【人生哲学シリーズ②】「お金」と「自分」どっちが大事?
「お金と自分どっちが大事ですか?」なんて聞かれたら、「そりゃ自分に決まってんじゃん!」って答えますよね。
でもいま日本で、働き過ぎて体調を崩す人が続出してるんです。しかも、経済的な停滞を理由に、そんな人が年々増加傾向にある。
私も会社の激務に耐えられず、うつ病と診断されたことがあります。ぶっちゃけ、誰でもなりうる話だと思ってます。
もう一度、問います。
「お金と自分どっちが大事ですか?」
なぜ「お金を稼がなきゃ」と思うのか
そもそも、なんで「頑張ってお金を稼がなきゃ」と思うんだろう。
多分、子どもの頃に親の背中を見て育ってる部分が大きいと思うんだよねー。
子どもの頃、欲しいおもちゃやお菓子があったとき、親が「うちはお金がないからねぇ」と言って、諦めさせられたことはないだろうか。
わたしはある。めちゃくちゃある(笑)
そうすると子ども心に思う。
「そっか、うちはお金がないんだ。だから、親も欲しいものがあっても我慢してる。私が大きくなったら、お金を一杯稼いで、自分が欲しいものは好きに買える大人になろう。(親をラクさせてあげよう)」
そのために、「正社員になって安定したお給料を」とか「大学に入って就職に有利にしよう」とか考える。自分が好きなことでお金が稼げるようになるのが一番いいけど、世の中そんなに上手くいかないから、せめてお金だけでも稼げるようになろう。・・・みたいな感じ。
「自分」と「お金」の優先順位
この時点ですでに、「自分」より「お金」の存在を大きくしてしまっている。だって、優先順位として「お金」が一番、「自分」が二番になってるから。
もっと言えば、「自分を犠牲にしないと(辛い仕事でも我慢しないと)、お金は手に入らない」と考える人もいる。
「自己実現のための手段」としてのお金だったはずが、いつの間にか「自分を犠牲にして、お金を手に入れなゃ生活していけない」と逆転してしまっているのだ。
これは「自分の生活」を人質にとられて「お金」の言いなり(奴隷)になっていることを意味する。
でも、これは私の捉え方の問題だったりする。「現実を見る色眼鏡」を変えると、ガラッと景色も変わるのだ。
「お金」の捉え方を変えてみる
お金に意思はない。私が「お金」をどう捉えるかによって、どう稼ぎ、どう使うかという行動(現実)が変わってくる。
では、こんな世界ならどうだろう。
まず、「お金」より「自分」の存在を大きくする。
そして、自己実現を叶えてくれる「お金」に対して、ありがとうの気持ちを持つ。(決して奴隷にしない)
それは、お給料をもらった時かもしれないし、買い物をした時かもしれない。最近はキャッシュレス決済も多いので、意識する機会は減ったけど、それでも思い出してみる。支払う時じゃなくても、あとでクレカの明細を見たときでもいい。
「私はこの商品を手に入れたことで、これだけの価値(幸せ)を手に入れることができた。お金がなければ、この商品を手に入れることは出来なかった。ありがとう。」といった感じ。
声に出さなくてもいい。捉え方の問題。
これがもし「あぁ、今月の出費はまた増えてしまった。あれも必要だし、これも買わなきゃだよね。貯金も全然増えないし、これからやっていけるのかしら。お金が全然足りないし、将来が不安だわ。。。」だったとしたら、どうだろう。
起きてる現実は一緒でも、捉え方1つで「感謝」にも「不安」にもなる。沸き起こる感情が変わるのだ。それって、人生を日々幸せに過ごしたいなら、絶対に「感謝」の方を選びたくない?
感謝と不安、どちらに生きる?
人間は「感情の生き物」だから、沸き起こった感情に従って、行動を起こす。
「感謝」に生きてる人は、いつもニコニコ・きらきら・楽しそうに過ごしてる。「不安」に生きてる人は、常に一杯一杯で、いつも何かに追われながら過ごしてる。
人間観察が好きな私の経験則だと、この法則は結構当たってる気がしてます。
あなたは「感謝」と「不安」、どちらに生きてる人ですか?
もし「不安」に生きているなぁと感じた人は、今日から少しずつでもいいから「感謝」に生きてみませんか?
ではまた。
しゅんたろう