のものと考える「心身一元論」が一般的。)
しかし、身体の機能と心の機能、そのどちらも、基本的には自分を守ろうとするものです。
では、自らが多少苦労してでも、だれかのために、なにかのために、頑張ろうとする行動は、どこから来るのでしょう?
フランクルは、それを身体と心理とは異なる、3つめの「精神的な次元」からの働きかけだと考えました。
② 「苦悩の原因」を詳察して、取り除こうとするな。
例えば、海岸にある岩礁が、過去のトラウマだとする。
引き潮のときに、岩礁が水面に現れるのと同じで
心が満たされていないときに、トラウマや症状が表面化する。
心が満たされていないときは、不安と憂慮に駆られているので、絶えずそのことについて考えてしまう。逆に言えば、心を満たしてさえいれば、過去のトラウマが気にならなくなる。
フランクルは、そのように考えました。
だからこそ、「苦悩の中でも、前を向く」「どんな状況に置かれても、その瞬間瞬間で、生きる意味を探し続ける」そんな人生に向き合う姿勢こそが大切だと考えました。
③ いま・この瞬間、目の前の現実にどう向き合うかは、自ら選択できる。他者や社会の中で、自らの生き方を追求しよう。
では、自分を満たすために、どうすればよいか。
そこで、フランクルは、自らが提唱するロゴセラピーの中に、「実存主義」を取り入れます。実存主義とは、他者や社会の中で、自らの生き方を追求するのが大事だという考え方です。
私たちは、過去にも、運命にも、支配される訳ではない。いま、この瞬間、自分がどのような態度で、目の前の現実に向き合うのか、は選択することができる。
そして、その行動の選択1つ1つが、自分の生きた証となって、蓄積されていく。だからこそ、いまここで私たちが、 なにをするか、なにを考えるか、なにを話すか。 それが非常に大きな意味を持つのだと考えました。
感じたこと
フロイトやアドラーの考え方が、完全に間違っている訳ではないと思います。「本能的な欲望」や「劣等感」「優越への欲求」から、行動することだって沢山ある。
でも、「後ろばかり見て、いまの自分がダメな原因を探す」のではなく、むしろ「いまのダメな自分でも、自分なりの生きる理由があるからOK」と思う考え方は、好きだなぁと感じました。
現代を生きる私たちが、フランクルの思想を学ぶ意味
日本に蔓延する「生きづらさ」。
表面化する「自殺・うつ・不登校」という問題。
これらは、いずれも「生きる意味」の喪失によって起こっている問題だと思います。
豊かさの中で、目的が見えづらくなっている。
どれだけ心身が正常に機能していても、「生きる意味」がなくなり、希望を持てなくなった瞬間に、人はもろく崩れ去ってしまう。
私たちに希望を与えてくれるフランクル
そんな中、ユダヤ人への迫害という、究極の人間存在を否定された環境の中でも、生きる意味を探し続けて、生き延びた。
そんな人間が過去にいた。
その人の思想が、いまも引き継がれて残っている。
そのことは、現代の私たちに生きる希望を与えてくれるものだと思います。
まとめ
今日は、ポイントの1つめとして、心理学の観点から、フランクルの思想は、フロイト・アドラーの主張と、何がどう異なるのか。について書きました。
「生きる気力を損なわず、前を向いて、いまここを生きよう!」
そんなメッセージが伝わったなら、嬉しいです。
ではまた!
しゅんたろう。